35.失意
※
まだ幼さを残した少年は、他人の家だというにも関わらず堂々と炬燵で温まり、みかんまで剥いている。
「これでお汁粉があったらもう文句ないね、ねえ樹乃」
「人の家に来て我が儘を言うな。欲しかったら台所にレトルトがあるからそれを適当に煮ればいい」
「寒いから出たくないんだ」
「そんな薄着をしてるからだろう…」
家の主らしい少年は半纏を羽織っている。一方、炬燵に密着している少年は黒のタートルネック一枚と見るからに薄い。そう指摘すると黒の少年は肩を竦め、頬杖をついた。半纏の少年はそれ以上何も言おうとはしない。彼は黒の少年が何故そんな薄着をしているのか知っていたからである。知っていたにも関わらず、うっかり口を滑らせたのだ。…おそらく黒の少年は、服が足りていないのだ。…毎回血に塗れてしまうから、洗濯が追いつかない。
とはいえ、彼は意外と潔癖なところがあるため…むしろそのせいで服が足りてないのかもしれないが…同じ服を二日連続で着ていることはない。
「…響、甘酒ならあるが飲むか?」
「持って来てくれるのかい」
「…しょうがないな……」
半纏の少年は炬燵から抜け出す。冷たい風がひゅるりと足下に忍び寄る。気持ち足早に台所へ向かい、とっておいた甘酒を温める。二人分注ぎ、そそそと部屋へと戻る。
「ほら響、持って来てやったぞ」
「有難う。君は優しいね」
黒の少年は、嬉しそうに微笑む。思わずその微笑みに絆されそうになって、半纏の少年は精一杯眉間に皺を寄せる。
「体よく使っておいて何が優しいだ。片付けはお前がしろ」
「分かってるよ」
返事は生返事ではなかった。しかし彼は甘酒を飲んだ後、炬燵のテーブルに突っ伏して眠りこけた。約束が違う!と怒るほど半纏の少年は子供ではなかったが、年齢的には十六という中途半端な数字ではあった。彼は着ていた半纏を脱ぎ、眠っている少年に掛けてやった。
残念なことに、そのときの半纏少年の頭の中には、炬燵で寝ると風邪をひくという定説が抜け落ちていた。
きちんと敷かれた布団にこれまたきちんと寝かされた黒の少年が言った。
「樹乃、仕事に行きたいのだけれど」
「駄目だ、寝ろ」
「炬燵で勝手に寝たのは私なんだから、君が責任を感じることじゃないよ」
「責任を感じてないわけじゃないが、僕は心配してるんだ」
「君は心配性なんだよ」
ああ言えばこう言う。素直に寝ていられないのか、と半纏少年は思う。
正座を崩し、黒の少年の顔を覗き込む。額に置いた布を桶の水に浸す。
「診断してもらった医者に聞いた。…お前寝てないんだって?風邪のついでに過労だと言われたよ」
「そんなことはないさ。昨日はたまたま一時間だったけど普段は三時間は寝てるよ」
むぎぅーと布を絞り上げる。それを黒の少年の額にびたっと押し当てる。…すぐに温くなる。冷えピタは切らしている。
もう一度顔を寄せる。この常識を分かっていない少年に言い聞かせる。
「何が三時間は寝てるなんだ。お前自分が成長期だって分かってるのか?身長伸びないぞ」
「身長なんてある程度伸びればいいじゃないか。それに、しょうがない」
仕事が忙しいのだろう。言われなくとも分かる。しかし半纏少年は畳み掛けた。
「駄目だ。仕事量は減らせ。お金に不便してるわけじゃないんだろう?」
「そうなんだけどね…断るのも面倒でね」
「良いから断るんだ。じゃないと此処から帰さないぞ」
黒の少年は呆れたように笑う。半纏少年は真面目な顔をしている。
「これ…は?」
「薄着のお前のために編んだんだ。心配しなくとも裁縫も得意なんだ」
「それは知ってるよ」
黒の少年は首回りに巻かれた朱色のマフラーを眺め回している。
似合わないわけではない。むしろ似合い過ぎている感はある。…あの色に似ていて。無論、半纏少年は皮肉でこの色を選んだわけでなく、純粋に似合うと思って選んだのだろう。
「白でも良いかと思ったんだが、汚れが目立つからな」汚れ…深読みする必要はない。
お礼を言う。半纏少年は清く正しくはにかむ。無性に恥ずかしくなって視線を反らす。居たたまれない。
「じゃあ帰るよ」
「ああ。…うっかり変質者に襲われても手は出すんじゃないぞ」
「……君はどっちの心配をしているんだか」
「両方に決まってるだろう」
半纏少年はきょとんしていて、何か間違ったことを言っているかと顔に書いてある。ああ間違ってはいない。間違ってはいないけれど。手ぐらい出したいのだけれど。黒の少年は一度だけ振り返って、半纏少年の家を後にした。今日もこれから仕事なのだ。ただこのマフラーは戻って置いて来なくてはいけないと思う。
…このマフラーなら赤くて血が染みても分からないだろう。けれど、彼を血で汚してしまうような気がして、どうしても嫌だった。
※
翌日の朝食にひょろ長い青年の姿はなかった。
彼の家族である月咲によれば前日の夜中にはもう出掛けて行ったとのことで、陽炎はいくらか残念だと思いながら箸を置いた。白夜は席を外している。月咲の背中に問い掛ける。
「月咲さん、少し聞いてもいいですか」
「ああ」
「如月さんて双子の兄妹でもいるんですか」
「え?…」
なんということはない。屋上に現れた彼があまりにも瓜二つだったものだから、聞いてみただけなのだ。すると、昼食の下準備を終えたらしい月咲はエプロンを外しながら陽炎の前の椅子に腰掛けた。
「分からないな。少なくともうちで引き取ったのは望だけだよ」
「あ、でもお兄さんがいたという話は聞きましたよ」
両親が離婚する際に父親に引き取られた兄が居た_。以前如月はそう言っていた。もしかしたらのその兄が先日の男なのかもしれない。…陽炎は内心笑った。…現実味の欠片もないただの空想に過ぎない…そんなものは。
こうして月咲と差しで話をするのは久し振りである。彼は寺の跡取りにも関わらず髪を切らない。以前それともなしに尋ねてみたところ、「まだ、良いのさ」と、流された。穏やかな語り口調と丁寧な物腰からは生真面目な印象を受けるが、決して彼は堅物ではないように思える。心配性ではあるがわりと淡白な気もするし、さっくりとしたいい加減なところもある。朝食もしっかり用意したと見せかけて、一品だけスーパーの総菜が混じっていたりする。聞いてみたところで「後一品というときに便利なんだ」とこれまた適当な返事が返って来る。その反面、漬け物はしっかり漬けていたりとよく分からない。
「月咲さん、如月さんは人を殺すような人ですか」
出し抜けに問い掛ける。兄のことはさておき、分かり切ったことを確認する。何故か?有り得ないと真っ向から否定する感情論に…保護者の承認が欲しかっただけ。誰でも、自分の子供が「人を殺すような人ですか」と聞かれて肯定しはしまい。…一部の例外は除く。月咲と如月の場合親子ではないが似非親子ではある。親子というよりは兄弟だろうか。
しかし月咲は予想に反していきなり否定はせず、「何故そんなふうに思ったんだ?」と聞き返してきた。疑問に対する奇麗な否定すなわち断絶は仏の道に反するか。月咲に限ってそんなことはあるまい。彼はそこまで信仰にどっぷり浸かっているようには見えない。
陽炎はテーブルの下で足を組んだ。スリッパが足先で揺れる。足首を捻ってつま先にフィットさせる。
それから手短に旅の目的とこれまでの大雑把な過程、昨日出会った青年について話した。その青年が「彼」とそっくりだったことも。
「幻術でしょうか」
「いや…いくらなんでもそんな便利な術はないよ。しかし、あいつでもないとは思うなあ」
「如月さんは正真正銘、一般人なんですよね」
「ああ、…勿論だよ」
「そうですか」
…僅かな、落胆。押し殺して、食器を片付ける。月咲は何か考え事をしている。期待する。理性が殺す。
「ごちそうさまでした。…白夜さん、トイレ長いなあ」
女の子の日でもあるまいし、と食器を濯ぐ。洗剤の匂いが鼻につく。泡。昔はよく洗った。毎日、毎日こうして。…ある日、食器を落としてしまった。拾おうとして指先が切れた。母は見向きもしなかった。破片は全部拾ったと思ったのにひとかけらだけ残っていた。小さな小さなひとかけら。母が踏んだ。目と耳の間を叩かれた。思考がぐらついた。脳震盪。鼓膜が破れなかっただけ良かったと思った。でもおかげで母の呪詛を聞かされない日はなかった。毎日毎日家を出ることばかり考えた。解放されたかった。平穏をぶち壊した連中をずたずたに切り裂いてやりたかった。切望した。歓喜。何かが歪んだ。自分の中で。
今日。午前、もう一度あの青年を呼び出す。午後、なし。夜、仕事で忙しい「恋人」と待ち合わせる。歪みを誤摩化す。曖昧にする。…あくまでも予定。
午前。臆病な術者さん、と言われる。
そういえば名前も知らない頃は「術者さん」と呼ばれていたと思い出す。
そして彼は「日向」ではなく「陽炎」君と呼んだ。多分深い意味はなかったのだろう。語呂が良かったのかもしれない。些細なこと。
「どうして本当の姿で現れてくれないんですか」ぬるりとした甘い期待をぶち壊してくれればいいのに。
「この姿はお嫌いですか」微笑む。首の傷跡。残っている。乾いている。もう一度その傷口を開かせたいと思う。馬鹿なことを、と冷静な自分が嗤う。もう止めてはくれないのか。理性は静まり返っている。恐怖が湧き上がる。理性が壊れかかっていることに対し。
以前手渡された刃物をその首筋に押し付ける。血が滲む。彼は身動きもせず、こちらを見下ろしている。余裕の微笑。身体中の血が沸々と色を濃くし始める。切り付ければ、切り付けたならば。想像するだけでぞくりとした快楽が背を駆け抜ける。どうして理性がいかれつつあるのだろうと思う。おそらくもともともろかったのに、昨日を境にショックで亀裂が入ったのだろうと別の声が答える。どちらも自分の声。だとしたら随分と役に立たない理性ではないか。
考える。これは仇だ。このままやってしまえばいい。なのに躊躇しているのは姿形が悪いからだ。疑いを捨て切れないからだ。それとも意地がないだけか。違う。ぶつけるべき感情の行方が捩じ曲げられている。行き場をなくす。これが事実だとしたら都合が良過ぎて夢心地ということもあるかもしれない。二重の悦楽。…信じ難い。けれど。
切らなかった。
午後。暇を持て余す。
月咲は落葉掃きをしていた。冬も近付くというのに、枯れた葉は何処から舞い込んでくるのか少なくならない。
今朝、陽炎の相談を受けた。相談というよりは疑問というべきなのか。
「人を殺すような人ですか」…はいでもありいいえでもある。
昨晩、家を出る前に如月は月咲のもとを訪れた。何をしに来たわけでもなく、月咲も自室であるし立ち去る理由もなかったので、ただ二人して同じ部屋にいた。何気無くテレビをつけた。楼闇術者の取り締まりが厳しくなるという速報が入っていた。これまでは楼闇術者であるというだけで牢獄行きだったのだが、明日からは子供でも発見され次第牢獄行き。そして漏れなく死刑。人権も何もありはしない。彼らは人ではない…国を代表する政治家の言葉。しかし批判的な発言をしておきながら、殺されもしないのだから、人でない人々の人間らしさには感謝してもいいのではないだろうか。本当に理性も欠片もない畜生以下の存在であれば、攻撃されて報復しないという選択肢はまず取らないのではないか。…確かに、人間という同族を痛めつける習性、もはやこれは習性だ…はあまり歓迎出来たものではない。
けれど近い将来、その欲求を抑えられる薬は出てくる。研究は近年、急速に進んでいる…。月咲のもとにも、「ちょうどいいサンプルはないか」という話が持ちかけられたことがあった。心当たりがないわけでもなかったが、受け入れられるわけがなかった。素質は心臓と一体化している。薬品を投与して下手をすれば心臓まで止まる。…おそらく今後は、取り締まりによって拘束された子供たちがサンプルとして扱われるようになるのだろう。目を背けたくなるような現実。無論、大人のサンプルも必要ならしいが、彼らは術の代償として身体に何らかの欠落を抱えている。大人になればなるほど、その欠落は大きくなるため、なかなか健康体で実験に適したものを見つけるのは容易ではない。
速報が終わる。如月は聞いていたのかいないのか何も言わない。彼は届け出では一般人ということになっているが、いつ綻びが出てもおかしくはない。発覚次第抹殺。定期検診…心臓の音を聞いたところで素質の有無は分からない。だが…念入りな検査。…アウト。もしもこれ以上取り締まりが厳しくなり、一人一人を検査するようなことになれば、発覚は免れない。抹殺を何故、とは思わない。月咲は彼の所行を見過ごしている。目を瞑っている。命の大切さを説く父の傍ら、月咲は目に見えない命を見殺しにする。命の平等さを教えられながら、己の家族を優先する。…罪悪感がないわけではないが、だからといって己を家族を犠牲に出来るものだろうか。
…幼い頃に引き取られて来た彼を弟のように思って接して来たのに、世の声を悟ったときの残酷さときたら。彼は大人になったら殺されてしまうのだと子供心に慣れぬ恐怖を抱いたものだった。恐怖、というよりは絶望だろうか。その気持ちは、今も消え去ることはない。
「樹乃…」
如月が気遣うように月咲の名前を呼んだ。ニュースを見てから月咲の視線は一点に定まっていた。考え込んでしまっていることは傍目にも分かり過ぎるほどだったろう。彼は膝を抱え眼を伏せたまま、硬質な声色で告げた。
「取り締まりのことは気にするな。どう足掻いても善にはなれない者は排除してしかるべきだ」
「…」そうだろうか、と自問する。返事は返って来ない。危険因子は取り除け。…彼らは必ずしも好き好んで罪を犯すわけではない。けれど、除外されなければならない。世間の平穏のために。自我があろうとなかろうと、彼らは狂人として看做される。…それが、月咲には堪え難い。
如月は言葉を重ねた。本来、口数の少ない彼にしては珍しかった。だけれども、ほんの一言だけだ。
「…すまない。お前に気苦労ばかりかけて」
陽炎の話を聞いた。彼の旅の目的、その過程。昨日出逢った青年のこと。
…例の電話以来音信不通だった響が何をしていたのか、多少なりとも窺うことが出来た。
陽炎にちょっかいを出している。気まぐれ、殺意を綯い交ぜにして。陽炎は少なからず動揺している。本人に自覚があるかどうかは別としてだが。そしてそのうち殺される。響は如月の苦悩を取り除かんとする。陽炎に落ち度はない。それは如月が衝動を堪え切れずに見知らぬ誰かに手をかけたときと同じ。相手に落ち度はない。しかし今回はさすがに月咲も目を瞑っていられなくなる。恣意的過ぎる。響の如月への執着は異常だ。事と場合によってはそれ以外の人間を軽視する。暴走する。…最低限度を越えた殺しは許容出来ない。彼がそんなことに手を染めると考えただけで頭痛がする。堪え難いと心が叫ぶ。月咲はそこまで響に堕ちて欲しくなかった。止めなければならないのに、月咲から彼を掴まえることはかなわない。電話は繋がらない。メール…知らない。もどかしさの沈殿。
しかし午後二時過ぎ。玄関前に一つ薄暗い気配が立ち止まった。普段は気配を消している…気付けと言わんばかりの態度。沈黙している来客。
月咲は当然の如く出迎えた。せっかく来てくれたものを逃がすわけにもいかない。上がるように促すと、彼は「この後仕事があるから」と、濁した。
「ちょっと君の顔が見たくなっただけなんだよ。どうせ望はいないんだろう?」
「…ああ、昨晩また出掛けて行ったよ」
「陽炎君と白夜君も泊まってたんだって?陽炎君、元気そうだったかい」
「それはお前の方が知ってるんじゃないのか」
響はきょとんと目を見開いて、「はは」と嗤った。わざとらしく肩を竦める。
「その分じゃ色々と聞いてるみたいだね。君のことだ、怒ってるんだろうね」
「自分がやり過ぎなのは分かってるんだろう?」
「やり過ぎ?そうかな…これでも遠慮してる方だと思うんだけれど」
響に自覚はあるのかもしれない。だが、自分の義妹や陽炎を傷つけたことに関しては何の負い目も感じていない。焦燥感は募る。
「響…頼むから望と、陽炎のことはそっとしておいてやってくれ」
「君は本気で人を煩わしいと思ったことがないだけだろう」
ない。確かにない。煩わしいと感じる程、人を気にすることがない。嫌な面を見せられても、そういう人間なのだと納得するだけだ。激情に駆られるほどのことはない。
ただ、目の前の青年が身内や身内の大事な人間であろうと平気で手を汚すようになるのを見たくない。…己の父親を殺して、おののいていた彼を知っているからこそ。
…手遅れかもしれない、という思いが頭の片隅にあったとしてもだ。自分から連絡がとれないことを良いことに、彼を放ったらかした。響なら大丈夫だろうと心の何処かで信じていた。実際、大丈夫ではあった。彼は如月と違って誰を殺しても思い悩むことはない。割り切ることが出来てしまう人間だった。父親を殺して以来、精神の一部が麻痺してしまったかのように。そして皮肉にも、楼闇術を操る人間はそういう人間でなければならない。
「私だって陽炎君のことは嫌いじゃないさ。反吐が出るほど憎たらしいだけでね」
「それは」
「望は彼のことで悩み続ける。責任を感じているからさ。一方、陽炎君は楼闇術者という連中を恨んでいるのとは別に、無意識下では望が自分に対し何故なのかは知らないが負い目を感じていることに気付いている。徹底して意思を主張をすれば逆らえないと知っている。本気で好きだと迫れば彼が受け入れるしかないと知っているのさ。冗談じゃないよ」
「しかし陽炎と付き合っているのは響じゃないか」
「そうだよ。陽炎君はああ見えて嗜虐的なんだ。彼も自覚はあるみたいだからね、なけなしの良心の声を聞き入れて私を身代わりに立てたわけだ。陽炎君達の前では一応顔はぼかしてあるんだけれど、なんとなく分かるのかもしれないね」
響は微笑し、何気なく俯いて前髪をかきあげた。瞬間晒された右目の傷に、心臓を鈍い痛みが打つ。
深く刻まれた治るはずもないあの日の傷跡。
…鏡を見るたび、彼はその傷跡に何を思うのだろう。
「…この間はすまなかった」
ぴく、と響の肩が動く。彼は月咲が何を言おうとしているのか窺っている。警戒している。
「その、無神経なことを言った」
「別に気にしてないよ」
響は溜め息混じりに言葉を吐き出す。
「…僕の言葉は気にしてなくとも、昔のことは気にしてるんじゃないのか」
傷を抉る。彼を止めるには避けられないことだと思った。
彼は沈黙する。声は荒げはしないものの、彼の苛立ちが伝染してくる。…堪え切れず彼は舌打ちをする。
「君は。…君は、ろくでもない男だよ」
「すまない」
「ただ、勘違いはしないでほしいね。私はあの男を殺したことを後悔なんてしていない」
後悔はしなくとも気にはしている。愛情はなくとも親は親だ。殺せば他の人間とは感覚が違う。
その証拠に響は早くこの話を切り上げたがっている。受け流せない話。彼は仕事を理由に逃げ出すかもしれない。
仕事…術者を殺し素質を摘出する。月咲は見て見ぬ振りをしてきた。彼らが生きるためならば仕方がないと思っていた。おそらく響自身も当然のように感じていたこと。…彼は幼少の頃よりずっと楼闇術者達の組織に居たのだから。
「待つんだ」
その腕を掴む。響は訝しげに月咲を見上げる。淡い面影が重なる。どうすれば止められる。過去の話をして、親を殺して感じた気持ちを思い出して欲しかった。義理の妹に命に関わる怪我を負わせたことを思い出して欲しかった。少しでも彼を思いとどまらせたかった。だが、言葉が足りない。口にすべき言葉が。
陽炎を殺してしまったら、如月も響も駄目になる。
華奢な肩を思い切り抱き寄せる。右目の傷を指でなぞり、口付ける。呆然としている彼の首筋…聞いた通りの傷跡。指先で触れる。
引き裂いた。
「………っっ!」
響が声を押し殺して呻く。血が彼の黒い服を赤く滲ませる。月咲の白いワイシャツを赤く染める。
彼の身体を硬く抱きしめたまま、眼を伏せる。
「…僕はお前を殺したくはないんだ」
響は何も言わない。
その瞳は信じられないとでも言うように、大きく見開かれたまま。