16.いけにえになった日

 





どうしてこんなことになったんだろう。
ボクはベッドに横たわるレモを、ケイさんと一緒に見守っていた。
レモが倒れたのは初めてのことじゃない。けれどそれは、無理が祟ったからであって、今回のようにぼろぼろになっちゃったからじゃない。明らか過ぎる打撲痕が、ボクの視界にちらついた。
「どうしてこんなことを」
ボクはケイさんに聞いたんだ。レモはボクを守るためにこんなふうに怪我をしている。
だとしたら、どうしてこんな怪我をさせられなきゃいけないのか、ボクだっていい加減知りたい。
ボクの躯を乗っ取ることは、それほど価値のあることなのか?
「あなたがいるからです」
ケイさんはそう言ってボクを突き放す。
多分志賀君にやられたであろう、腕の傷が痛々しかった。
けれどそれ以上に、ケイさんは苛ついている様子だった。
彼はレモをパトロンと慕っているから、こんな怪我を負わされたレモを見て面白いはずがないんだ。
それはボクに対して言った言葉にも鮮明に表れている。
ごめんね、ケイさん。
ボクが心の中で謝ると、彼は沈黙を破った。
「…私がパトロンと出逢ったのは、五年前のことです」
ボクは頷いた。それは少しばかり突然だったけど、きっと、彼は聞いて欲しいのだと思ったから。
彼はひたすらレモを見つめたまま、口だけを動かした。
「私は、埋もれていました。年齢が変動しやすい体質だったがために、友人は出来ず、それどころか薄気味悪がられてさえいました」
「年齢が、変動する?」
「例を挙げるとしたら、パトロンの外見年齢は現在のあなたの視点に合わせて十九〜二十二程度です。その程度の幅の増減しかありません。ところが私のような人間の場合、十六〜二十四程度と幅が広く、それも頻繁に十六から二十四になったりしてしまうのです」
「それって、ケイさんはレモよりも年上だってこと?」
「そういうときもあるということです。外見年齢は時折微修正されるので幅自体変わることもありますが」
…ややこしい。けれどつまり、少年だったり急に大人になってたりするってことなんだろう。
「理性派のセリも同様で、彼の場合は十二〜二十のようです」
…レモを刺した人のことか。ボクは黙って先を促した。
「出逢った当時、私は十九、パトロンは十七でした。私は一人で書物を読み耽る毎日でした。そこに何の因果かパトロンがやってきたのです」











私は、その人がパトロンであるということは知りませんでした。
何せ人との繋がりも希薄で、そんな情報が舞い込んで来る機会もなく、私自身興味すらなかったからです。派閥なんてもの、誰がリーダーであるだとか、どうでも良かったのです。
「本を貸してくれないか」
だからパトロンがそう言って来たときも、私は大変無礼な対応をしました。
…仮にその人がパトロンであると知っていれば、私とてお愛想くらいはしたでしょうからね。どうして私があなたに本を貸さなければならないのか。そういった主旨のことを私は言いました。するとパトロンは、カナンから聞いたんだ、とおっしゃいました。パトロンのお姉さんのような方です。そしてその当時、私とカナンさんは偶然仕事場が同じで、一度軽く話したことの有る程度でした。
友人というものを諦めてはいましたが、無駄に同僚と険悪になりたいわけでもありません。
私は仕方なくパトロンに本を貸し出しました。
「ありがとう」
パトロンは嬉しそうにそれを受け取って、部屋を出て行きました。
私は、私自身と接して微笑む人とは久し振りに出逢ったので、心無し嬉しく思いました。そして何度かそういった遣り取りを繰り返す日々が続き、ある日パトロンは私に名前を聞きました。
「今更だけど、君はなんて名前なの?」
その日の私は十五歳程度でしたので、彼を見上げながら名前を答えました。
不思議とパトロンは、私の年齢の変化の上限が大きいことに触れるようなことはありませんでした。パトロンはもともと人畜無害…というよりもお人好しな方で、また大らかなところもありました。なのでもしかしたら単純に、年齢のことなど気にするほどのことでもないと思われたのかもしれません。
そしてその翌日、私はいつも以上に年齢が低下、十三歳程度になっていました。子供です。
ですが仕事には赴かねばなりませんでしたし、私は十代後半の彼らに囲まれて仕事をしていました。
はっきり言ってしまえば、私は矢張り浮いていました。
精神的には彼らと同等程度のつもりではいましたが、彼らからしてみれば気持ちの悪い子供の男が混じりこんでいるのです。更には私たちの主人格であるあなたもその日は気分が優れなかったのでしょう。彼らはいつもにも増して苛ついていました。彼らは途中で私に小さな嫌がらせを繰り返すようになり、やがてそれは暴行に発展しました。彼らは苛つきを発散するかのように、楽しげに小さな異物である私を殴り、蹴り付けました。
本来の身体であればそんなふうにされることもない。私は屈辱で腸が煮えくり返りそうになりました。
とはいえ軟弱そのものの当時の私が大人数の『大人』相手に敵うはずもなく、私は惨めにも地面に転がされていました。
そして、其処へやってきたのが、パトロンでした。
パトロンは生まれたときからパトロンと決定付けられていましたし、彼らは大人しく散り散りと去って行きました。パトロンは私を助け起こしました。聞けばカナンさんから知らされたとのことで、私はわざわざ…『パトロン』という立場のくせにたかが一人の子供のためにやってきたパトロンを半ば理解出来ないような眼で眺めていました。
「ケイ」
その表情を見れば、優越感に浸っているわけではないということは分かりました。
たまに正義を振りかざして優越を得る。そういう輩がいることも私は知っていたからです。
しかしパトロンは単純に、私を心配して来てくれたようでした。根っからのお人好しだったのです。
私は嬉しかった。例えるなら、捨てられた子犬が再び拾われたときのようなものです。飼い主に対する完全なる依存の感情でした。
同時に、私はどうしようもない危機感を覚えました。
私とて、夢幻派の存在目的くらいは知っています。だからこそ、このどうしようもなくお人好しの人が、パトロンで良いのかと不安に思ったのです。
不安というよりも、心配でした。当時、パトロンは無邪気で、誰かを疑ったりするような捩くれた心など持っていなかったのですから。
パトロンとして矢面に立つということは、トップとしての重責をすべて担うということです。
特に、深層派との対立もありますから、事態は薄汚い方向にも向かうでしょう。私は、パトロンが『パトロン』には向いていないのではないかとさえ思っていました。けれども、その役割は生まれたときから決まっていて、逃れることなど出来ません。パトロンの代わりは他にいないのです。
したがって私は、パトロンを補佐したいと申し出ました。
人が良過ぎておそらく誰かを徹底的に痛めつけることなど出来ないであろう彼の、…彼が出来ないことを、私が代わりにして差し上げたい、と思ったのです。











話し終えて、ケイさんは黙り込んだ。
ボクは夢幻派と深層派の対立について、知らないことが多い。
なんたってボクのためにレモが志賀君と争わなければならないのか。
だからきっと、ケイさんの半分もレモの重荷を理解出来てない。
だけどもう片方、残りの半分。ケイさんの苦しみはちょっとは分かる気がした。
彼に負けず劣らず、ボクはレモを知っていたから。
幼い頃からの付き合いだもの。冷静に思い返してみれば、レモは争い事なんて得意じゃないんだ。昔からボクのお守りばかりして、痛いくせに黙って三つ編みされて、ボクが忘れている約束すら守って。
馬鹿が付くくらいのお人好し。…なのに今のボクは、そのレモに守ってもらってばかりいる。
なんでこんなにチビで弱くて無力なんだろう。ケイさんが『あなたがいるからです』って言ったのも納得だよ。…。
ボクは、レモの怪我を改めて直視した。
首を絞められた痕、頭部と腹部に巻き付けられた包帯。唇の残る僅かな血筋。
これが、ボクのせい。そうだけど、けど、なんで志賀君はこんなことをするんだろう。
ボクの身体がなんなの?本当は欲しがってもいないくせに何が目的なの?
ボクは、志賀君も根は悪い人じゃないと思ってた。だけど、…志賀君が何を考えてるのかさっぱり分からないよ…!

「…!…志賀君」

そのとき、部屋に志賀君と夾子が現れた。
ケイさんが警戒剥き出しの眼で彼を見た。ボクを守るように腕を伸ばす。だけれどボクはその腕を振り切って、我慢出来ずに志賀君に飛び掛かった。
「…っどうして、こんなことするの…!?」
ケイさんはボクを引き剥がそうとしたけれど、ボクは抗った。
だってわけも分からずレモを滅茶苦茶にされて、大人しくしていられるわけがないじゃないか!
「なんでボクの躯なんかが欲しいの!?っ答えてよ…!答えてよっっ!!」
眼球がじわりと熱くなる。ボクは夾子の静止も聞かず、がむしゃらに志賀君にしがみついた。喉が引きつり、勝手に涙が溢れそうになる。怒りでも涙が出るんだ、とボクは初めて知った。
志賀君は相変わらずの無表情で、ボクを見下ろしている。
ボクは泣き叫んだ。
「なんで?ねぇなんで…っ!なんで平気なの?」
「…」
「志賀君だって、ちょっとはレモのこと好きだったはずでしょう……っ?」

そしてそう口にした瞬間、ボクは自分がどうしてこんなに憤っているのか理解した。
確かにレモはボクを守るために怪我をした。
ボクは自分の不甲斐なさに情けなくなった。
レモを痛めつけた志賀君に怒りを覚えた。
けどそれは、ボクが、レモが志賀君に裏切られたと思ったから。
あんなに一緒にいたのに、志賀君は容赦なく…派閥のためとはいえ、彼をボロ切れのように扱ったから。

「…好き?」

志賀君の能面の如き呟きが、宙に浮いて漂った。
ボクは志賀君の制服を放し、ぎゅっと拳を握りしめた。
「…少しでも好きだと思ってなかったら、ただの敵としてしか看做してなかったのなら、…下駄箱で待ってあげたり、保健室に運んでってあげたりするわけないじゃないか!」
そういう積み重ねがあったから、ボクは二人の間には多少の友情じみたものが芽生えたのだと思っていた。
なのに、…なんで。
ボクは、顔を志賀君の制服の押し付けた。
「どうして」
「それは目覚めた夢幻派にでも聞くんだな」
彼はボクを振りほどき、背を向けた。
部屋を出て行きがしら、夾子が「…ごめんね、克也」とまるで志賀君の代わりのように言った。











強い風が吹き荒れる。
乱れる髪を押さえて、笑った。
「これが正しくないことだとは分かってるの」
自分より一回り以上大きな手のひらを握りしめる。
その手は震えてはおらず、彼女はほっとしたように息を吐いた。
「よかった。あなたが嫌がるなら、無理強いは出来ないと思ってたの」
「…嫌がるわけ、ないじゃないですか」
握る手に力がこもる。
……決断して、心は大らかになっていた。
「あなたと一緒にいられるなら、どうなってもかまわない」








「………カナン…………!!」




「レモ、意識が戻ったんだね!」
ボクは目を覚ましたレモに抱きついた。
彼は突如飛び起き、どこか放心状態に近い表情でボクを見た。
「…克也………」
意識のない間に悪い夢でも見たのか、彼は動揺した様子でもどかしげにボクの袖を掴んだ。そのまま何かに怯えているかのようにボクを強く抱きしめ、肩口に顔を埋める。ボクよりも大きな背中は、小さく震えていた。
ボクはそんなレモを愛おしく思い、彼の背を撫でた。
心の中では、ごめんね、と何度も繰り返し謝った。
彼はボクをずっと守ってくれていた。ボクのために、こんな怪我をさせてしまった。
だからせめて、ボクはレモを受け止めてあげたいと思った。
今まで散々受け止めてきてもらった分、今度はボクが彼を支えてあげたいと思った。
彼はボクにしがみつき、ボクは重みでベッドに倒れ込んだ。
「克、也」
掠れた声色。
「…いいよ、レモなら」
ボクがしてきたことを考えたら、彼になら躯を乗っ取られてもかまわないと思った。
これ以上彼に辛い思いをさせたくなかった。
だから、手を伸ばした。
それが、正しいと思った。



「どうして泣くの?」



途中、ふと見上げた彼は静かに泣いていた。
頬を伝う一筋の涙。それを手で拭ってあげると、彼は、

「…嬉しいからだよ」

と、ボクを抱き寄せ微笑んだ。
涙が、ひんやりと肌の上に落ちた。









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