37.変質












響から電話があった。
陽炎のことを聞いた。しかしそれ以上に、彼自身のことが気になった。
何気なさを装ってはいたが、声に覇気がなかった。
「どうした?…」
そんな彼の声を聞くのは初めてで、如月は戸惑った。
けれども其処へ白夜が来てしまったので、電話を切らざるを得なかった。
追々陽炎も来るかもしれないと思うと、気が重くなる。逃げ出してしまえばいいのに、逃げ出してしまえない自分の愚かさがどうしようもなく厭わしかった。卑怯者にすら成り切れない。嫌だ嫌だと喚きながらも消えることも全てを晒し出すことも出来ず、同じ場所に佇んでいた。こうして彼らが来ることを待っていた。…断罪されることを、心の何処かで願っていた。
言い逃れの出来ないところまで追い詰められてしまえば、自分を偽る必要もなくなると思っていた。
いつからそんなふうに思っていたのかはもう覚えていない。ただ、彼らに嫌われまい、知られまいとすることにいつのまにか疲れてしまったかもしれない。崩れ落ちて立っていられなくなったとき、何もかも、自分の想いすらも抜け出ていくような感覚を覚えた。
今でも彼らに嫌われたくないと思っているのに、もういい、と挫けてしまったままもとに戻らない。
「…桴海君」
険しい面差しの彼に、知らず知らずのうちに微笑みかける。習慣とは恐ろしいものだ、とまるで他人事のように思う。
「…これはまだ陽炎には言ってないことだ」
彼はそう前置きをした。以前彼の予想以上にこちらが取り乱したので多少反省してのことなのだろう。
…けれど彼が言い出そうとしていることは、あの少年もつい先程知ったことだろう。
「あんたは」
「彼の父親を殺したのは俺です」
白夜の眼が見開かれる。そしてその眼光は悔しそうに歪んで、噛み締め過ぎたのか彼の唇に血が滲むのが見えた。
「怒っているんですか」
「…った」
「え?」
聞き返せば、彼は握り拳を解いてその手で如月の襟首を掴んだ。手加減なく引き寄せられて、またもや殴られるのかと思ったが殴られなかった。
「なんで言わなかった!」
「何故」
「何故もへったくれもあるか!僕は…!」
彼は嗚咽を堪えるように言葉を飲み下した。襟首を掴む手は震えていて、力の入れ過ぎで指先は白くなっていた。
…何故彼はこうも他人のことで激情を露に出来るのだろう。彼にとって陽炎も如月も所詮知り合って間もない人間でしかないだろうに。
「桴海君」
「っ僕はあんたを分かりたかったんだ……!一人で勝手に悩まれるのが嫌だったんだよ!」
彼の言葉はあまりに直球過ぎて、いつも胸に痛い。痛い…本当に。これだから彼と関わるのは嫌なのだ、本当に。心の底からそう思う。どうしてなのだろう。落ち着いていた波も彼の放つ一言で簡単に掻き乱される。胸がじわりと熱く痛む。如月の犯した罪を声高に批判して叫び立てればいいのに、彼は未だに甘ったれたことを口にする。如月が望む言葉を口にする。
もうやめてくれと心が叫ぶ。彼の発する言葉がどれほど嬉しいか。だけれど自分のしてきたこと、罪の重さを考えれば誰かに縋り付く資格などない。そんなことは許されない。決してしてはならないことだ。如月はずっと自分自身に言い聞かせてきた。
…だからこそ彼の手は取れない。何を言われても受け入れることは出来ない。
「…お話はそれだけですか」
「如月!」
「この後陽炎君と会うんです。桴海君とばかり話している暇もないんですよ」
微笑を張り付けて、彼の手を払った。…痛い。いたい。いたい。胸が、苦しい。眼球の奥が熱い。
早く陽炎に会ってすべてを肯定しなければ。自分と響の存在を打ち消さなければ。
「待てよ!陽炎に会って何を言うつもりだ!」
「放してください。貴方に手荒なことはしたくない」
「陽炎にだけは言うな、あいつがあんたのことを好きだってのは分かってんだろ…!?」
…知っていた。知っているからこそ、彼に知られたくないと思っていた。けれど、もう知られてしまった。
「貴方には関係のないことだ」
「きさら…、…ッッ!」
白夜を乱暴に突き放し、その鳩尾に拳を深くめり込ませる。低く呻いて崩れ落ちた彼の身体を受け止め、木にそっともたれ掛からせた。
意識を失った彼の頬を緩く撫で、一人呟く。
「……お前のことが好きだった」











電話を切り、そのまま柱に背を預ける。
首の傷が疼く。慣れているはずのこの家が、ひどく他人じみて感じる。
…月咲の豹変。傷を抉られたのち、唖然としていた響は月咲に希光術による衝撃波を打ち付けられ気絶した。希光術は楼闇術とは対極に位置する術法である。その真逆の波動を無理矢理体内に押し込まれることは、素質に対するダメージは非常に大きいのである。一晩経ったらしい今でも、指先の痺れが抜けず、関節が悲鳴を上げている。
「…まだ横になっていた方が良いんじゃないのか」
「!…」
不意に声が聞こえて、響は肩を強張らせた。振り向いていいものか、心臓がらしくもなく大きな音をたて、脈動を繰り返している。
…本当にあの彼が、自分の傷を嬲るような真似をしたのかと、まるで信じられないような気持ちだった。あれは何かの悪い夢だったのではないか、彼が血に塗れることなどあるものか、と思考は足早に駆け抜けていく。自分を止めるために仕方なくやったのだとしても、彼の手を汚してしまった責任を感じないわけにはいかなかった。…これまで、どれだけ仕事があろうと彼には関わらせないようにしてきたというのに。それも、彼が汚れてはいけないという気持ちがあったからだったというのに。
「望のときは三日は目が覚めなかったのにな。まあ響なら起きるだろうとは思ってたが」
声はいつの間にか近くにあって、彼の腕が響の肩を掴んでいた。下方には、お盆に乗せられた朝食が見えた。
「まだ腕もろくに動かないだろう。食べさせてやるから、こっちに来るんだ」
「…食欲ないから後にしてくれないかな」
月咲は一旦黙り、「分かった」と言い残して立ち上がった。さすがに寝て起きてすぐでは食欲も湧かないだろうと思ったのだろうか。実際は月咲に接触するのを出来るだけ避けたいという気持ちから言った言葉だったのだが、気付かなかったのならそれはそれでかまわない。
「響」
食事さえ遠慮すれば、彼はそれを片付けるために立ち去るのだと思っていた。
けれど彼はその場から動こうとはせず、響の肩に腕を回してきた。悪寒が全身を駆け巡ったが、突き放そうにも神経が激しい動きを拒絶した。また、仮に動けたとしても、動けなかった。月咲の気持ちが読めず、困惑した。恐れた。彼は何一つ変わっていないはずなのに、…変わってしまったと頭の中で警鐘が喧しく鳴り続ける。本能的な恐れ。彼は仕方なくやったのだ、と言い聞かせても、違うとすぐに別の自分が言い返す。仕方なくやったことなら彼は何故謝らない。否、悪くないと思っているのなら謝らなくともいい。言葉では上手く説明出来ないが、『違う』。
何かが、何かがおかしくなってしまった。彼は響と対峙したときまでは何も違うことなどなかったのに。…ならば変わったのは自分なのだろうか。
肩に回された手が優しく首の包帯をなぞる。強張らせたままの肩に触れて、彼は小さく笑った。

「…なあ響。僕はあれから考えたんだ。どうしたらお前に殺しを止めさせることが出来るのかって」

息苦しい。悪寒がして、寒い。
「初めは僕が見張っていれば済むことかなと思った。だが僕もそんなに暇なわけじゃないだろう?それに、お前自身に我慢させてもお前の中にある素質の方は堪えてくれそうにない。縛っておこうかとも思ったんだが、瞬間移動で逃げられたら元も子もない。僕は考えたよ」
滔々と話し続ける彼の声色は穏やかで、まるで世間話をしているようだった。
「それで良いことを思いついたんだ」彼は響の手首をとる。頭が痛い。これは本当に現実なのだろうか。

「手足が使えなくなれば、お前が人を殺すことも逃げ出すこともない」

名案だろう?と、彼は愛おしげに響の手首を指で撫でた。
その指に、力が加わる。










曇天の宇渋町。重く凭れた雲が空を覆い、今にも泣き出しそうな素振りを見せている。
陽炎は走っていた。どうやって彼を探し出そうかと思っていた矢先、彼の方からふらりと姿を現した。
「…こんにちは、陽炎君」
「探してたんですよ、如月さん」
「ええ、響から聞いて…俺も探していたんです」
彼は何食わぬ顔で微笑する。実際何も知らないのかもしれない…そう思いかけて、響の言葉を思い出す。
…彼が陽炎を気遣うわけを考えたことがあるかと。ないわけではなかった。だが、彼の「大事だ」という甘くて都合の良い言葉に誤摩化された、納得しようとした。けれどあの状況で響が言い出したということは、その言葉は別の意味合いを持つ。何故大事か?蔑ろには出来なかった…陽炎に如月自身が負い目があるから。そしてその負い目は。誰でも考え出せばその結論へ辿り着く。例えそれが真実であろうとなかろうと。
…回りくどいことは嫌いだ。
「如月さんは俺の父を殺したんですか」
違うなら違うと云えばいい。大事だと言ってのける理由の説明をしてみせればいい。場合によっては捉えて二度と解放はしてやらない。大事だというのならば、拒絶することは許さない。あなたに拒否権はないんだ、と心の中で告げる。そう、いつだって彼は陽炎を特別扱いしていたのだから。
「ええ」
彼は肯定する。その笑みには余裕すら感じられて、静まり返っていた連中…彼に対する憎しみが俄に湧き上がる。しかしその後から、じんわりと悦びが込み上げてくる。…危険な兆候。否、今はそれを危険だと看做す理由は何もなかった。何故なら陽炎は何も間違えていないのだから。
「どうして殺したんですか」
「理由なんてありません。貴方がたが居たから殺した」
「それなのに、俺に優しくしたんですか」
「可哀想な人に優しくするのは、人としての基本でしょう」
彼は冷笑し、陽炎を見下ろした。彼の言葉は見事なまでに陽炎の神経を逆撫でする。悲しみと屈辱と快楽が混じりあって、わけも分からず酔いそうになる。
あんなに優しくしてくれたのは全て嘘だったんですか。
…あり来たりな悲痛に暮れる。…もともとあった陽炎の心。
可哀想だなんて思われたくもない。ちゃんとしたひとりの人間として接して欲しい。
…同情なんて何の役にも立たない。惨めになる。…暴走しそうになる怒り。
あなたが父の仇だなんてこれ以上に喜ばしいことがあろうか。
…正当化される欲望。…高揚し、陽炎の精神を支配し始める。他の二つを押しつぶし始める。歪んでいく…精神が変形していく。
理性の声は聞こえない。だって彼は父さんの仇なんだもの。それだけで理由は充分過ぎるほど。
「…如月さんがそんな人だなんて思ってませんでした」
心にもない…否、心の底から思って陽炎は言った。彼がそんな人を傷つける言葉を吐ける人だとは思っていなかった。
あなたは俺に冷たい言葉を言ってはいけないんだ。それが嘘でも本気でも、俺を失望させないで。…口には出さないままに。
「俺はあなたを殺して良いんですか」
途端に彼の表情に瞬間戸惑いの色が混じる。嗚呼やはりあなたは優しい人だ。あなたを好きになって本当に良かった。
「…少し時間を下さい」
少年は涙を零しながら微笑する。













執行猶予を与えられ、如月は響がいるであろう月咲家へと足を運んだ。
陽炎の願いは父親の仇を討つことである。だがまだ年若い彼の手を汚させたくはない…残された選択肢は限られている。
インターフォンは鳴らさず、玄関の戸を引く。珍しいことに見習いの少年の気配がない。あるのは、月咲と響のものだけだった。
「…なんだ…?」
一見して不審な点は見当たらなかったが、異様な雰囲気を感じる。ざらざらとしていて、居心地が悪い。物音一つしない。廊下を歩く音を出すのも憚られる。二人の気配のある部屋へ向かうにつれて、その異常さが強まっているような気がする。
嫌な予感が全神経を威圧する。如月は自然と早足になるのを感じながら、該当する部屋の正面へと立った。
躊躇することなく障子を開け放つ。
「…樹乃…?」
月咲がいた。響は畳の上に横たわっていた。
たったそれだけなのに、全身を悪寒が駆け抜け、ぞわりと鳥肌がたった。
「…樹乃?」
「ああ、望。悪いな出迎えてやれなくて」
月咲は苦笑している。その足は響の足首に乗っている。
次の瞬間、響の絶叫とともに聞いたこともないような音が聞こえた。…何か硬いものが砕けるような音。
「樹乃…?っなにやって…」
如月は目の前でいったい何が起きているのか理解出来なかった。ただ、耳には今しがた聞かされた己の半身である青年の悲鳴と吐き気を催すような音がこびり付いており、頭で理解するより先に身体が動いた。月咲を突き飛ばし、響の身体を抱き起こそうとする。
「おい、おい…響!」
意識はあるようだが返事はない。いったい、この状況は何だ。この家でいったい何が、わけが分からない!
よくよく見てみれば力の抜け切っている響の左手も、おかしな方向に曲がっていた。それを見た瞬間、如月の身体に何とも言えぬ悪寒が走り抜けた。冷や汗がどっと噴き出す。吐き気すら込み上げてきた。
「じゅ…」
「どうしたら響が人を殺さずに済むか考えたんだ。それで、手足が使えなければ人は殺せないだろうという結論に至ったんだ」
「…」
馬鹿な、と言おうとしたが声にはならなかった。悪寒が酷過ぎて、身体中震えていた。握り拳を作って堪えようにも、身体がいうことを利かない。
「両手足首の骨を砕けば、血も出ないし簡単で良いだろう?」
まだ終わっていないと言わんばかりに、月咲は如月の膝の上から響を引き起こそうとする。如月はハッとして月咲の腕を遮り、掴んだ。すると、月咲は心外そうにきょとんとした表情で如月を見下ろした。
「どうかしたのか?望」
「馬鹿な真似はよせ…お前は、何を考えてるんだ」
声が震える。なんだ、どうしてこうなった。どうして。
「何を、ってさっきも言ったろう。僕は響を」
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
怖い。分からない。歯痒い。此処にいる彼は本当にこれまで自分の世話や心配をしてきてくれた彼と同一人物なのか?彼は、彼はこんなおかしな行動をするような男ではなかった。何があっても強く其処に居るだけで安心する、支えになってくれるような人間だったはずなのに。
「お前は響を嫌ってたのか?こんな、」
「何を言ってるんだ。僕は響のことは好きだったし、そうでなければ気にかけたりなんてしないさ」
…確かに、彼は気にならない人物のことは全く気にしないような男だった。人のことを嫌いだと認識することもなければ、婚約者を充てがわれれば特別拒否はしないような男だった。…逆に、気になる人物は気にし過ぎるくらいだった、のかもしれない。この、今となっては。
「お前は、響のことが好きだったのか?…」
それでこの仕打ちか。これが彼の、愛情表現だというのか。
月咲はそんな如月を困ったように見下ろしている。それから、ふと気がついたように眼を瞬かせた。
「そうか、お前にも同じようにしてやればいいんだな」
彼は微笑む。再び、背筋に悪寒が走る。彼は何を言っている?彼は、まさか。まさか。
「心配するな。一人を世話するのも二人を世話するにも同じさ。それに響もお前が居た方が退屈しないで済む」
「やめろ!」
伸ばされた腕を思い切り拒絶して響を抱えて立ち上がり、その場から離脱する。
瞬時に日頃響が生活をしている『空間』…以前陽炎が落ちたとき助けにいった…へと転移する。此処ならばいくら月咲でも追ってくることはない。そう思った瞬間とてつもない絶望感に襲われて、如月は思わず膝をついた。ぐしゃりと前髪を押さえ、俯く。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。月咲がああなってしまったのも、長期的に見れば如月達のせいなのかもしれない。如月達にさえ会わなければ、彼は普通に跡取りとしての一生を終えていたかもしれないのに。
取り留めもなく、今更考えても仕方のないことを考える。
そこへ、一つの見知らぬ気配。振り向けば、知らない少年が立っていた。
この空間にいるということは楼闇術者だろうに、敵意は感じられなかった。
「あれ、その人どうしたんですか」
「…お前は」
「僕はただのその人の部下ですよ。先輩の部屋をお探しなら、向こうです」
少年はそれだけ言って立ち去った。…響が部下に恨まれていないことだけを救いに思いながら、指し示された方向の部屋へと足を向ける。部屋に鍵はかかっていなかった。不用心この上ないが、開けてみて納得した。物がない。ベッドと机と箪笥と…それくらいしかない。
ひとまず響をベッドに横たわらせ、如月は息を吐いた。
「なんだって言うんだ…」
後は響と自分を始末して奇麗に終わることが出来ると思ったのにこのざまだ。月咲に甘え過ぎていた罰が当たったのかもしれない。そうだ、これは罰なのだ。しかしそう言い聞かせてみたところで、彼の豹変を嘆かずにはいられなかった。彼は壊れてしまった。彼自身も、誰も気付かぬ間に。響と彼の間に何があったか知らない如月には、決定打となったものの正体は分からない。
「本当に、何がどうして…」
「彼は、私が陽炎君を殺すのを…どうしても止めたかったみたいだ」
「…なに…?」
響の言葉に顔を上げる。彼は無事な右手で砕けた左手首を押さえ、顔を顰めながら口を開いた。その額には尋常でない量の汗が滲んでいる。…如月にはその汗を拭ってやることくらいしか出来なかった。彼は殺人者だ。病院へは連れていけない。
「それ以外の理由は知らない」
…見知らぬ人間を殺すことは黙認していた彼が、陽炎を殺すと聞かされていきり立った?…それは陽炎が如月の知り合いだったから、なのだろうか。月咲は響にその境界線を越えて欲しくなかったのかもしれない。…だが何故、と疑問を抱きかけて、思い出す。
「…好きだったから、か」
月咲は月咲なりに響に対して想うことがあったのかもしれない。だからこそ、どうしても止めようとした。他に止めるすべもなく、彼は彼自身も気付かぬうちに一線を越えた。そういうことなのか。
「望。お願いがあるんだ」
響は右手で如月の腕を掴んだ。酷薄で最も彼らしい微笑を浮かべている。…その瞬間、背中に流れた冷や汗の冷たさをはっきりと感じた。氷のようだった。彼の手を振り払いたかった。聞きたくなかった。
「私を殺して欲しい」
「…れ」
「君は初めからそのつもりだったんだろう?私一人に罪を着せればいいのに、どうせ陽炎君にも正直に言っちゃったんだろう。それで」
「黙れと言っているんだ!」
彼の言う通り、殺すつもりだった。それで陽炎の手を汚す心配がなくなるのだから。それなのに。
やり場のない怒りが胸中を渦巻く。目の前には左手足の骨を砕かれた響の姿。如月自身の左手足も連鎖反応を起こして鈍い痛みを訴えている。
「そんな状態になったお前を殺せだと?!」
「こんな姿だからこそ殺してくれと言ってるんだよ」
結構痛いんだよ…と彼は苦笑してみせる。そんなことは分かっている。結構どころか激痛であろうことも分かっている。彼の絶叫をこの耳で聞いているのだから。
「どうせなら愛するひとに、という私の心を汲んではもらえないかな」
「俺は愛なんて胡散臭いことは信じていないんだ」
「だって君に好きだとか言ったところで真剣に聞いてくれそうにないじゃないか。その分、愛なら重くて君でも聞いてくれそうだろう?」
響は余裕を気取って笑う。笑うな、と怒鳴りつけてしまいたいのに、笑わなくなればそれはそれで不安になりそうで怖かった。
「でも、君だけが生き残ったりしても癪だよねえ。死んだ後のことまでは分からないし」
そう言って彼はふっと眼を伏せた。喋り疲れたのか、言葉が途切れる。そんなはずはないのに、事切れたのではないかと思ってつい彼の顔色を確認してしまう。青い。真っ白と言っても良いくらいだ。
「ひびき」
「…泣きそうな声出さないでくれるかい。命には全く別状はないんだからさ」
「煩い!お前の状態を見て心配するなという方が無理なんだ!」
響は小さく、溜め息をつくように笑って、如月の頭を右手で抱き寄せた。
「これで君も私を好きだったら文句なかったんだけどなあ」
「…」
「なのに君は白夜君が好きだし、何よりも陽炎君優先するし。…私の入る隙間もないよ」
「…俺は」
言いかけて、ふっと空間が揺らぐようなぬるりとした震動があった。
覚えのある気配が、感覚の端に引っかかる。月咲ではない。彼はこの空間には拒絶される。
「か、げろう…?」
「…タイムオーバーだね」
彼は諦めたように肩を竦め、如月を放した。この空間に他術者が侵入することは捕食されることを意味する。
「…ちょっと此処で待ってろ」
如月はがたんと椅子から立ち上がり、響の部屋を飛び出した。