18-2.再生した日

 






克也が苦しんでいる意識が伝わる。
彼の意識があるうちは、彼の中と現実世界を行き来出来ない…。
ならば学校まで戻るのに電車かタクシーを使わねばならないが、前者では時間が掛かる。
レモはタクシーを乗り付けた。
「……県……駅まで、急ぎでお願いします」
「はい」
バタン、とドアが閉まる。
今日は平日だ。高速道路もそれほど混んだりはしないだろう。こんなときに限って、携帯電話を持っていないことが悔やまれる。公衆電話にしたところで、学校の電話番号なんて控えてなどいないのだ。
レモは一秒一秒はやる気持ちを押さえながら、じっと懐にしまい込んだ瓶を押さえていた。
タクシーは高速に入り、順調に走行を続ける。急ぎと言ったからか速度も若干速めだ。
だが。

「ちょっと待ってください、……県って言って……!」

出口に出る際、タクシーは全く違う方向への出口へ直進した。
運転手に抗議をしても、云とも寸とも言わない。
明らかにおかしい。けれども、ドアに鍵が掛けられているためにレモは大人しくしている他なかった。
タクシーは高速を抜け、一般道路に飛び出す。そのまま走行を続け、やがて人気のない林の前で停車した。ロックの解かれたドアを開け、レモは運転席側に回って運転手を引きずり出した。
「いったいどういうつもりで…こんなところに連れて来たんだ?!」
「分かりませんか?パトロン」
「……!?」
どこかで聞き覚えのある声に、レモは耳を疑った。
そして運転手の帽子の下から現れたのは、見知った夢幻派の仲間の顔。
自分の目さえ疑いたくなった頃、ずらりと他にも見覚えのある男達が、レモを取り囲んだ。
「…どういうつもりなんだ」
「酷いですよパトロン。俺らを見捨てるなんて」
「そうですよ。ずっと俺ら信じてたんですよ、パトロンが個体から養分を奪い取ってくれるのを」
「なのに、今更になってそんな個体を助けるような真似をして」
口々に文句を並べ立てる夢幻派の面子。
彼らの言う言葉はどれもレモの心に突き刺さった。
けれども、ここで彼らに譲る訳にはいかない。
レモは彼らを振り切って、タクシーの運転席側に回ろうとした。
その腕を、面子のうちの一人が掴む。
「待ってくださいよパトロン。説明もしてくれないんですか?」
「…説明なら後でしてやるから、今は時間が」
「時間って何なんです?あの個体を助けるための時間なんでしょう?」
「つまりは俺たちの終わりの時間ってことだ」
一人を振り払おうとする間に他の二人がレモを囲む。切羽詰まっているのはお互い様だ、彼らが意地でもレモを逃がそうとしないことは分かっている。
「放すんだ。ちゃんと、どうにかするから」
「どうって、何をどうするんですか?」
「方法でも有るって言うんですか?パトロン」
追いすがる仲間達に思わず舌打ちしたくなる。
何をどうなど説明出来るはずがない。そんな誰もが助かる都合の良い方法など、見つかっていやしないのだから。有ると言い張って強引に押し通してしまえなくもないが、彼らはそれでは納得すまい。また、深層派理性派の邪魔を永久的にする方法とて、現実的ではない。
ましてや。
「お願いです、パトロン。俺人間になりたいんです!」
中には消失を恐れる者だけでなく、こうした人間に成ることに貪欲な者もいる。彼は強い感情をレモにぶつけながら、必死に自分達の首領にしがみついた。その勢いのあまり、レモは彼ら共々地面に倒れ込んだ。そのうちの一人が、懐の違和感に気がついたのだろう、「あ!」と声を上げた。
レモも同時に気がついたが、寸前の差で瓶を掠めとられてしまった。奪い返そうとして、他の二人がレモを押さえ込む。
「っ放せ!それを返すんだ!」
「これさえ捨ててしまえば……」
瓶を持つ一人が生唾を飲み込む。
レモは渾身の力を込めて二人の腕から逃れようとしたが、逆に手を後ろ手に取られてしまった。
「いっつ……っ」
「パトロンって言ったって、今じゃ俺たちを見捨てようとしてるんだから、何されようと文句は言えませんよ」
「むしろ俺たちは、パトロンを救おうとしてるんだから」
「煩い!いいからやめろ、やめるんだ!……ッあ…っ」
ギリ、と腕への捻りが強まり、レモは苦痛に喘いだ。
瓶を持つ男が笑みを浮かべ、腕が弧を描く構えをする。
「……あ……」
緩やかに瓶が男の手から離れる。

瓶は宙を舞い、太陽の光を反射してきらりと輝いた。

レモの瞳は絶望に染まる。脳裏に過る苦しむ克也の姿。

瓶は地面へ向かって美しい弧を描き落ちていく。

…腕の力は、弱まらなかった。


「派閥内の意見は話し合いで、なんて生温いことを言っているからそんな目に遭うんだ」


瓶を受け止めた手のひら。
突然の第三者の出現に、瓶を投げた男も、レモを押さえつけていた面子も、呆然としていた。
「…シ、ガ……」
レモ自身、半ば呆然としていた。まさかこの場に、彼が現れるとは予想もしていなかったからだ。更に誰かが、夢幻派の三面子を不意に投げ飛ばし、蹴散らした。
「パトロン!ご無事ですか!」
そして当然、そんなことが出来るのはケイくらいしかいない。
ケイはレモの腕を掴んで間接等に異常が生じていないのを確認すると、大きく息を吐いて、俯いた。
「申し訳有りません……!またしても事前にパトロンをお救いすることが出来ずに」
「ケイ…」
「ましてや同じ派閥内の者にこのような真似をさせてしまうだなど…なんとお詫び申し上げていいか……」
彼は肩を震わせ、レモの腕をぎゅっと握りしめている。
レモはその肩をそっと撫でると、顔を寄せた。
「お前を振り払ったのは僕だ。お前は何も悪くないよ」
「しかし…!」
「そのへんにしておけ。時間がないんじゃなかったのか」
はた、とシガの声にレモとケイは動きを止めた。
特にレモはばっと立ち上がり、シガから瓶を奪い取り、ヒビが入っていないことを確認した。それから、じっとシガを見遣る。いったいこの男は何を企んでいるのか、と。この瓶を使ってしまえば深層派にとっては好都合だからと、わざわざこうして来たのか。
しかしシガはそんなレモの視線など意に介さず、すたすたと乗って来たらしいバイクの横に立った。
「乗れ」
「…なんだって?」
「そいつらの後始末と配送はお前の部下にでも任せればいい。タクシーも有るだろう」
ケイは一瞬不本意そうな顔を覗かせたが、転がっている三人の男達を見て諦めたように溜め息をついた。
「パトロン、どうかお気をつけて」
「ああ、…悪い、ケイ」
「いいえ。もう止めません。もうこうなれば私一人でも、あなたを信じます」
彼に見送られるまま、レモは恐る恐るバイクの後部席に腰掛け、シガの腰に腕を回した。
懐には大事に瓶を抱え込む。ヘルメットも忘れずに。やがて、バイクがブルンと震動した。加速して、あっという間に一般道路を走り抜ける。高速道路に突入し、一定走行していると、克也を想い焦る心も徐々に落ち着いて来た。どう暴れたところで、走行中ばかりはどうしようもない。速度もこれ以上出しようがない速度をぴったりと保っている。
しかしそうなると、急激に別のことが気になってきた。
「…まったく、なんで僕が、お前と二人乗りなんてしなきゃならないんだ」
ぶつぶつと呟く。何せついこの間殴り合ったばかりの敵対関係同士、おまけに…それ以前に『好き』だと思ってしまったこの男とだ。そんなふうに意識してしまえば、心臓が無駄に暴れ回る。薄い学ランを通して、それが通じてしまっていないかも心配だった。
……所詮この男は、レモのことを性欲の処理の対象程度にしか思っていないのだから、考えるだけ無駄かもしれなかったが。
「嫌なのか?」
シガはシガで無神経にこのような問いかけをしてくる。頬にカッと血が集まった。
心臓の鼓動が速まり、慌てふためいた言葉ばかりが飛び出す。
「い、嫌って僕はべ、別に、嫌だとか一言も言ってないだろ!」
「だが性的なことをされるのは嫌なんだろう」
「は……っ?」
「『お前の性欲処理のための道具じゃない』。お前は俺にキスされたり触れられたりするのは嫌なんだろう」
「ちょ、ちょっと待てよ……!」
ヘルメットを被った顔が異様なまでに熱い。
思い返してみればレモ自身随分と大胆な台詞を吐いてしまったものだったが、ここでそんな話題を持ち出すシガもシガだ。恥ずかし過ぎてどう答えていいのかも分からず、レモは頭を抱えたくなった。
「なんでそういうことを素面で聞くんだ……」
覗き込んではいないが、きっと彼はいつもの無表情なのだ。
それにしても、いくら爆弾発言を落としてしまったからとはいえ、そんなことを改めて聞いたこともなかったくせに…レモは無意識のうちにシガの腰に強くしがみついていた。
「ついでに言うなら、俺は最近お前相手にしか欲情はしていない」
「っだから、そういうことを口に出すな!……っ恥ずかしくないのか」
「当初の予定にはなかったが、俺はお前が『好き』らしい」
シガの無駄によく通る声は、高速道路を走っていても聞こえる。
レモは思わず言葉を失くした。…いったいこの男は、今何を言ったのか。
「断定はしない。が、俺が執着を感じるのはお前だけだ」
「な……っ」
ますます何を言っていいのか分からず、レモは金魚のように口をぱくぱくさせた。頬ばかりが、これ以上ないくらいに赤く火照っている。
そしていつになく饒舌なシガは、…多少自身の感情に気がついた高揚感もあったのかもしれない、先程の質問を繰り返した。
「それで、お前は俺に触れられるのは嫌なんだろう」
「っ……!」
この男は何故、そんなことを聞くのだろう。
また、どのような答えを望んでいるというのか。
…嫌だと言えば、もう二度と触れないとでも言うつもりだろうか。…この傲慢な男に限ってか?
(っだいたい、なんで、なんでそういう聞き方を……!)
嫌か?と聞かれるほど答えにくいものはない。しかもこれほど直接的な聞き方をされるとは、予想斜め上だ。それ以上だ。
緊張し過ぎて声が出て来ない。
今更敵対した派閥同士なのだからと言ったところで、今のレモはとっくに首領としての立場を捨て去っているようなものだ。
「…い……」
「い?」
「っ繰り返すな!」
「ならはっきり言えばいい」
(こいつは……!)
恥も外面もあったものではない。レモ自身、あまり認めたくもない気持ちを口にしろだなどと。
ただ、最後に触れられたときに気付いてしまったのだ。
…好かれてもいないのに欲望だけで触れられるのは嫌だと。
つまりそれは逆を言えば。
(もう嫌だ!嫌過ぎる…!)
羞恥の度を超えた自己嫌悪。今までは克也のこともあって彼に対する感情を深く発展させる暇もなかったのだが、いざこうして考え直してみると、堪え難い感情だった。穴が在ったら入って奥の方まで逃げたい。
レモはヘルメット越しに顔をシガの背中に押し付けた。喉が引き裂けそうだった。
「い……、…や、じゃ……ないけ、ど……」
「けど?」
「っ、……、っき、もちもないのに、触れ…られるのは嫌だ…」
(畜生今すぐ舌噛んで死にたい……っっ)
熱過ぎて思考が真っ白になりかける。そんなレモに対し、シガはしばし沈黙した。
バイクは高速道路を抜けて、一般道に乗り出す。
間もなく学校が見えてきて、彼は。
「……後で嫌になるほど啼かせてやるから、楽しみにしていろ」
と、言い残し、バイクを止め、レモの先を歩き出した。
レモは思わず真っ赤になりかけ、ハッと現実に返った。
(っ、……克也……!)
言ってしまったことはどうしようもない。
とにかく、今は克也を助けなければならない。
レモはシガを追い抜いて、保健室まで駆け抜けた。











もう身体に、骨以外何もないみたい…。
分かるのは内側がもうすかすかで、ボクは、もう動く気力すらないってこと…。
ボクはどうなったんだろう。ボクは、このまましぬのかな。
あんまり辛いから、先生に麻酔打ってって頼んじゃった……。
それで自分の中にこもった。こもってさえいれば、ボクは何も感じなくて済むんだもの。
でも先生は、ボクの内部の活動が半端じゃないから麻酔の量も尋常じゃないくらいだって言ってた……。
だからボクは目覚めないかもしれないんだって。
…いつもの眠りならボクの意思でどうにか浮上出来るのに、今はぴくりともしないんだ。
もう、いいのかもしれない。
ボクはずっとこのままで、いつか躯が食い尽くされて、いつのまにか死んでいる。
そのときボクの意識は、ふっと何も気付かぬまま消えるのかな。
それとも…多少は何か思うのかな。走馬灯を見たりするのかな。

<克也!>

あれ、レモの声が聞こえる。
ぼやけて輪を描いて木霊する。ボクは重たい瞼を瞬かせた。
暗闇の中に薄らレモの姿が見える。
なんだ、レモ…そんなところにいたの。
どうしたの、なんだか昔みたい。そんなちっちゃくなっちゃって……。
<克也だって、子供みたいだ>
そうなの?ああ、言われてみればボクもいつもよりだいぶちっちゃいや…。
もともと低いからそんなに分からなかったんだけど…。
<克也、帰ろう?>
手を差し伸べるレモ。帰ろうって言ったって、ボクの躯はもうだめだよ。
痛くて痛くて、全部持ってかれちゃったみたい感じなんだもの。
<大丈夫だから>
…大丈夫ってどうして?んん、何?聞こえない。
<克也のお祖父さんに手伝ってもらったんだ。>
手伝って、もらった?それって、ボクを助けるために?
<そうだよ>
でもボクを助けたら、レモ達はどうなるの?
人間なれなくなっちゃうんだよ?
また、志賀君達と争うようになるの?
<…そんなことはしない。大丈夫だから、克也>
レモの大丈夫ほど、当てにならないものなんてないじゃないか。
<……本当に大丈夫だから。お願いだから、帰ろうよ>
…本当に、大丈夫なのかな。
でもレモ、ボクは自分の意思じゃもう起きれないんだ。
…意識が表に浮上出来ないんだよ。
<僕が克也を連れていく。痛みもないから。…目覚めなくていいなんて言わないで>
…本当に、本当に大丈夫なの?
ボクは何度もレモに確かめた。だってこれで振り出しに戻るようなこと、ボクはしたくなかった。
レモはボクの腕を掴む。
<…こんなことを言う資格なんてないとは思うけど、僕を信じてほしい>
ボクは。
…ううん。何言ってるのレモ。
ボクははじめっから、君のことを信じているよ。











ああ、もうなんて瞼が重たいんだ。
それに電気が眩しい………。
「克也!」
レモ。あ、…なんか、身体の中身が少し戻って来てる気がする。奇妙な感覚。だけれど、じわじわと体内が再生していくかのような、不思議な感覚。
「ごめん、克也……っ」
レモはボクの身体をしっかりと包み込んだ。…夢で見たレモとは違う、ボクよりも一回り大きなレモ。でも確かにボクを迎えに来てくれたのは『君』だから、小さかろうが大きかろうが関係なんてないんだ。
そうしてレモの横を見遣ると、夾子がいつもよりややソフトな感じで、
「…良かった。もう、心配したんだからね!」
と、言ってくれた。…ごめん、夾子。せっかく再び逢えたことだし、喜びの抱擁でも……ごめんほんとごめん。 ……でも、いったいどうしてボクは助かったの?おじいちゃんに手伝ってもらったって、どういうこと?
レモはボクから少し離れて、椅子に座り直した。
「…克也のお祖父さんに、体内に埋め込まれた種の影響を取り除く…解毒剤のようなものを貰ったのさ」
「うええ?」
「正確には夢幻派という影響を取り除く薬。…ワクチンのようなものでもあるそうだから、もう夢幻派は克也にどうこうしたりは出来ないよ」
「え……?」
曖昧な微笑を浮かべるレモ。
…夢幻派の影響を取り除く薬。夢幻派の影響に耐性をつけるワクチン。
…それってつまり、やっぱり、
「…夢幻派はもう人間になることは出来ないってこと?」
「…そうだよ」
でもそれは、その薬は、よく分からないけどレモの言い方じゃ夢幻派にだけ有効ってことなんでしょう?志賀君ら深層派や理性派には関係ない。もし他の派閥がボクにどうこうしようとしたら、レモ達は消えるしかないってことで……。
……、……。
レモは穏やかに微笑んでいるだけで何も言わない。何もかも諦めているかのようにも見える。
ちょっと待って、ちょっと待ってよ。
唖然としたボクは、そのときようやくベッドの反対側に志賀君が立っていたことに気がついた。
「だってそれって、レモ、……」
「派閥間の均衡は崩れた。僕らは防衛するのみで、深層派のような可能性は残されていない」
瞬間、レモは苦い顔をした。そうだよ、だって、一方的に滅ぼされる可能性のあるだけの関係だなんて。
やっぱり、やっぱり、レモ。ボクは助からなかった方が良かったんじゃ………!

「その心配はない」

「……え?」
口を開いたのは志賀君だ。
ボクは不安げに眉を寄せたまま、彼を見上げた。
彼は絶対的な優位に立ったにも関わらず、相変わらずの平静な顔だ。
「我々は個体に手を出すつもりはない」
「…どういうことだ」
不信感を露にしたのはレモだ。
けれども志賀君は至って澄ました顔で、腕を組んだ。
「簡単な話だ。夢幻派は無力化した。理性派はもとより個体を通じて人間化することに意欲はない。つまり深層派の存在を脅かすものはいない」
「…なら何のために、今まで克也を利用しようとしてきた?」
レモは今までに見たことがないくらい敵意を剥き出しにしている。
こ、これ大丈夫なのかな。
「分からないのか?」
「……」
「均衡を保ち続ける限り、一触即発の状態は続く。ならば夢幻派を唆してそのバランスを崩せばいい。無論、機会があれば積極的にとは言わないが深層派が個体の躯を獲得することも含めてだ」
つまり志賀君ら深層派は、積極的に人間になることではなく、消滅の回避を求めていたわけだ。
そのためにレモ達夢幻派を無力にしようとしていた。
…でも、積極的にとは言わないとはいえ、ボクの躯を奪った方が早かったんじゃないの…?
「労力の無駄だ」
ひどっ。つ、まり、ボク相手じゃ色んな意味で無理で疲れそうだからやめたってこと……?
「我々が動かなくとも、勝手に夢幻派が自滅するのを待てばいいだけの話だ」
「…お前は、僕が克也を徹底的に養分として利用出来ないと初めから読んでいたと言いたいのか?」
レモの声が低く響く。…そ、うか、レモがボクをちゃんとやってしまっていたなら、深層派は消滅するはずだったんだものな。なのに邪魔もせず、放置で。……そう考えると、レモの憤りも納得がいく。完全にすべて読まれていたってことだもの。
「勿論、夢幻派が土壇場で躓くよう、お前の心理を利用しようとしたこともあった」
深層派を滅ぼすのを躊躇するようにな、と志賀君は付け足す。
え、ど、どういうこと。もしかして、…ボクが二人の間の友情だと思っていたものが、う…

「…ハッ、お前の手段くらい読めていないとでも思ってたのか?」

その瞬間、棚に拳を叩き付けて立ち上がったのはレモだ。
彼は忌々しげに唇を歪め、拳を握りしめたまま志賀君をベッド越しに向き合っていた。
「舐めるなよ。対抗勢力の人間の心理を利用しようとするのは下衆な連中の常套手段だ。…貴様ら深層派のような連中なら尚更な」
レモは志賀君を睨んだのち、一瞬堪えるような表情を見せたような気がしたが、ボクの気のせいだったかもしれない。
そしてしばし二人が見据え合ってから、志賀君が再び口を開いた。

「…だが今日の帰り、俺が言ったことは本当のことだ」

…帰り?
ボクは意味が分からずというか会話についていけず、視線をレモに向けた。
彼の表情は変わらず険しかったけれど、…いつのまにか赤くなっていた。
「…ふざけるな、……っお前の言うことを一瞬でも信じた僕が馬鹿だった!」
えーと。
レモは少し涙ぐんでいるようだった。
「帰る!」
彼は鞄を引っ掴むと振り返りもせず保健室のドアノブに手を掛けた。
その背に、志賀君の声が飛ぶ。
「後で家まで行くからな。…約束通り」
途端にレモの肩がびくりと跳ねて、彼は逃げるように保健室から出て行ってしまった。
もう…真面目に緊迫感溢れてまずい状況かと思ったらいきなりよく分からないことになるし、レモはボクを置いて帰っちゃうし。
なんかとりあえずボクの安全は保証されたみたいだからもう良いけど、レモには明日にでも何か奢ってもらおう。













それから数ヶ月。
ボクは何事もなかったかのように毎日を送っている。
相変わらず隣にはレモも志賀君も夾子もいるし、結局はこれが一番平和で良いんじゃないかとは思う。
ただ、変わったことも色々ある。
ボクが夜レモに逢いに行くと、たまに先客で志賀君がいる。
なんか夢幻派と深層派間の結界のようなものを消したんだって、よく分からないけど。まあ派閥間の関係が修復したっていうのなら、それに越したことはないと思う。
けど一度だけなんだけど、ああ、これは現実の世界での話。
志賀君と喧嘩したのか何なのかレモが泣いて帰って来たことがあって、ボクが志賀君に文句を言いに行ったことがあった。文句って言ったって、レモは「なんでもない」としか言わないからボクも具体的に何か言えるわけでもなかったんだけどね。ただ志賀君に聞いたらちょっと内容が分かって、でも結局それはどう考えても志賀君が理不尽なことをしてて、ボクは叱咤しておいた。
だってレモが亜崎先生と一緒にいたから面白くなくてって、子供じゃないんだからもう。
いくら仲が良いからって、変な独占欲持つのはよくないよ。


それでボクと夾子のことなんだけど。
悲しいことにまだ友達以上恋人未満なんだ。はああ。
なんていうか、たまに現実世界にやってくるケイさんを見ると夾子がちょっと嬉しそうでさ。
ボクとしてはすごい心情複雑だったりする。どうなんだろう。
もしかして夾子はケイさんに気があったりするのかなあ。でも、ケイさんはレモ一筋だから無理だと思うんだけど。
でもボクだって決して嫌われてるわけじゃないし、今度クリスマスも近いから、…ちゃんと告白してみる。
成就するように今からでもいくらか積極的にアプローチするようにしてみるよ。少しでも気にしてもらえるようにね。


…ああそれと、理性派のネオさんたちのこと。
後から聞いた話、お兄ちゃんはボクが田舎に行っている間、ヨウコさんの家に泊まっていたんだってさ。どうりで帰ってもいなかったわけだよ。はあ。深入ったことは言わないけどね。
うん。はっきり言ってお兄ちゃんは毎日幸せそうだよ。同じ家にいるボクがやるせなくなるくらいにね。
ネオさんは以前ほどお兄ちゃんとは一緒にいない。ヨウコさんの邪魔をしちゃいけないって思ってるのかな? とはいえ志賀君にべったりってわけでもない。まあでもたまにうちのクラスに来て、ボクらや亜崎先生に挨拶くらいはしていくけど。
…亜崎先生は本当に何者なんだろうね。ボクの中の人ではないけど明らか事情知ってるんだもん。
もしかしたら、他の人の中の人だったのかも。それがおばあちゃんのだったらちょっと不謹慎だけど親近感湧くのに。
多分年齢から言ってそれはなさそう。まあ、中の人達の年齢って実際よく分からないけど。


「克也!もう授業終わってるわよ!」


ああそっか、今日の放課後は映画を見に行くことになってたんだった。
前回はホラーだったけど、今回は…恋愛映画。はは…嘘、推理サスペンス。
でもいつかは、手を繋いで恋愛映画を見に行けるくらいの仲になってみせるよ!

なんだかんだ言って、今も十分幸せなんだけどね。













FIN.




← Back/ Top/ 心身献上後書きへ