レモには何も聞けずじまい。
ボクはもやもやとしたものを抱えながら、日直としての仕事に精を出していた。
精を出す、とは言っても、所詮日誌を書いて窓の開閉、カーテンをまとめる程度だ。
けれど、ボクは背中をぴんと伸ばし、緊張を体全体に張り付けていた。
「し、志賀君。」
日直は二人一組なのだ。
志賀君は窓の鍵を閉め終えると、振り向いた。
無表情で、注視してくる。
「志賀君は、レモとは転校してくる前から知り合いなの?」
「……否。」
違うらしい。
でもレモはすぐに志賀君が『危険』だって分かったんだよね。
……結局、何がどう『危険』なのだろう。
ボクは日誌をぱたりと閉じた。自然と逃げ腰になる。
「レモは志賀君のことを危険だって言ってたよ。」
「……」
「危険って、どういうこと?」
危険に何が危険なのかと聞くのは危険だということは承知しているけれど、
やはり危険がどう危険なのかボクは知っておく必要がある。
志賀君はボクをじっと見た後、無感動に、
「……なんだ、もうあいつから聞いてたのか。」
突然襲いかかって来た。……これじゃ描写が怪獣みたいじゃない。覆い被さってきた、に修正。
せっかく整頓した机が、ガタガタンっと音をたてて倒れ、ずれていく。
ものすごく近くに、志賀君の鋭くてそれでいて感情の読み取れない眼があった。
ボクは息を飲んだ。掴まれた手首が、ものすごく痛かったのだ。
彼は澄ました顔のまま、骨が折れるほどの力を入れている。
レモと同じ、ボクの中にある存在だっていう話なのに、随分人間味に、欠ける。
ボクは悲鳴じみた声を上げた。
「志賀君、痛いよっ」
「お前は俺になり、俺はお前になるんだ。」
意味分かんない。これってボクの頭が足りないとかそういう問題じゃないと思う。
いたいよ、いたい、酷い。
ひん剥かれてる。制服。
志賀君の瞳は、ボクを見ているけれど見ていない。
義務的に行っているだけで、無関心だ。
「志賀く……」
ボクは名前を呼べなかった。
志賀君の体が、不意にボクから離れた、否、引き離されたからだ。
「全く、人が職員室に言っている間に……油断も隙もないな」
レモだった。レモは志賀君の襟首を掴み、今にも殴らんばかりだ。
助けてくれて嬉しいけど、ちょっとそれはまずいよ!
だけれどボクがそう言った隙に、志賀君がレモの頬を殴った。
そりゃもう綺麗に右ストレート命中。痛い!ごめんレモ!
「貴様……」
言葉遣いが悪い以前に、レモは相当な怒りを覚えたようだった。短気は損気だよ!
だけれど、腫れた頬が痛々しい。
そしてボクが止める間もなく、志賀君を殴り返してしまった。
志賀君は勢いよく机に突っ込んだ。頭とか打たなかったかな……。
「行くぞ、克也!」
レモはボクの腕を掴み、教室から連れ出した。
怒っているからなのか、彼は夢の中とは口調が違う。
もし此処があの世界であったなら、「行くよ」って言ったはずだろうに。
「あの世界には深層派はいないから。」
レモはぷりぷりしながらボクを家まで連れて帰る。
きっとあの世界なら、レモの苛々する理由がない。そう言いたいのだろう。
「でも……」
夕日がぽっかりと空に浮かんでいる。
夕日が上がるのは西の空だっけ東の空だっけ、とボクは考えながら、必死に歩調をレモに合わせた。
「どうして志賀君はボクを襲ったりなんてしたのかな。」
怖かったし痛かったし。
……ごめんレモも痛いよね。志賀君すごい力だったから。
レモは眉間に皺を寄せたまま、少し歩くペースを落とした。
「あいつらは克也の体が目当てなんだ。」
喉の奥から絞り出したような声。
気のせいなのかな、少し辛そうに見えた。
ボクは、レモの学ランの袖を掴んだ。
「レモは?」
「え」
「レモは何のためにボクの夢の中から出て来てくれたの?」
そんな戸惑ったような眼で見ないで。
「勿論、克也を守るためにだよ。」
彼はボクの眼を見ながら、その戸惑いを打ち消すように、しっかりと唇に微笑みを刻んだ。
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