3.為肉判定◎







子供を掻き出され、弱った女に千尋は告げる。
「あなたはミンチにする予定ですが、お子さんはまともな肉として出荷してあげますよ」
まだ柔らかいうちにね。





農場…千尋は己に与えられた労働場所をそう呼ぶことにした。
それは人肉牧場ではあまりに生々しいという彼なりの配慮であったが、その配慮が向けられるのは時折施設を訪れる見学者たちだった。働き始めた当初、この施設が観光向きであるとはとても思えなかったが、(むしろ今でも思えていない)、千尋のそんな感覚とは裏腹に、見学者たちは父に連れられ嬉々として施設内を見て回った。そしてこの数ヶ月、子供連れからスーツ姿の会社の勤め人まで実に様々な人々が出入りしたが、どんな人種であっても、父は必ず最後に、彼らに食事を提供した。
「こちら当施設自慢の為肉でございます」
為肉、というのはこの農場で肥育された人々の肉の名称らしい、と千尋は勤めてしばらくしてから知った。
彼の感覚からすれば、いくら名前を珍味らしくしたところで人肉には変わりない。しかし東部の人々の脳内では完全に為肉と人肉は境界線が引かれているらしく、彼らは提供された肉をこれまた美味そうに頬張るのだった。
「柚谷(ゆえ)さんのところのお肉はいつもおいしくて、つい通っちゃうんですよね」
今回の見学客である女性は恥ずかしげに語る。千尋としても、自分に興味を持たれるよりは、父が手塩をかけて育てた為肉に夢中になってくれた方がずっと嬉しい(煩わしくない)ので微笑むだけで何も言わないでおく。郷に入っては郷に従えともいう。よもや言葉で飾っただけで、同類を食することに何ら抵抗を抱かないようになるということを、珍妙だと思うことはあれど東部ではこれが普通なのである。とはいえ、千尋はわざわざ何処の骨とも知らぬ人間の肉を好き好んで食べようとは思わない。どうせなら父が母にしたように、自分が愛した者の肉を貪りたいと思う。…父が感じていたであろう満足感を、自分も感じてみたい。いつしか千尋の心の奥底には、そんな願望が住み着くようになった。
(だけれど、俺が親父のように誰かを心から愛するようになるなんてことがあるんだろうか)
若さ故か、未だ他人に熱を上げたことはなかった。そもそもこれまでは生活のことばかりが頭にあって、他人に興味を持つ余裕さえなかったのだ。それに…マザーコンプレックス、というのとは違うとは思うけれど、枯れた母ばかり見て来たものだから、豊満な肉体を持つ女性を見ると、異性を意識するよりもまず別の生物のように思えてきてしまう。此処に勤めるようになってからは尚更、そうした傾向が強くなったように感じる。
女性蔑視とも違う。生き物の関係で例えるなら、自分が犬で彼女達は猫なのだ。
ところでつい先日、農場へ一人の女性が連れられて来た。
為肉の需要は成体よりも幼体にある。だからこそ、千尋はその女性が連れて来られたことを不思議に思ったわけだが、聞けば彼女はESPなのだという。このご時世、ESPは以前よりは頻繁に確認されるようになったが、それでも数はあまり多くはない。ましてや、施設に売りに来られるESPは稀だ。当農場でも一、二体程度しかいない。詰まる所、現状においてESPの肉には希少価値があるのだ。
しかし、と彼女を連れて来た業者は言う。
「こいつ、今は普通の人間なんですよ」
「どういうことですか?」
「投げたんですよ、能力をね」
ははあ、と千尋は事情を察した。手渡された検査表のESP欄にはしっかり陽性と記されている。だがESPの中には自らの能力を移せる者もいると聞いたことがある。業者が言いたいのはそういうことなのだろう。これでは肉としての価値はなくなってしまう。ただの大人の硬い肉だ。女性であるだけましだけれど。
「まあ柚谷さん、まだ話には続きがあるんですよ」
「そうであると思いたいですね」
でなければ彼がわざわざ個別にこの女性だけを連れて来るはずがない。千尋は先を促した。
「妊娠しているんです、腹の中に子供がいるんですよ」
「それは興味深い…ですが、子供もESPの能力を受け継いでいるとは限らないのでは?」
「その点は検査済みですので心配には及びません。子供も陽性です」
千尋はふうんと嘆息とも溜め息ともつかぬ息を漏らした。
「お引き取りしましょう」

その日の夕方、自宅に戻ろうとした彼に父が声を掛けて来た。
施設内は広く、普段あまり父とともに労働しているという意識はない。そのため、言葉を交わすときは奇妙な違和感を感じてしまう。
「今度取引先の親子が来る。すれ違うことがあっても、粗相のないようにするんだぞ」
「分かっているよ、親父」
父の口振りから、自分たちが取引を願い出る立場であることを察した。








裸の少年が倒れている。
その剥き出しになった背中に無数に浮かび上がるミミズ腫れ。傍にはご満悦な笑みを浮かべながら鞭を打ち付ける男の姿。
ああまったくなんて下衆な男なのだろう、と我が父親ながら椿は思う。そもそも男である自分に”椿”などという名前を付ける時点でどうかしているわけだが。
「どうだ、椿。お前もやってみるか」
「いえ、私は父上ほど鞭の腕に優れておりませんので、打ったところで悦ばせるどころか痛めつけるばかりで」
「そうだな、お前の下手な鞭使いでは家畜も可哀想だ」
父は高笑いし、再び少年を鞭打ち始める。もはや少年は痛みを通り越して呻くことすら出来なくなっているようだが、父の目にはそれが快感で悶えているように見えているらしい。とんだ気違いだ。盲目で何も見えていないどころか別世界の住人としか思えない。椿は胸に湧く不快感を押し殺し、重い扉に触れた。
「少し施設内を見学してきますので、何かあればお呼びください」

牢獄のような部屋を出て、無味乾燥とした通路へ繰り出す。足裏に纏わりつく冷えたコンクリートの感触。響く足音。
…生き物の飼育施設なだけあって、建物内は室温も乾湿も一定に保たれているし、日光も適度に取り入れられている。だのに何故だろう、椿は此処にいると息苦しさのようなものを感じて仕方がなかった。まるで、建物そのものが圧迫感を持って迫って来るかのような。
椿が父に連れられて、『ユエ』へと足を踏み入れたのは今日が初めてのことである。ユエは父の会社の主要取引先らしく、父曰く経営者同士でも「お前」「俺」の仲すなわち大変親しいお付き合いをさせていただいているそうだが、日頃から過剰に物事を表現する癖…妄言癖といっても過言ではない…のある人間の言うことであるため、どの程度までが事実なのか椿には判断しようがない。だがしかし、おそらく父の仕事を継ぐことになるであろう椿を今回連れて来たということは、父にユエとの長期的な関係を維持しようという思惑があるからに他ならない。そしてそれを受け入れたユエ側も、そうした思惑を承知しているということになる。
それにしても、とは施錠された扉が並ぶ光景から目を背けた。清潔的で真っ白い建物は農場というよりは病棟を否応無しに想起させる。時折視界の隅に映る仄暗さも、精神に嫌な不安感を植え付ける。幼い頃、怪談話を聞いた後の心情とよく似ている、と彼は思う。僅かな物音に恐怖心が膨れ上がらせていた。後から考えれば馬鹿馬鹿しいが、そのときの自分は空想と現実の境目を見失っていたのだろう。
「     」
不意に、強烈な耳鳴りが脳内を切り裂いた。
考えていたこととも相まって、彼は極端にびくついた。そして、そんな自分に後から気付いて憤りにも似た羞恥に駆られたが。
視界が一瞬虹色に歪む。何かに手招きされているかのように、足が勝手に歩き出して、椿はぎょっとした。次第に早足になる。自分でない他人に操られているかの如き感覚。柱を掴もうとすれば、その柱自体が何らかの力に宥められたかのようにぐにゃりと折れて彼の手から逃れた。転倒して止まろうとしても足は命令を無視し続けている。一体全体なんだというのか。椿は気を取り直し、足が突き進むままに任せた。足掻いてどうにもならないなら、一旦流れが止まるまで待つしかない。彼は何かに招かれるままに立ち入り禁止の立て札を押しのけると、白い階段を下り、壁に手をついた。
すると、足は唐突にぴたりと止まった。前方には先程の階と同じような長い通路が伸びている。だが左右に連なるのは扉ではなく、厳重な格子。彼の目には、それは罪人を収容しておくための牢獄に見えた。…これでは、父の悪趣味な所業から逃げ出した意味がない。
そして左手前側、彼はふと視線を感じて振り返った。心臓がぎくりと跳ねる。
「子供…?」
鎖に繋がれた子ども。服を身に着けていない所為か、色白の肌が病的なまでに際立って見える。子どもは椿を見ると、到底言葉の形を成しているとは言い難い声を発しながら頬を緩めた。…悪意は感じない、けれど。おそらくその子どものものであろう、喜びの感情が椿の全神経を揺さぶった。感情が繰り返し打ち返す波となって、怒濤の勢いで押し寄せて来る。悪酔いしそうだ。いくら非科学的な人種が増えてきた現代でも、早々その影響を食らわされることはない。…慣れていない。
…しばらくして、脳内を掻き混ぜられるかのような不快感がようやく引いていったかと思いきや、それまでは居なかった第三者の気配を感じた。
「お客様が迷い込まれたかな?…」
まずはその少年が妙な念波ではなく、彼にも理解可能な言語を発したことに椿は安堵した。
少年は北部出身らしく、髪や肌など全体的に色素が薄かった。浮かべられた微笑はこの施設に不似合いなくらい爽やかである。作業着の隅に着いた赤いものに椿は何とも言えぬ気持ちになったが、見知らぬ人間にそこまで突っ込むことはあるまいと目を反らした。本音を言えば、ESP少年に引き続き、これ以上厄介事に巻き込まれるのはごめんだったのである。
少年は子どもの居る牢の手すりをがしゃんと掴み、椿に微笑みかけた。
「このたびはとんだご迷惑をおかけ致しました。そこのに引っ張られて来たんでしょう、綾城さん」
「え、ええ」
「怪我はありませんでしたか。あれは手加減というものを知らないから」
いえ、大丈夫です、と返せば彼はにこりと目で笑い、無造作に牢を揺らした。
「よろしければ、ご覧になっていってください。大丈夫です、近くにいる限りそこまで危険な生物じゃないですから。少し変わっているというだけで」
「…それはESPという意味で、ですか」
「ええ。多少飼育に癖はありますが、ESPの為肉は通常の為肉よりも柔らかく上質な旨味がありますので人気なんですよ。仕入れ数が安定していないのが難点ですが」
ですからもし綾城様がご所望であれば最優先でお包みしますよ、と彼は子どもを商品を見る目で見た。その言葉に断りを入れながら、椿は自分が本当に父の跡を継ぐことになった場合を考えた。きっと、目の前の少年と同様の態度を取らねばならぬようになるのだろう。商品に感情など抱いても仕方がない。だが自然と眉が寄った。
別に目の前の少年に不快感を覚えたわけではない。むしろ彼の歳でこの態度は立派だ。ただ自分が、為肉というものにあまり馴染めないだけで。父の後ろ姿を見るとたまらない嫌悪感に襲われるだけで。
…気分が悪くなる。
「…どうしました、お顔の色が優れませんね」
「いえ、…今日は少し寝不足なんです」
「そうでしたか。…まあ、慣れないと此処の環境もきついでしょうからね」
中は何処も似たり寄ったりなので、失礼でなければ外の休憩所にご案内しますよ、と彼は椿にぴたりと視点を定めた。…一応、人間を見る目である。
為肉の話をした程度で気分を害するなんて、随分とひ弱な人間だと思われたかもしれない。けれど、変に我慢してこんなところに閉じ込められているよりは、外の方がずっと良い。父の変態趣味もいつ終わるか分からないのだから。
病棟を抜け出し、椿は久し振りに晴天を見たような気がした。青空が瞼に滲み入る。それは少年も同じなのか、彼は眩しげに目を細めていた。
外の休憩所とやらはベンチとテーブルに日除けが有る程度の簡素なものだったが、建物の中にいるときよりは肩の力を抜くことが出来た。
「お茶をお持ちしますね」
「いえ、お気遣いなく。…柚谷さんは仕事に戻ってください」
「大事なお客様を放って仕事に戻るなんてとんでもない。後で父にどやされてしまいますよ」
ユエは父子二人で経営していると聞く。家畜化された人間が溢れるほどいる施設内に飼育側の人間はたった二人。自分がその立場だったら果たして耐えられるだろうか。否、あの父と二人きりだなんて考えるだけで吐き気がするというものだ。美しい親子愛さえあれば意外と平気なものなのかもしれないが、とてもではないが自分たちには当てはまらない。「柚谷さんたちはとても仲の良い家族なんですね」
「そうですね、父のことは先駆者として尊敬していますよ」
…為肉販売の、という意味だろうか。確かに為肉の生産市場はユエの独占状態にある。
「でも変ですね、そういう言い方をされると綾城さんたちはまるで仲が悪いというふうに聞こえる」そよそよと穏やかな風が彼の髪を揺らす。
「悪いですよ、うちはね」
「またまた。綾城さんのお父上は貴方を後継にと考えておられるとか」
だから今日此処に来たのだ。一人息子だから?理由はどうでもいい。柚谷の言うことは周知の事実だ。
…あまり初対面の人間に親への反発を繰り広げるのも青臭く、馬鹿馬鹿しい。椿は口を噤んだ。柚谷もそれ以上追及してはこなかった。実際取引先の息子にそれほどの興味はないのだろう。
やがて父からの連絡が入り、椿は立ち上がった。
その背にかかる春の木漏れ日のような声。
「何故、あの幼体に呼ばれたか分かります?」
「…客人が来て嬉しかったんじゃないんですか」
「それだけじゃない、あれは貴方を気に入ったんですよ」
だから、と柚谷は言葉を続けた。
健やかなる成育のためにも、できればまた会いに来てやってください、と。





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