13.散らばった日

 


「でも好きでもない。君は僕に無関心だ。君にとって僕は空気でしかない」
「……」
「けれど君以外にとってはそんなことはないんだよ。…確信犯、ではないみたいだけど」











ボクは思う。
…なんて、初っ端から何言ってるんだなんて思われるかもしれないけれど。
うう、ボクだってたまには真面目に考えることもあるんだよ。
それで、……彼が刺された事件から数日経って、ボクはある違和感をぬぐい去ることが出来ないでいる。
そのある違和感というのは、勿論理性派の人々のことだ。
彼女達はまるで貫通した傷口からするりと入って来たかのように、ボクの周囲にいる。
正確にはボクの周囲の人々の横に。
別に志賀君とネオさんが仲良くしようが、ボクには反って都合が良いだけだろうと思う人もいるかもしれない。
実際その分夾子はボクの横にいるし、それは嬉しい。
けれど何か変だ。
それは突然ふっと自分の仲の良かった人が他の人と仲良くしていたりだとかすると発生しやすい…嫉妬にも似た気持ちなのかもしれないけれど。
でも違うんだ。違和感の大部分はそれじゃあない。
ボクは二人が、ネオさんという存在があの事件をきっかけに滑り込んできたという事実に納得出来ないでいるんだ。
ボクは人間だから、『刺された』という事柄を小さく受け止めることは出来ない。
むしろそれは大きな事実で、その後に平気な顔して互いに接している二人を見ているとおかしい、と思ってしまう。
いくらネオさんが本人じゃなくとも、セリという人はネオさんのために刺したんじゃないの?
何より志賀君は、何とも思わなかったのかな。
少しはレモと仲良くなったのかと思っていたのは、ボクの勘違いだったんだろうか。
結局は敵対している同士、そんなことは有り得なかったんだろうか。
中立である、ネオさんの方が好きなんだろうか。
人間でないから、怪我なんて気に回す必要すらないのだろうか。
…………ああもうだめだ頭痛くなっちゃうよ、ボクは真面目に考えたりするのは得意じゃないんだ。
「夾子」
「なあに克也」
「…志賀君は、ネオさんのことが好きなのかな」
体育の授業のときは彼に逃げられてしまった聞きそびれたこと。
夾子はそのさらりとした髪をかきあげながらも、右斜め前のツーショットを見遣った。
眼を伏せる。
その長い睫毛がまたボクの胸のきゅんきゅんさせるとか、そんなこと考えてないからね! 「…違うわ」
「え」
「だってシガが女の子を好きになるなんて有り得ないもの!」
彼女は軽く笑い飛ばすと、足を組みかえた。
うっつ絶対領域が眩しい。ボクは目を背けた。
背けた先では、レモが亜崎先生と談笑していた。
「この学校の生徒達には理数系が苦手な子達が多いから、放課後補習の授業でも設けようかと思うんだよ」
「そうですか」
「でも誰も来なかったらこちらとしても肩すかしじゃない。だから、もし補習があったら来てくれるかな?瀬川君だったら」
「どうして僕に聞くんです」
「だって瀬川君理数苦手でしょう」
これが談笑と呼ぶのならの話だけど。
でも…ごめんレモ、やっぱり君が理数苦手なのはボクのせいだ。
全然認識を改めてないから。











克也がちらちらとこちらをよく見ていることには気がついている。
(克也は僕を心配している。…そのくらいは分かっている)
ぐしゃりを髪をかきあげ、彼の寝顔を見遣る。
授業中にも関わらず、彼の眠りは安泰だ。何せこの時間は自習なのだから。
(…僕だって克也に心配を掛けたくはない。……だけれど、)
ここ数日、酷く息苦しい。肺に酸素を上手く取り込めていないような感覚だ。
これが彼の言う『疲れ』というものなのか、それとも。
(分からない……)
自習プリントを進める手を止める。
視線を上げ、克也を通り越した先に視点を定める。
授業中なのだから当然、近頃付きっきりの彼女の姿はない。
喉に物でも詰まったかのように息が滞る。
(どうして)
彼と彼女の組み合わせを見ただけで、こんな症状に見舞われなくてはならないのか。
息苦しくなって、胸に重しでも乗せたかのような。
これではまるで、
(……違う…、こんな感情、僕じゃない……っ)
…そんな答え、認められるはずがないではないか。











放課後になって、ボクは帰る前にトイレに行きたくなって一度教室を出た。
本当はトイレ行って来るから、って夾子を待たすのは嫌なんだけどね。
そして教室に戻る途中、ボクは階段を下りて行くお兄ちゃんとネオさん達の姿を見た。
どうやら放課後はネオさんは志賀君のところにいるつもりはないらしい。
でもそれはようこさんのため、なんだろうか。
ようこさんがこの間お兄ちゃんと好きだと恥ずかしそうに態度で物語っていたから。
なかなか消極的そうな人だから、その仲を取り持つために?分からないけど。
「でね、他の先生方とも話し合って、火木だけ化学室で補習することになったんだ。その日は科学部が休みだから空いてるしね」
教室に戻ると、教卓前で亜崎先生とレモがまたもや話していた。
先生はボクについて…何だか知っているみたいだし、レモにしてみれば他のクラスメートよりは話しやすい相手なのかもしれない。
先生も他の生徒を相手にするよりかは生き生きしているような、何だろう、親近感があるような感じ。
それを教室の右端…否、教卓側から見ると左側から眺めている生徒二人。
夾子と志賀君だ。
やっぱり、なんとなくだけれど、この二人の組み合わせは落ち着く。
……ボクの立場として、落ち着いていいのかは別として。
「克也、遅いわよ!」
ごめん途中お兄ちゃん達を眺めてて。
ぱっと机の上から下りた夾子は、ひょいっと鞄を肩に掛けた。
一方志賀君は、…あれなんか不機嫌そう。
相変わらずの無表情ではあるけれど、視線がどことなく機嫌悪い。
「じゃあ、帰ろうか」
あ、レモ。先生は?
「これから職員会議だって言ってたけど?」
あ、そう。否、別に含むところがあるわけじゃないけどね。

帰り道、ボクは夾子と和気藹々。
と、和やかにいきたいところだけども、後ろの空気を無視してそれは出来ない。
レモと志賀君。なんだか暗雲が後ろからずんずん立ちこめてくるのは気のせいかな。
時々苛々した雷がこちらにまで飛んで来る。
「最近ネオと仲が良いんだな」
うわレモダイレクトに。
まあボクも「ネオさんのこと好きなの?」とか聞いたあたり似たようなものか。
「…」
「そのまま二人でくっついて、克也のことを諦めてくれると有り難いんだがな」
うーん、そんな上手くいくかなあ。
って違う違う、ボクがそんなこと考えてどーすんの。
志賀君は切り返す。
「別次元の話だ」
「……」
ちょ、何これ空気が痛いのが伝染してくるんだけど。
二人とも何となく苛ついた声。
レモの場合は『理性派なんざといちゃこきやがって』みたいな気持ちは怪我させられたわけだし分からないでもないけど、志賀君はなんで?
結局、その日は別れるまでそんな感じが続いた。
夾子も少し呆れてたくらいだ。











「大丈夫?顔色悪いわよ」
カナンの指摘に、動かしていた手を止める。
日々克也の思考から生まれる様々な欲求を捌き、心の水面下における安定化を図るのも重要な仕事だ。
過剰に供給されれば夢のバランスが崩れる。
「大丈夫だ、問題ないよ」
普段他の者に任せている仕事も、克也が夢を見ているときくらいは手伝わなければならない。
それに、そうでもしていないと、馬鹿みたいに死んでしまいそうだった。











そして次の日、レモは日直で朝から亜崎先生と話していた。
でも、今朝も変わらずネオさんといる志賀君を、全く見ようともしない。
ああ、やだな。
ボクはせっかく二人の間に成り立っていたかもしれない友情が壊れていくようで目を塞ぎたくなった。
もともとそんなものがあったかも分からない、って本人達には言われてしまいそうだけれど、ボクはそうだったと信じたい。
それほど、女の子(異性)の存在って怖いんだなあ、と思わざるを得なかった。
そもそもボクは志賀君の考えていることがまず理解出来ない。
あの事件を境にネオさんと年がら年中一緒にいるようになるなんて、極端過ぎるんだよ。
全くの他人が見れば、『友情を捨てて女をとった』てなふうにも見えてしまう。
志賀君はそんな人じゃない。けど、ならどういうつもりなんだろう。
ネオさんと志賀君が一緒にいる構図は、実に絵にはなるけれど。
なんというか、美男美女って感じだし……。



昼休み、ボクと夾子、志賀君は黙々とお弁当を食べていた。
一方レモは食事を早めに切り上げて、せっせと日直の仕事に精を出している。
今なんて壁のお知らせだの今月予定表などの紙を張り替えている。
そんなの日直の仕事じゃないと思うのだけれども、レモは先生と仲がいいからつい頼まれてしまうのだろう。
もしかしたら、志賀君の顔を見たくないだけなのかもしれない…けど。
先生も教卓で用紙に赤ペンで何やら書き込んでいる。
……ん?なに、補修対象者?うわ、嫌な匂いがぷんぷんする。
絶対ボク引っかかってる。そんなアンダーライン引いて強調しなくていいよ先生。
そしてパソコンで何かぱちぽちチェックし、そのパソコンがピガーと機械的な音をたてる。
「あいつ本当に真面目ねぇ」
夾子も感心したように言う。うん、夾子とは多分真面目の方向性が違うよね。
夾子はやるときは念入りに、という真面目で、レモは常日頃から真面目にだもんな。
ボクは……言わずもがな真面目じゃないけど。
志賀君は真面目というより何故か出来てしまっている万能型かも。
いいなあ、ボクもそんな人間になりたかった。
呑気なことを考えるボクを前に、志賀君はやはり不機嫌…これはもう不愉快のレベルだろうな、不愉快そうにお弁当を食べている。何が不愉快そうって、これまた視線が。
分かってしまうのは、志賀君がボクの中の人だからかな。
強いて言うなら、お弁当食べてても全然意識は別の方向に集中しちゃっているような。
それがネオさんのことについてだったら、ボクも「うん……」ともはや悟るくらいしか残る術はない。
夾子は「シガが女の子を好きになるなんて有り得ない」って言っていたけど、実際どうなのだろう。
そこは夾子の方が長年の付き合いなわけだし、詳しいのかもしれないけれど。
う、複雑。夾子が夢幻派だったらきっとボクの方が長い付き合いだったろうに。うー。
「瀬川君、これらそっちに置いといてくれる?」
「あ、はい」
先生はどっさりとしたプリントをレモに手渡した。
多分進路希望とか公欠届とかボクらが自主的に取るためのものだ。
進路かあ、ボクどうしようかな。
そんなことを考えつつ、お弁当のご飯を箸で突っついたとき、バサバサッと紙が散らばるような音が耳に入った。
見ればレモが青い顔で壁に寄りかかっている。
先生ががたんと椅子から立ち上がり、その肩を支えた。
「大丈夫かい、顔色が悪いよ」
「……大丈夫です」
レモは頭を振って、屈んで散らばったプリントを拾い集めた。
だけれど立ち上がってそれを先生に渡そうとしたところ、
「瀬川君!」
ぐったりと倒れ込んでしまった。
先生にもたれかかったその身体は全く力が入っていないようで、ボクは思わず立ち上がった。
だって明らかに尋常な事態じゃないよ!
「先生、レモは……っ」
お弁当なんか放ったらかしてボクは現場に駆けつけた。
先生に抱きかかえられたレモは真っ青な顔をして、意識がないようだった。
「…分からない、とにかく、保健室に運ぼう」
馬鹿!無理ばっかりするからこういうことになるんだよ!
でもやっぱり……ボクの責任だ。彼を疲れさせている大半の原因はきっとボクだ……!
やっぱり、やっぱりせめて夜だけでもボクが逢いにいかなければ良かったんだ!
そしたら彼は少しでも休むことが出来たのに……!
先生は、レモを抱きかかえ、保健室に運んで行こうとした。
大丈夫なのかな、先生だって決して頑強なタイプじゃないんだから、ボク手伝うよ。
ああ、なんて貧弱なんだボクは。

「亜崎」

威圧感のある、それでいてよく通る低い声。
はっと振り向いたボクの後ろには志賀君が立っていた。
そしてボクの横を通り抜け、先生を睨みつけた。
「こいつは俺が運ぶ」
レモを彼自身の腕の中に引き寄せ、軽々と抱き上げる。
同じくらいの身長なんだから決して軽くないだろうに、志賀君の腕力は普通じゃない。
「参ったね」
残された先生は、笑って肩を竦めていたけど……

五時間目休みにボクは保健室へと向かった。
どうしてもボクはレモに謝りたかった。
きっとレモはボクのせいじゃないって言ってくれるだろうけど、実際彼がボクのために無理している部分があるのは事実だもの。
最近は志賀君はボクに手を出したりしていないけど、それで油断するわけにもいかないから。
…ボクは一度、志賀君にちゃんと話してみないといけないのかもしれない。
だって志賀君は、ボクの身体の支配権なんかにとても興味がありそうには思えない。
だから説得すれば、どうにかなるかもしれない。
もしそうなれば、もうレモもボクを守ったりしなくて済む。
…現実世界で一緒にいられないのは寂しいけど、彼に無理させるよりはずっと良い。
「…」
保健室前でボクは立ち止まった。
ドアをノックしても、返事がない。
先生いないんだろうか……。
ボクはひょっこり背伸びして、ドアの窓ガラスから中を覗き込んだ。
……保険医の先生はいないみたいだ。
だけど、ベッドの横に志賀君が座っている姿が見えた。
じっと、ベッドに横たわるレモを見下ろしている。
どうしよう、なんか入りにくいな……。
うーん……ふと思ったんだけど、…なんか変なの。
何が変って、本当に変な言い方だけど、…レモは今倒れていて、志賀君にしてみればボクに手を出す絶好のチャンスなわけで。
なのにこんなふうにレモを見舞っちゃってるなんて、なんか変だよね。
……少しは志賀君も、レモを心配してくれてると考えてもいいのかな。
ネオさんのことでだいぶ疑いかけてたけど、ちゃんと友情のようなものは感じてくれていたのかな。
……とにかく今日は、入るのはやめておこう。
水を差す?のも何だし…ボクの姿見てやること思い出されても困るし。


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