静寂の廊下を走る足音。
上履き特有のその音は学生である証。
「待って!」
響いた声。
それがおそらく自分に向けられたものであろうと、ケイは足を止めて少女を見た。
意思の強い眼差し。薄茶色い髪のかかる華奢な肩はこの世界に存在する少女達と何ら変わりないように思える。
「あなたは夾子さんとおっしゃるのですね」
それくらい見事な虚構。息切れして上下させている肩をへし折れば血が出る。
いくら紛い物とはいえ、深手を負えばその存在に危険が伴う。
(そんな世界にパトロンを行かせておくのは、あまり好ましい方法とは言えない)
やはりあの個体を手に入れるには、手段を選んでいる場合ではないのかもしれない。
ふとそう思考を巡らせて、ケイは視線を目の前の少女に戻した。
「あなたは何故、この世界に出てこようと思ったんですか。そちらの首領のためですか」
唐突な質問に、彼女は少し驚いたようだったが。
「…違うわよ」
「なら何故?」
息を整えると、笑みを漏らした。
「貴方って、あたしに何故何故聞いてばっかりね」
「…そうでしたね」
以前彼女が夢幻派に干渉した際にも、「何故」と言ったような気がする。
そのときも彼女の行動の真意、意味が理解出来ずに問い掛けたのだった。
「ずっと克也の中にいたら退屈でしょう。それに、見てるだけなんて面白くないじゃない」
でも、貴方はそうでもないみたいね?
と、少女はケイの顔を覗き込んだ。
楽しさを求める子供のような言葉とは裏腹に、大人びた笑みを浮かべて。
「私は、」
「わたしは?」
「…パトロンのお役にたてるだけで光栄ですから」
ケイは少女の大きな瞳とじっと見つめ合った。
それが数秒続いたかと思えば、少女は風船が弾けるように笑った。
「あはは!あなたって見た目通り真面目な人なのね!」
「何がおかしいんですか」
「別に、っおかしく、はないわよ。ただ、つい笑っちゃっただけよ」
「……」
間違いなく夾子の笑い声は授業妨害になっているだろう。
ケイは顔をムッとさせたまま、だが一部冷静に常識を考えられる部分で彼女の腕を引いた。
「ちょっとうるさいですよ」
「い、いじゃない、たまには。あはは」
酒が入ったわけでもないのに、彼女は笑い上戸なのだろうか。
もとより夢幻派に干渉して来たような少女だ。
授業の邪魔になるとかそのようなことを気にするような性格ではないのだろう。
「はあ、本当に夢幻派は良い子ちゃんが多いわけね」
ようやく治まったらしい。
だが彼女はまた、ケイの理解を超えている言葉を発した。
「どういう意味ですか」
「だって深層派にはそんなお奇麗な主従関係ないわよ。まあシガの性格にも問題があるんだろうけど。それに、…やっぱり貴方も躯だけを奪うのは気が進まないって主張なわけ?夢幻派なだけあって」
「……私は」
またしても沈黙が二人を包む。
少女の瞳は、ケイの答えを待つかのようにじっと彼を見つめていた。
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