12.にごった日

 




「嫌なら拒絶すればいいんだよ。僕は無理強いとか乱暴なことは嫌いなんだ」
「嫌だと言った覚えはないが?」











翌日の昼休み。
ボクの周囲はなんだかガヤガヤしてる。
何よりあれはどういうことなんだろう。
ボクの右斜め前の席。
勿論志賀君の席なんだけど、座っている志賀君にネオさんがぴたりとくっついている。
ボクは先日の真夜中、志賀君から電話で『レモが刺されたのは志賀君を好きなネオさんにとって邪魔だから』と聞かされた気がするのだけども。違ったっけ?
別にレモがいてもいなくてもこれ変わりないじゃないか。
何のために刺されたのさ、ってのも変な言い草だけど。
レモはレモでようこさんと向き合ってるし。
「この間借りたハンカチ、返すよ。ちゃんと洗ったから」
「え、あ、はい、すいません、わざわざ……」
「こちらこそ。……君は理性派なのに、優しいね」
「えっ、あ、ありがとう、ございます」
レモの輝かんばかりの王子様スマイルに、真っ赤になって俯くようこさん。
クラスメートの女子を相手にするときも彼は大抵こんな感じで。
でも絶対レモ無自覚だもんな……天然タラシだもんな……。
ボクがだったら絶対引かれるだけに、羨ましい。
もしお兄ちゃんがこの光景を見てしまったら真っ青も真っ青。むしろ白くなっちゃうかも。
「お似合いかもね」
ボクの横にいる夾子は口を尖らす。
なんだろう、志賀君をネオさんに取られたみたいで面白くないのかな。
ボクとしてはそれはすごく複雑なんだけども……。
夾子の言葉に、ようこさんはぶんぶんと首を振る。
耳まで真っ赤だ。
「あ、で、でも私は直也さんのことが……っ」
「ほら、あまりからかっちゃ駄目だよ」
レモは爽やかにボクと夾子に注意する。
なんだか今日のレモ、妙に爽やかで不気味…ではないけどおかしいんだけど。
今にもようこさんの手を取って接吻でもかましそうな雰囲気だ。
…そして、ボクはこういうときのレモを知っていた。
彼が妙に爽やかなときはそれはとても不機嫌なときだ。それかボクに対して接するとき。
多分今の彼は前者なんだ。でも、どうしてだろう。





夜になってボクは部屋でいそいそとゲームをしていた。
後少しでクリア出来そうだから、止めるに止められない。
「克也ー、開けるぞー」
そこにお兄ちゃんがやってきた。何の用だろう。
もしボクが年頃の青少年らしいことをしていたら、今頃大慌てだったろう。
ボクはゲームをする手を仕方なく止めて、ドアへと向き直った。
風呂上がりなのか、お兄ちゃんの髪はたっぷりの水分を含んでいる。
「おふくろが今度の休みに田舎に行くってよ」
「ふーん?分かったよ」
あ、ちなみに俺は先約があって行けないから、とお兄ちゃんは鼻の下を伸ばして扉を閉めて行った。
どうせ女の子とデートなんだろう。
相手は、…ようこさんかな、ネオさん、かな。
ボクはゲームを再開した。





翌日も、ボクはもうなんと言っていいのか分からない。
ボクの前方ではネオさんが志賀君の腕に腕を絡ませ密着しているし、後方ではお兄ちゃんとようこさんがこれまた初々しい会話をでれでれと繰り広げている。
正直、カップルに挟まれるのは青い心臓に堪えるから、やめてほしい。
これで夾子がいればまだ救いがあったのもの、夾子は、
「あの二人を見てると胸焼けするったらありゃしないわ!」
と、先に行ってしまっている。あーあ。
隣にいるレモも、この間の怪我の件も含めこれまでの疲れが出てるのか比較的口数が少ない。
もしかしたら夾子みたいに単に胸焼けしてるだけなのかもしれないけど。
……どちらにせよ、疲れないなんてやっぱり嘘だ。
もう学校なんか遅刻して、そこらのベンチで休もうよ、って言ってしまいたい。
ボクだってかなり胸焼けしそうな気分なんだ。
「レモ」
「?なに、克也」
「怪我はもう完全に治ったの?」
「ああ…大丈夫だよ」
二日前、ネオさんは「二日三日」はかかると思ったのになあって言っていた。
なのにレモは一日で平気になった口振りだったから、ボクはもやもやした不安を抱いていたのだ。
けど累算して今日で三日目だから、ネオさんが言っていた日数がかかっていたとしても、もう治ったはずなんだ。
人間だったら絶対全治一ヶ月とかそのくらいじゃないだろうか。
ボクは刺されたことなんてないから分からないけど、そんな簡単には傷口は塞がらない気がする。
そんなある意味便利なのに、志賀君ら深層派はいったいボクに何を求めているんだろう。
支配したところで何か楽しいことでもあるのかな。





体育の時間。
水温が足りないだとかで水泳は中止、ボクを含めクラスメート達はグラウンドでサッカーをしていた。
でもボクはサッカーとかそういうのは苦手なんだ。
強力なパスが来ても足が折れそうだし、競り合っても吹っ飛ばされるし、シュートしようとしてもキーパーに簡単に受け止められるし。
要するに脚力を始めとしたパワー不足だってのは分かっているけど。
クラスの皆もそれは分かっていて、あまりボクにパスは回ってこない。
高校生くらいの男子ってのは皆激しいゲームを求めているみたいだから。
ボクが参加出来るとしたら、なんだろう…ドッジボールか卓球くらいだよ。
ドッジボールなんて中学生以来やってないけどね、あれは避けるだけでも参加は出来るから。
さて、そんなことを考えている間にもボクの後ろを皆が駆け抜けて行く。
フォワードとディフェンダー同士のテクニックのぶつかり合い。なんて言っても所詮体育の授業。
シュートが入るかと思いきや、キーパーに阻まれボールはこっちに飛んで来た。
「境!」
うわーやだやだ。
ボクはそのボールを蹴り、とりあえず味方へと回した。
それだけでも感謝されるんだからボクのクラス内のポジションってどうなっているんだろう。
よっぽど貧弱なのかな。
ところで、先程のシュートを防いだ味方側のキーパーは志賀君なんだけれども。
志賀君なんてボクとは正反対の体格してるんだから、もっと積極的にゲームに参加すればいいのに、最初彼はポジション決めの際、全くやる気がなさそうだった。
それでもキーパーをやっているのは他のクラスメートに頼まれてしまったからだ。
「志賀君」
ボクは暇だったので、志賀君に近寄って行って話し掛けた。
今ボールは向こうのゴール側にあるし、当分こっちには来ないだろう。…多分。
彼は相変わらずの無表情で、ボクを見下ろした。
キーパーの格好が妙に様になっている。
「志賀君は…ネオさんのことが好きなの?」
昨日から気になっていたことを、ボクは尋ねた。
だってあんなに休み時間登下校問わず一緒にいたら誰だってそう思うじゃない。
ボクだったら、好きでもない女の子とずっと一緒にいるとかいう真似はしないよ。
あ、夾子は別としてね。夾子と志賀君は深層派繋がりだし。
「境ー!」
ちょっと待ってよまたこの展開なの?
おそらく向こうのキーパーが蹴り飛ばしたであろうボールが、こっちのゴールにまで飛んで来た。
此処でボクが入れてしまえば、ボクのチームに一点プラスだ。
だけどボクは志賀君相手にシュート決められる自信がないよ!
「克也!」
あ、レモ。
ボクは思わず、レモにパスをしていた。
が。
「し」
「ありがとう克也!」
「しまったああああああ」
レモは敵だったんだ!ひどい、これはレモの普段の信頼をたてにとった策略だ!
先入観でレモは味方だと思い込んでいた。
うぐぐ、それにしてもレモはよく動くなあ。
てっきり水泳の授業のときみたいに見学かと思ったんだけど。
ん?あれ、でもわりとすぐパスしちゃってる。
やっぱり、あまり動きたくはないのかな。
そういえば、足は。
ボクは遠目に彼の足を眺める。別に怪しくないから。
……。
………うーん、本当に大丈夫みたい。
彼の太腿には、一切傷跡のようなものは残っていなかった。
「あ、それで志賀君」
さっきの質問の答えは?と確かめようとして、チャイムが鳴った。
「終わりだな」
「え」
志賀君はすたすたと歩いて行ってしまった。
うわー、そりゃないよ。











「ニロ」
ニロが夢幻派のカナンと親しくしているということは、首領であるシガの耳にも入っていた。
そして二日前、セリに遭遇したということもだ。
野菜炒めを作っていたニロは、名前を呼ばれてフライパンを握ったまま振り向いた。
「なんだ、シガ」
「……」
「晩ご飯ならもう少しで出来るから、テレビでも見ながら待っててくれよ」
彼もシガが何について話そうとしているかは分かっているのだろう。
けれど、分かっていながら自分から話そうとしないのは、彼の中に後ろめたい部分があるからだろうか。
セリにも指摘された派閥間の『壁』。
その壁はいつか自分たちを切り離す、と彼は考えているのだろう。
(無論あれが間違ればそうなる)
シガは秘かに舌舐めずりすると、
「お前の好きなようにすればいい」
ニロの背中にそう投げかけた。





公園の花時計の前で待ち合わせる。
カナンはニロの姿を見つけて駆け寄った。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって」
「いえ、俺もついさっきついたばかりなんで」
にっと笑ったニロに、カナンは笑い返した。
「嘘ね。顔が真っ赤よ」
「カナンさんに逢えたからですよ」
「相変わらず口がお上手ね」
この炎天下の中、いったい何分前についていたのだろう。
カナンはハンカチを取り出し、ニロの額の汗を拭ってやった。
するとその顔はますます赤らんだ。
「そんなんじゃ本命の彼女相手のとき失神しちゃうわよ」
「ハハ、これは一本とられましたね」
「あ」
ニロはカナンの手からハンカチを取り、鞄に入れた。
「今度洗濯して返します。俺なんかの汗吸っちゃって申し訳ないですから」
「べつにいいのよ」
「いいんです。カナンさんに逢う理由が欲しいだけですから」
本当に口が上手い。
だが、それが本当だったらいいのに、と思う気持ちが自分の中にあることに、カナンは気がついた。
(馬鹿ね、すっかり彼の口車に乗せられて)
芽生えかけている気持ちをぐっと押さえる。
いくら彼と過ごす時間が楽しくとも、それはこの瞬間だけのものでしかない。
彼には好きな人がいるし、この瞬間も永遠には続かない。
(割り切らなきゃ)
本気になってしまう前に。
「じゃあ、行きましょう?」
二人は街へと繰り出した。

行き交う人々の間に混じるように、並んで歩く。
そして自分たちのように男女で歩いているのは、大抵カップルだということに気付かされる。
「なんだか俺たち恋人同士みたいですね」
「何言ってるの」
「ハハ、冗談です」
ニロは軽やかに笑う。
「あ、ここ入りましょ」
立ち止まる。カナンは店の看板を見上げた。
「……お好み焼き?」
また随分この世界のデートスポットには似つかわしくないところね。
と、考えかけて、カナンは眼を伏せた。
(私、どうかしてるわ)
別にこれはデートではない。
いつのにか彼の言葉に本当に乗せられている。
ホールに席まで案内されながら、ニロは大きな口で微笑む。
「カナンさんは意外とこういったところの方が好きそうかな、と思って」
見れば至る所から、大きな鉄板の上で焼かれる芳しい匂いが漂ってくる。
「夕方なのに随分繁盛しているのね」
「夜になったらもっと込みますよ。家族連れが増えますから」
座布団に腰掛け、ニロがメニュー表を広げた。
眺めてみるともんじゃ焼きだの餅入りだのと一見して初めてのカナンにはよく分からない。
「まあまず始めはオーソドックスにいきましょう」
テーブルに設置されているボタンを押す。
注文を受けに来たバイトであろう少年にニロはカナンにとって分からない単語を発し、少年は去って行った。

ニロが器用に具材を焼いているのをカナンは眺めていた。
「上手いのね」
「前此処で一時期バイトしていた時期があるんです」
その頃はわざわざ店員が焼く方式で面倒だったんですよね、と彼は口を緩めた。
焼けたものをへらで切り、皿に盛り分ける。
「あ、美味しい」
「でしょう。良かった、久々だったんで腕が鈍ってるかとひやひやしてたんです」
いつのまに注文したのか、彼は二枚目を焼いている。
しかしふと、その視線が少し険しくなった。
「カナンさん、この間の怪我は大丈夫でしたか」
「え、ええ」
セリに突き飛ばされたときのことだろう。
カナンは打ち付けた箇所をそっと撫でると、「大丈夫よ」と微笑した。
確かにセリは尋常ではない力であったが、特に酷い怪我をしたというわけではなかった。
ニロは胸を撫で下ろし、一旦口を引き結ぶと、
「本当はあれから、ずっとそれこそさっきの比じゃないくらいにひやひやしてました。もしあの後、そのとき気付かなかったところを怪我していたらどうしようと」
「…どうしてあなたがひやひやするの?」
「自分勝手な理由です。もしそれで貴女に二度と逢えなくなったらと」
胸を突く言葉に、カナンはぎゅっと打ち付けた箇所を押さえた。
(……卑怯だわ)
そんな真剣な顔で、そんなことを言うなんて。
カナンは震えそうな唇をぐっと堪え、無理に澄ました顔をしようとした。
「大丈夫よ、本当にそんな酷い怪我じゃなかったもの」
「……ええ、今日、貴女の元気そうな姿を見て心底ほっとしました。それに、それだけじゃない。もしかしたら貴女は怪我のことがなくとも俺に逢ってくれないかもしれない、と思っていましたから」
……彼はきっと、カナンがセリの言っていたことを気にしているのではないか、と思ったのだろう。
_____『あなたがたはなんてけがらわしい』
「私は、あの子の言うことを気にしたりなんてしないわ」
だってけがらわしいことなんて、一つもないもの。
カナンは精一杯微笑んだ。
……本当はセリの言いたいことが、嫌というほど理解出来てしまっていた。
敵対する勢力同士の愛ほど無意味で身勝手で蔑まれることはないのだ。
(……でも彼との間柄は、愛じゃないのよ)
そう自分に言い聞かせながらも、カナンは胸にある感情の正体を認めずにはいられなかった。

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