11.眠れなかった日

 




寝ようとすればするほど眠れなくなって。
ボクはベッドの上でずっとシーツを握りしめていた。
本当は今すぐにでも、レモのもとへ行きたいのに。
刺された?
どうして……、ケイさんの表情を見ていて分かった。
多分通り魔とかいう行き当たりばったり的な、相手は誰でも良かったとかそういうのではないんだ。
ボクの中の誰かが、刺したんだ。
志賀君は理性派、って言っていた。
でも理性派って何なのさ。深層派とも夢幻派とも違う。
だけれども、…ボクだ。
…ボクなのにどうしてボクが願ってもないことをするのだろう。
ボクであってボクではないから?
わけが分からないけど、今までの知識を総て引っ括めるとそういうこと。
レモや志賀君がボクであってボクでないように、その理性派の人々もボクでは、ない。
だからってどうしてそんな酷いことをするのかな。
人間じゃないからすぐ治る?でも怪我はするんじゃない、その一時でも休まなきゃいけないんじゃない。
痛いんでしょう?
人間じゃないから心配いらないなんて嘘だ。痛いくせに。
ボクは君と小さい頃から一緒にいるんだ。そのくらい知ってるよ。
痛みも何も感じないのなら、怒ったり泣いたり喜んだりなんて出来ない。

ボクは布団を抜け出した。
深夜十二時十五分。でも、こんな状態でやっぱり寝るなんて無理だよ。
下からはお父さんとお母さんが話している声が聞こえてくる。
お兄ちゃんは明日早いと言っていたから、もう寝ているのだろう。
ボクはテレビを見る気ももなれず、漫画を読む気にもなれず、ベッドの上でただぼうっとしていた。
今日はレモとは逢えないんだろう。
もともと彼と出逢えていたのは夢の中だけであって、現実世界で逢えるようになったのは彼が来てくれたから。
彼がこの世界に来れないと、ボクが夜眠れないと、ボクらは逢うこともままならない。
最近いつのまにか忘れかけていたけれど、ボクらは住む世界が違ったんだ。
まるでボクが読む気も起こさない漫画みたい。
ボクは部屋にある電話を見た。こんな時間に迷惑?
だけれどボクは番号を押していた。掛けた相手は夾子ではない。
到底電話には向いていなさそうな彼にだ。
緊急連絡網を見て掛けた電話。彼の家にも電話があるのかと思うと少しだけおかしくなる。
彼が電話に出た。
かなりの無愛想。
電話だと相手の喋り方でしか判断出来ないから、彼のように無口な人相手では余計困ってしまう。
「ちょっと…聞きたいことがあって」
沈黙している。一応、聞いてくれてはいるんだろうか。
ボクは不思議と緊張はしていなかった。
電話だと危害を加えられる恐れがないから?分からない。
「理性派ってなんなの?…どうして、レモは刺されたの」
間。
「志賀君は知ってるの?」
夜分遅くにいきなりこんな電話を掛けるのも相当迷惑で失礼だとは思った。
けれど志賀君は特に嫌そうな様子もなく、…あくまでも声の調子でだけど、
『……理性派は後進の中立勢力だ。夢幻派首領が刺されたのは、単純に一分子の人格的問題に過ぎない」
説明してくれた。が、意味が分かりそうで分からない。
「…ごめん、もうちょっとソフトに」
少し間があった。怒ったのかな、と思いきや、
『理性派は深層派夢幻派よりも後に浮上してきた連中で、お前自身に危害を及ぼすことはない。あいつが刺されたのは、理性派のうちの一人のセリという男が、やや異常な性格だったためだ』
「ご、ごめん…ありがとう」
なんだか申し訳ないような気分になり、ボクはお礼を言った。
つまり理性派のセリって人がちょっと性格に問題があって、レモを刺しちゃったと。
でもどうして、いくら異常者だからってレモがいきなり刺されなきゃならないのさ。
『セリは理性派の首領であるネオに執着している。ネオにとって夢幻派首領は邪魔になるということだ』
「邪魔ったって、中立なんでしょう?」
なにがどう中立かってのはよく分からないのだけども。
『簡単な話だ』
「え?」
『セリはネオが幸せになることを望んでいる。いわば忠実過ぎる下僕だ。そしてネオの望みは、必ずしも理性派にとっての望みだけではない』
「……つまりネオって人の望みを達成するには、レモ個人が邪魔だったってこと?」
志賀君は沈黙する。
それにしても下僕って…レモだったらそういう言い回しは絶対しないよなあ……。
とかそんなこと考えてる場合じゃなくて。
夢幻派首領としてではない、個人としてレモが邪魔。
……なんで?
『お前がキョウコと俺を見て面白くないと思っているのと同じことだ』
「え!」
ちょ、ちょっと!うわ電話切られた!
夾子と志賀君を見ててボクが面白くないって、それはあのつまりその。
なんで知ってるの。え?ちょっと待って冷静になれ。
ボクが夾子に…とかいうことはまず横に置いといて。
面白くない。レモが邪魔。幸せ。ネオという人の望み。
えーと。
それって、ネオという人が志賀君と一緒にいるレモを見て邪魔だと思っているってこと?
ネオという人は志賀君が……好き?
セリという人はそのとき何らかの理由を託つけたかそのまま邪魔だと言ったのかどうかは知らないけど、ネオという人のためにレモを排除しようとした?
ちょっと待ってよ。そりゃないよ。
ボクだって志賀君を排除しようだなんて考えたことないのに。
でも異常な性格…だっけ。…やりかねないのかな。





結局ボクは布団の中でまどろみ意識を失ったか否かの程度で、朝を迎えた。
隣の部屋ではお兄ちゃんの目覚ましが鳴り響いている。
今日、レモは学校に来るのだろうか。
一日で治ると言っていたから、来るとは思うけど……。
…ボクも今日は、早めに学校に行こう。
レモの家の留守電に電話を入れて、今日は迎えにこなくていいから、って言って。
と、ボクはそうしようと思ったんだけれど、学校の連絡網は名簿の前後の人の分しか配布されていないんだ。
つまり志賀君は日直で一緒になったりしただけあってボクの前後に入っているんだけど、レモは入ってないんだ。
うわ……失敗。
まあしょうがない。ボクは朝ご飯を食べてさっさと家を出た。
…出ようとしたんだ。
「あ、克也君、おはよう」
そしたら玄関前には音嗚さんとようこさんの姿。
いくらボクが鈍くったって薄々気付いてる。だって音嗚さんはネオさんだもの。
…この人が、理性派の首領さんなんだ。
「お、はようございます」
志賀君は理性派の人はボクに危害を加えることはない、って言っていた。
…志賀君は嘘はつかない人だから、それは本当なんだと思う。
でも……なんだか不安だ。
そんなボクの不安を読み取ったのか、ネオさんは、
「…大丈夫だよ、直也を待っているだけだから」
と微笑む。そう、前々からネオさん達はお兄ちゃんと一緒に登下校していた。
それが何のためなのかは分からない。中立なら、どうしてボクに関わったりしようと思うのかも。
ネオさんは屈み込んで、ボクの頬をそっと撫でた。
「怖がらなくていい。僕達は僕達を作り出してくれた君に感謝している。こうして現実世界にいるのは、外の生活を楽しんでみたいと思っただけなんだ」
せっかく深層派も夢幻派も外にいるわけだしね、と彼女は言う。
確かに、ネオさん達みたいな人達はずっとボクの中にいても暇だろう。
だけど、本当に?
ボクは昨日聞かされた血腥い事実と相まって、目の前の人の穏やかさを薄皮一枚ほど隔てて見ていた。
だって貴方の派閥の人が、レモを刺したんじゃない、と。
目は口ほどに物を言うっていうけど、ネオさんはボクの疑いを瞳に見たのだろう。
にっこり笑って、髪をぐしゃりと撫でると、ボクから一歩離れた。
「…お迎えが来たみたいだね」
顔をその方へ向けると、志賀君と夾子が突っ立っていた。
夾子はネオさんをじろりと敵意剥き出しで見遣る。
「克也、ちょっと早いけど迎えに来たわ」
「う、うん」
夾子に腕を引かれて、ボクはネオさんに背を向ける。
同時に玄関からお兄ちゃんである直也の声が聞こえてきた。
多分おはようとかおまたせとか言っているんだろう。
少し距離を保ちながら、ボクらは学校まで歩いて行った。
道中、夾子は腕を組んで不機嫌そうに、
「もう!あの女なんか虫が好かないのよね!」
ぷりぷりしている。そういえば、今日はケイさんがいないな、とボクは思った。
ということは、レモが学校に来ているということなんだろうか。
だとしても、今ボクをこうして深層派の二人と一緒にしておいても平気なんだろうか。
もしかしたら物陰からケイさんが見守っているとかは……有り得るかもしれない。
そう思いつつ、ボクらは学校に到着した。
驚いたことに、門のところでレモがボクらを待っていた。
「レモ!」
ボクが彼に飛びついたのは言うまでもない。
彼はしゃがみこんでボクを抱きとめると、「おはよう、克也」と言ってくれた。
良かった、元気そうで。本当に。
公衆の面前だとか気にならないくらい、ボクは嬉しかった。
夾子もやれやれといった感じでボクとレモを見ている。
「克也、ごめん心配かけて………」
「刺されたって聞いて…もう大丈夫なの?」
刺されたと聞かされた彼の太腿を見る。
見た目には何ともなさそうだし、しゃがんだりしてるし、全然昨日怪我したようには思えない。
勿論、…制服の下に包帯を巻かれたらボクだって分からないけど。

「おや、レモじゃないか」

ぎくっとボクは飛び上がった。
ボクらから少し遅れて登校して来たネオさんらが到着したのだ。
ネオさんがこちらに歩いて来ると、レモはボクから緩やかに腕を放し、立ち上がった。
その間、お兄ちゃんはようこさんと初々しい様子で校舎の方へ向かって行ってしまった。
全くもう、呑気なんだから!しょうがないけど。
「結構セリの奴、抉り癖あるのに大丈夫だったのかい?」
「理性派の首領にご心配頂けるとは有り難いな」
「ふふ、ごめんね躾がなってなくて。でもてっきり……我々の世界の治癒力を持ってしても『二日三日』はかかると思ったのになあ」
ネオさんは妖しく微笑んで、校舎の方へ歩いて行った。
彼女の言葉に、ボクはまたレモが無理をしているんじゃないかと心配になったのだけれど。
「大丈夫だよ克也。心配はいらない」
彼の声が上から振ってきて、黙って頷いた。











花屋で働いていた彼を見掛けたのは偶然。
そしてファーストフード店で働いていた彼と出逢ったのも、偶然だった。
「あら、あなた……」
「あ、カナンさん!またこちらにいらしていたんですね」
ニロはハンバーガーとポテト、シェイクを持ち帰りの袋に包みカナンに手渡すと、軽くウインクをした。
「ちょっと店の外のベンチで待ってて下さい。今日はもう上がりなんです」
「え、ええ」
言われた通り待っていると、まもなくニロはやってきた。
「おまたせしました。俺も運が良いですね、二度もカナンさんに逢えるなんて」
「私もよ。でも、この間はフラワーショップだったと思うけど…」
「はは、掛け持ちしてるんです。せっかくこっちの世界にいるんだから、色々やってみないとね」
ニロはからりと笑って、「どうぞ召し上がって下さい」と先程カナンが購入したバーガーの袋を指し示した。
冷めてしまうと美味しくないですから、と彼は言う。
「でもカナンさんがファーストフードなんて意外です。てっきり入るならお洒落なカフェかと」
「一度食べてみたかったの。でも、ちょっと油っぽいわね」
「そうでしょうね、でも、カナンさんなら少しくらい食べ過ぎてしまっても平気なくらいお奇麗ですよ」
歯の浮くような台詞も、彼が言うと嫌味がない。
カナンは小さく笑うと、ポテトの箱をニロに向けた。
「でも少し手伝ってもらえるかしら。ちょっと量が多かったみたいだから」
「そうですか?ちょうど働いた後はお腹が減るんで助かりますよ」
ニロは笑う。
本当に、この間会ったときからよく笑う人だ、とカナンは思っていた。
「カナンさんは気になる人はいるんですか?」
「え?」
そこに突然の質問。
思わず心臓が妙な方向に飛び跳ねそうになる。
だが。
「俺は…います。でも、今のところ見込みがなくて。多分、気がついてすらもらってないと思います」
「……そうなの」
苦笑じみた横顔。自然とポテトを食べる手は止まっていた。
「もしかして、あなたと同じ深層派の……?」
個体である少年の中から、外の世界はよく眺めていた。
あの輝かんばかりの少女のことを、彼は好きなのだろうか。
ニロは寂しげに微笑み、気を取り直したかのようにポテトに手を伸ばす。
そしてそれをぺろりと平らげると、すっくとベンチから立ち上がった。
「さ、カナンさん行きましょう」
「え、どこへ…」
「街ですよ。今度もし逢えたらこの世界の案内をしようって決めてたんです」
ニロはカナンの手首を掴み、彼女を『外の世界』へと連れ出した。

それからカナンはニロとゲームセンター、雑貨屋、アクセサリーショップ、博物館と取り留めもなく見て回った。
そして気がつくと、日は暮れて街はすっかり夜の気配に包まれていた。
カナンはアクセサリーショップで買ったイヤリングを、まるで少女のような表情で眺め、ニロへと振り返った。
「ありがとう、今日はとっても楽しかった」
「俺もです。普段はシガの世話とバイトしかしてないんで」
「そうね、右腕なんだものね、…しっかりしなきゃね」
カナンは目を伏せ、イヤリングをポーチに入れた。
つい彼の明るさに眩まされて、彼が深層派であるということを忘れてしまいそうになる。
こんなふうに馴れ合ったところで、いつかは。
「あ、あれは……」
ふと、ニロの声にカナンも顔を上げた。
誰だろうか。一人の青年がこちらに向かってまっすぐ歩いてくる。
ニロが知っているということは、深層派の一人だろうか。
その青年が現実世界の人間でないのは、感覚を持ってして理解した。

「こんなところで深層派の男と夢幻派の女が逢引ですか」

その内容とは裏腹に澄んだ声。けれど酷く機械的な。
「あなたは、誰?」
と、問い掛けたカナンに、ニロが答えた。
「…理性派のセリです」
「セリって…あの……」
レモに怪我を負わせた子供。あのときカナンは、それを克也の中から見ていた。
だが目の前にいる男は子供ではない。どう考えても、その骨格、容姿は十代後半以上のものだ。
事実、カナンはセリに腕を掴まれた瞬間、その力は到底子供のものではないと思った。
「カナンさん!」
突然、突き飛ばされ、地面に身体を強かに打ち付ける。
ニロに抱き起こされたときも、視界がちかちかした。
「カナンさん、しっかりしてください!」
「だ、いじょうぶよ……」
ただ単に突き飛ばされただけなのだから、と身体を起こそうとする。
地面に打ち付けた肩がずきりと痛んだ。

「派閥同士が敵対しているにも関わらず、貴方がたはなんてけがらわしい」

抑揚はあるが感情の認められぬ声色で、青年は二人を見下した。
その眼差しは、侮蔑と嘲り、醜さの色に塗り固められていた。



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