22.花火
「花芽宮?」
環焔町の隣町へ到着した陽炎と白夜が遭遇したのは、淡華町で出逢った華林術者の少女であった。
彼女は両手に大量の荷物をかかえ、男子二人に向き直った。
「あら、陽炎と白夜じゃない。奇遇ね」
「奇遇と言うか…お前こんなところでどうしたんだよ」
「見れば分かるでしょ?買い物よ」
両の荷物を持ち上げてみせる。
「年中家事ばっかりやってらんないわ。たまには気晴らしにね」
「…あの母親は?」
「さあ。きっと私がいなくなったんで清々して家政婦でも雇ってるんじゃないかしら」
攻撃的ともいえる言動は変わらずだ。
陽炎は一歩下がって二人のやり取りを見ていたが、なんと言っていいのかやはりバランスが良い。
そこいらの男では、姫の攻撃性にはタジタジになってしまいそうだが、白夜はそんなふうになることはない。
姫の母親が目にとめただけある、ということだろうか。
「どうやって此処まで来たんだ?途中の橋壊れてたろ?」
「環焔町でお寺の息子って人に頼んで移動させてもらったのよ。なんか、町の人に聞いたらそう勧められたから」
言わずもがな月咲のことだ。ご苦労な話である。
とはいえ、陽炎も白夜も彼に頼んで移動させてもらったのであって、人のことをとやかく言える立場ではなかった。結論として、人望があると、厄介ごとを受け持ってもらいやすくも、逆に背負いやすくもなるということだ。
それが良いことなのか悪いことなのか、は陽炎には分からなかったが。
「じゃあ、まだ買い物の続きがあるから」
「まだ買うのかよ」
「ええ。どうせなら今まで我慢してた分パーッとね。それじゃあね」
姫は重そうに袋を引きずりながら人混みに消えて行った。
陽炎は思う。
(あの荷物……手伝って持ってあげるくらいしたほうがよかったのかな)
一応男であるからに。
しかしそう口に出して行動に移せるほど、彼は積極的なフェミニストではなかった。
解放された気分で鼻唄を歌う。
姫は決して、己の母親を嫌っているわけではない。
しかし、彼女のおっとりとした、他人の悪意にも気付かないような呑気さを傍から眺めていると、時折無性に苛ついた。
他人の心情を読み取るということを知らない。
その穏やかな性格は彼女の娘である自分とは正反対であると思っているのに、自分も気がつけば彼女と同様に他人の心を推し量る術を知らないのだ。だからなのか、余計に。
「Good morning?姫」
無駄に流暢な英語が耳を突く。
その聞き覚えのある声に、思わず悲鳴を上げそうになる口を引き結んで、姫は振り返った。
「なんであんたがこんなところにいんのよ!」
そして立っていたのは彼女の予想通り、昔から何に関しても無駄に器用な義兄であった。
それも出来れば、顔も見たくなかった方だ。Goodどころではない。彼女にとってはbadそのものだ。
「なんでって言われてもねぇ、偶然君が歩いているのが見えたものだから。せっかくだし、義妹と親交でも深めてあげようと思ってね」
響は、姫の顔一杯に浮かべられた嫌悪の色を見ても平気な顔をしている。
むしろにやにやと楽しそうでもある。
出会い頭思わず指差していた手を下ろされ、姫は叫んだ。鳥肌がたってすらいる。
「触らないでよ!」
「そうやって嫌がられると余計に触りたくなるんだけれどね」
嫌な男だ。
姫は触れられた手をぎゅっと握りしめると、キッと響を睨みつけた。
「とにかく、用は済んだんでしょ!さっさとどこか行きなさいよ」
「そうだねぇ、じゃあ次は望でも探そうかな」
彼は姫から興味をなくしたように眼を反らす。
結局のところ、彼にとって姫の存在など、些細な暇つぶし程度のものでしかないのだ。
姫は唇を噛み締めると、「あいつもこの町に来てるの?」と彼を見上げた。
「だろうねぇ。さっき陽炎君いたし、私もいるわけだし…多分」
「どういう意味?」
「それなりに警戒されてるのさ。あんまり詳しいこと言うと怒られちゃうから言わないけど」
響は薄い笑みを唇に刻むと、手をひらひらと振った。
「じゃあまたね」
瞬間移動するわけでもなく、彼は人の流れに紛れ歩いて行った。
全身真っ黒ともいえる格好であるにも関わらず、自然と溶け込んでしまえるのが不思議でならない。
肩の力を抜き、姫は小さく溜め息をついた。ふと、もう一人の方の義兄を思い出す。
彼はつい先程までの男とは違い、町中にいても違和感のある人間ではない。
ただ、環焔町からこの宇渋町へ来る際、彼女に寺の息子に会うように勧めたのが彼だったのだ。
…もともと姫は、彼に宇渋町まで移動させてくれるよう頼むつもりだった。
しかし。
姫の脳裏に、数時間前のやり取りが蘇る。
『ねぇ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど』
釣りをしていた彼の背中に声を掛けたのは、まだ朝方のことだった。
『久し振りに会った人間に突然頼み事か』
ちくりと嫌そうな態度が神経を刺す。
姫は眉をつり上げ、針を投げ返してやった。
『そうでもなかったらあんたに声なんて掛けないわよ』
『それもそうだな』
けれど彼はその針の存在にすら気付かない。
否、そうではない。彼にとっては姫の言葉は針の痛みほども感じないのだ。
『それで、頼み事は?』
釣り竿を置いて、振り返った彼の微笑は兄らしいものともいえる。
この場面だけ切り取れば、きっと微笑ましい兄妹にすら見えるのだろう。
現実とはかけ離れた表面を錯覚する。
『ちょっと宇渋町まで移動させて欲しいのよ』
しかし、彼は姫という存在をこれっぽっちも想ってはいない。
心の底では、否、そこまで達しなくとも彼は姫の存在など厄介程度にしか考えていない。
何せ電話で母親の命をたてに姫の口を封じたような男だ。
『……そんなことだろうと思った』
渇いた声。彼は微笑を保ったまま、不愉快げな表情を作る。
相手をしているのが自分でなければ、嗚呼なんて顔の筋肉が柔らかい男だとでも思ったことだろう。
『…駄目だ。響にでも頼め』
『どうして』
彼は姫を流し見ると、口元を歪めた。
『そういうことは、<一般人>に頼むことじゃない』
嘘つき、と姫は心の中で呪う。
彼は保身に長けていて、自分に迷惑が被りそうになれば嘘で自身を塗り固める。
それが世の中を渡っていく上で必要なことだとしても、姫には納得がいかなかった。
殻に篭って生きることが、彼女にとっては決して正しいこととは思えなかったのである。
…そして彼女は、自分の価値観が概して世間的に当然のものであると考えがちだった。
『分かったわよ』
彼女がそう言うと、義兄の彼は…早速始めから彼女になど興味は全くないのだとでも言わんばかりに、釣り竿を握り直した。
彼女は彼女で、決してこの義兄ではないもう一人の義兄に頼もうと考えたわけではない。
確かに、あちらの義兄ならば彼女の頼み事をあっさり聞くだろう。
少なくとも、あちらの義兄の方がこの男よりは自分を義妹だときちんと思っている節がある。
しかし姫はそれでも彼に頼み事はしたくなかったし、彼も彼女が義妹でなくともその程度の頼み事は聞いたろう。
(…分かったわよ)
彼女は一歩踏み出す。
母親の命をたてに取られて黙っているのはやめにしたのだ。
彼が何故そんなに『彼自身の情報』に関して『あの二人』に知られたくないのかは知らないが、…言ってしまえば、こっちのものなのだ。
(言ってやるんだから)
決断する。
だがそれをつい先程彼らに言ってしまわなかったのは、単純に如月と同じ顔の響に会うまで忘れていたというだけの話である。
姫は自分の記憶力のなさに大きく落胆した。
荷物をどさりとベンチの置いて、彼女自身もベンチに腰掛ける。
途中で買った紙パックの麦芽牛乳を吸い上げ飲み干し、息を吐く。
ふと、掲示板の張り紙が目についた。
「……『花火大会?』」
空で満開に咲き誇る花火を見上げながら、陽炎はフランクフルトにかぶりついた。
花火は美しいとは思う。けれど彼には、それ以外感慨深いものがあるわけでもなかった。
目の前の光景を比較して懐かしむような、過去が陽炎にはないのである。
昔一度だけ、忙しい合間を縫って父親が花火大会に連れていってくれた日はあった。
そのとき確かに陽炎は花火を見たはずだった。
しかしその同じ日、真っ赤に花火のように弾けた父を見たおかげか、その空に浮かんだ鮮やかな記憶はいとも容易く吹き飛んでしまったのだった。
「白夜さん」
「あ?」
「美味しい?」
横でチョコバナナクレープを食べている白夜を眺め見る。
焦げ茶色のチョコレートソースがいかにも甘そうに、アイスクリームに模様を描き出している。
だが彼の甘党は、今に始まったわけではない。
「少し食うか?」
「いや、いいよ」
「もったいねぇの」
白夜は陽炎に向けかけていたクレープを戻して再び食べ始める。
彼にとっては甘い物を食べないなどということは、人生においてもったいないことらしい。
陽炎は肩を竦め、華やいでは暗く沈む空を見上げた。
花火は飛んであっとう間に散り落ちる。父の真っ赤な花火と同様だ。
脳裏に過るは彼の亡骸…彼という存在であったもの。
…永遠に続く物など何一つないのだと、それ以来陽炎はずっと思っていた。
(俺のこの感情も、俺が死ねばなくなってしまうものなのだから)
いつか来るその日を前に、どうか復讐と云う名の刃を、『奴』の胸に突き立ててやれるように。
『奇麗だろう、陽炎』
(……父さん……)
『あれが花火だ。そうだな、陽炎は見たことなかったんだったっけな』
思い出すのは、微笑む父の姿と、花火が上がるたびに明るくなる世界と。
(もう覚えてなんかいないんだよ、父さん……)
空を見上げても何もない。黒い黒い暗闇だけが陽炎を見下ろしていた。
そして、色鮮やかな血の海が清らかな夜を犯し。
(あの日から俺は汚れているんだろう)
深い闇に汚染された。
何もなかったことになど、例え母親の奴隷にならずとも、出来るはずがなかったのだ。
(殺さなきゃいけないんだ)
そのためにも、生き延びなくては。
船を乗っ取られたときのように、命の危険を感じたのなら容赦してはいけない。
いつまでも怯えてなどいられないのだ。
「白夜さん、俺先に宿に戻ってるから」
…陽炎はフランクフルトの棒をゴミ箱に放り捨てると、白夜に一言残しその場を後にした。
夜空に弾ける偽の花は、乙女の心を魅了する。
「最高の花火ね」
姫はうっとりとつぶやき、時間を忘れたかのように空に見入る。
けれど完全に現実を忘れ去ることはできず、彼女は横に座る人物に冷めた視線を送る。
「ついでに最低な人間もいるけどね」
最低な、と形容された青年は大袈裟に肩を竦めてみせた。
「あーあ、酷いね。花火を一人で見ていても切ないだろうから、君の愛しのお兄さんが一緒にいてあげてるのにさあ」
「気色悪いこと言わないでくれる?それに切ないのは私じゃなくてあんたでしょ」
「弟や妹にこれだけつれなくされれば切なくもなるよ。ちょっとは優しくしてくれないかなあ」
ここで悲しげな顔の一つすれば可愛いものだが、この男に限ってそれはない。
彼は昼間と同じにやにやした笑みを浮かべつつ、手の中の携帯電話を弄くった。
「悪いね、ちょっと電話だ」
そして席を外すわけでもなく、姫の隣に座ったまま話し出す。
無神経なのか単に気を遣おうと思っていないだけなのか、姫には量りかねた。
義理兄妹ということでいくらか付き合いはあるものの、結局この男が冷たいのか優しいのかさえ彼女には分からなかった。
だが。
「……話があるって言うのなら君が聞いとけばいいから。…ああ」
ふと隣で電話する彼の横顔は何故だか冷たく見えた。
否、冷たいというよりも投げやりなと言った方が正しい。
「…誰から?」
「部下から。父の側近だった爺さんが、取り入ろうと必死なのさ」
彼の冷ややかな口調に閉口する。
彼の父、つまり姫の父でもあるのだが、五年前に亡くなったと聞いている。
どうして亡くなったのか、など彼女は知る由もなかったが、確か彼はその『組織』とやらでも結構な立場だったという話だ。
五年が経った今でも、彼の息子である響を取り巻く環境は色々と複雑なのだろう。
「と、ところで結局あいつには会えたの?」
話を反らす意味で、姫は如月のことを持ち出した。
彼は昼間、姫の後にでも会いに行くとでも言うような口振りだったのだから。
「いや、やめておいたよ」
すると彼は予想通り、普段の声色に戻ったが、その瞳には強い感情の炎が揺らめいて見えた。
姫は彼が感情の起伏の激しい人間であることは知っていたが、これほどまでに極端に変化することはかつてなかった。
「…ど…うして?いつもなら暇さえあればあいつの傍にいたがるのに」
思わず声が上擦ってしまったのも仕方がない。
彼の手袋が、血で濡れていることに気付いてしまったからだ。
「我慢出来る自信がないからね」
何を、とは聞こうにも聞けなかった。
彼の姿はもうなかったし、聞いてしまったらそれはそれで冗談では済まされそうになかった。
(あいつ…相当苛ついてる)
彼の手袋から滴り落ちた赤い雫が、暗い芝生にじっとりと染み込んでいる。
おそらく、今回ばかりは仕事ではなく、彼自身の苛立ちが彼を殺しという行為に駆り立てたのだろう。
それは子供が苛ついて物に当たるということによく似てはいたが、彼の場合術者であり子供でないだけに更に質が悪い。
(いったい…どういうことなの……)
姫はただ困惑し、その血痕をひたすらに見つめているしかなかった。