10.ジグザグだった日

 


チュンチュンと雀がさえずる。
朝の登校時間。
ちらほらと見受けられる生徒達の中に混じりながらも、レモは高校へではなく克也の家へと向かっていた。
登校途中の克也を拾い、その後夾子、シガと合流する。
それがいつもの朝の光景であり、今日の当然そうなるであろうと彼は思っていたのだが。

「…ネオ……」
「やあレモ。奇遇だね、こんなところで逢うなんて」

違和感のある存在が、彼の進路を妨害した。
理性派の首領のネオと、知らぬ顔の少女と少年。
少女はネオとほぼ同い年、少年は十二歳程度だろうか。
「ああ、そういえばレモは初めてだったね。この娘はヨウコで、彼はセリ。理性派さ」
「はじめまして……」
ヨウコはぺこりと頭を下げた。
一方、セリという少年は、酷く冷たい眼でレモを見上げた。
シガの単純に無表情じみたものとは違う、まるで機械のような冷たさだ。
子供だというのにとても嫌なものを感じる。
「今日も彼のお迎えかい?夢幻派は大変だね。…夢を見させながら要求を飲ませなけりゃならない」
「……理性派は何を企んでいるんだ」
「秘密。じゃ、駄目かな」
ネオはクス、と笑い、肩を竦めた。
彼女の隣にいるセリの突き刺すような視線がじっとりと自分を捉えていることに、レモは気がついていた。
「…克也を迎えに行かないと」
「此処にいればそのうち来ると思うんだけどなあ」
「あまり克也を待たせるような真似はしたくない」
「そうなんだ、残念だな」
癖なのだろう。ネオは再び肩を竦め、レモと視線を合わせた。
そしてその瞬間、

ざく

と、右太腿に激痛が走った。
「っ……!」
がくり、と膝が折れて倒れそうになるのをぐっと堪える。
噴き出した血。
レモは刃物を握る目の前の少年を見遣った。
「せっかくですし、殺ってしまいますか」
セリの発した第一声は、一歩後ろに下がっているネオに向けられていた。
その声は小鳥が歌うかのように涼しげで、且つコンピュータのような人工的な響きを奏でていた。
「き、さま…」
額に汗が滲む。正直立っているのがやっとだった。
それほどまでに、一瞬にして深く貫かれた神経へのダメージは大きかった。
セリがくるりとこちらに向き直る。
その手にある刃物が、きらりと太陽の光に鈍く反射した。
「ネオ様のお言葉を断るなどという、無礼な態度をとった貴方が悪いのですよ」
びゅん、と腕が風を切る音。
眼にも留まらぬ俊速に、レモは一瞬呼吸が停止するかのような感覚すら覚えた。
しかし。

「突然人の大将を刺すあなたも、相当無礼だと思いますが」

その声とともに、からんと刃物が地面を転がった。
はっと顔を上げる。
そこには、自分を庇うかのように立ちはだかっている青年の姿があった。
「…ケイ…!」
名を呼ぶ。
だが、彼はセリだけをじっと睨みつけていた。

「立ち去りなさい。でないとそこの女性の子宮をこの場でえぐり出します」

それが口からの出任せではないということは、彼の表情と口調から察して余りあった。
じり、と後退したセリをネオが腕で制す。
「……ふふ。夢幻派の秘書さんは随分怖いことを言うね」
「最初に手を出したのはそちらです」
「分かったよ。僕も痛いのはごめんだからね。…行こうヨウコ、セリ」
ネオは含み笑いを漏らすと、ヨウコの肩に腕を回し、その頬に軽く口付けた。
ヨウコは頬を染めながらも「あ、すみません、ちょっとだけ…」と言い、軽くネオから離れた。
ととと、と膝をついているレモのところまで小走りで走って来て、
「……本当に、その、すみませんでした」
頭を下げながらハンカチを差し出し、来たときと同じような小走りでネオのもとへ戻って行った。
どうやら彼女は他の二人とは多少毛色が異なるらしい。
その三人の姿が完全に見えなくなると、ケイは顔色を一変させてレモの肩を支えた。
「パトロン、大丈夫ですか……!足は……!!」
「…それほど、酷くはないさ、でも、どうして……」
今日はケイは克也の中にいたはずで、夢と現実世界の移動は克也の意識がないときにしか行えないはずだ。
すると彼は着ていたスーツの上着でレモの傷口を圧迫しながら、
「個体は今日寝坊していて意識がまだないんです。ですが、そうでもなければ私は……!」
個体の中でこの光景を見ていることしか出来なかっただろう。
レモはケイの言わんとしていることを察すると、ぐっと眼を閉じた。
……克也はまだ寝ている。
「…ケイ」
「……はい」
「…今日一日、克也のことを頼む」
「分かりました。…パトロンはどうか…安静にしていてください」
「……ああ」
ヨウコの置いて行ったハンカチを拾い上げる。
レモはゆらりとその場から姿を消し、克也の体内へと戻った。











うわ、まずい寝坊しちゃった……。
朝ご飯食べてる暇ないや。
でも、今すぐ着替えればまだレモ達に追いつくかも。
うわー…やばいやばい。
ボクはパジャマを脱ぎ散らかして、制服をぱっぱと羽織って家を飛び出した。
勿論鞄も忘れずにだよ。
って、あれ……ケイ、さん?
門を開けると、ケイさんが直立していた。
「おはようございます。今日はパトロンの代わりに私があなたをお守りするよう、仰せつかっております」
「代わりって…あの、……レモは?」
ボクは恐る恐る尋ねた。
なんだか…ケイさんがもの凄く怒っているような気がしたから。
と、そこへ。
「克也ー!おっそいわよもう!」
夾子だ。あ、志賀君も。
二人がボクを迎えに来てくれるなんて、珍しい。
夾子は息を切らせながら、
「よく分からないけど、なんかシガが克也の家に行けって言うから…」
ケイさんを見上げた。
「今日はあいつじゃないの?」
レモじゃなくケイさんがボクの横にいたことに、なんだか違和感があったみたい。
なんだかんだ言っても、ボクも…きっと夾子も、いつもの面子で馴染んでしまっていたから。
「…パトロンは調子が優れませんので」
「理性派との間に何があった」
志賀君だ。
ちょ、ちょっと待ってよ、理性派っていったい。
レモが調子良くないのは前からな気もするけど、今回はその理性派とやらのせいなの?
ボクには全然話が見えない。
ケイさんは、無表情で且つどことなく険のこもった眼で志賀君を見ると、
「刺されました」
と、低く言い放った。
ちょ……っと待ってよ。
「刺されたってどういうこと……!?」
ボクはケイさんに飛びついた。
だって、ねぇ、だって、どうしていきなりそういう……。
「刺されたのは太腿ですから命に別状はありません。落ちついてください」
「落ち着けって……」
落ち着けるわけがない。
いくらその…刺されたのが太腿?だとしても、刺されたことには変わりないじゃないか。
「一日休めば治ります。我々はあなたがたとは違うのですから」
「……っ」
ずるい。
またそんな、無茶苦茶な理屈で丸め込むなんて。
そう言われたら、ボクにはどうすることも出来ない。
所詮ボク一人がじたばたしても仕方のないような、無力感。
「……克也」
夾子……分かってるよ、ボクは今はもう学校に行くしかないんだよね。
ケイさんが此処にいるってことは、本当にレモも無事、…なんだろうし。
とてもこんな状態で、眠れそうにないし。レモには逢えないよ。
「克也!」
やるせない気持ちで、ボクは夾子、志賀君、そしてケイさんを置いて駆け出した。











「克也……!」
克也の後を追おうとした夾子の腕をシガが掴んだ。
ばっと振り返った夾子は、シガの顔を見て我に返ったかのように体の力を抜いた。
「…あいつを刺したのは誰だ」
シガは何の感情も読めない表情で、ケイに詰問するような口調で言った。
「セリという子供のような外見をした理性派です」
「…つまりは、子供ではないんだな」
「……おそらく」
ケイも感情を抑えた声色で、シガと睨み合う。
忠誠心の塊ともいえるこの青年にとって、自分のパトロンを刺されたという事実は、一生の屈辱にも等しいものだろう。
その胸中は穏やかでないに決まっている。
夾子は溜め息をついた。
「…ちょっとは落ち着いたら、っていうのも野暮よね…」
「私はセリを、殺してやりたいとすら思っています」
「…でしょうね」
彼女はちら、とシガの横顔を覗き見た。
その表情もまた、あまり穏やかだとは言えない。そう思った。





南風が吹き付ける屋上。
「やあ、来ると思ってたよ、シガ」
風にその艶やかな髪をなびかせ、ネオはシガを待っていた。
ヨウコやセリの姿はない。
「僕はね、シガ。いや…僕というのも何だね、僕たち、かな」
「……」
「中立なんだ。個体である克也君に危害を加えるつもりはないんだよ」
「…だろうな」
「あれ、知ってたの?まあいいや、でも君は『なら何故レモを刺したんだ」って顔してる」
ネオはするりと手を伸ばし、シガの頬に触れた。
指先で頬のラインをなぞる。
「あれはセリがちょっとやっちゃっただけ。彼は僕が好きだから」
「セリという奴は男なのか」
「そうだよ?ああそうか…気に入らなかったんだ、君も同じだから」
ネオは口元を緩め、くっくと笑う。
やがて彼女は、頬をなぞっていた指を唇に乗せた。
弧を描くように指を踊らせたかと思えば、左腕をシガの首に回した。
「でも僕は君が好きなんだ。意味、分かる?」
「………」
「そうだね、君は分かっても……何もしないよね。君はそういう奴だから」
ネオは再び笑い、シガの唇にキスをした。






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