19.渇望エゴイスト
月咲が裏庭にいくと、すでに勝負は始まっていた。
陽炎は、彼がやってきたのが目に入らないくらい集中しているようで、見向きもしない。
白夜は気付いたようだが、敢えて反応も示す理由もないらしく、ちら、と見ただけですぐに陽炎に向き直った。
攻勢をかけているのは陽炎。守勢なのは白夜だ。
(……さすがに若者は元気だな)
すっかり年寄りのような感想を漏らし、月咲は肩を竦めた。
陽炎は前日丸一日月咲の話ばかり聞いていて、軽い運動の一つでもしたくなったのだろう。
朝食を食べて早々に、彼が白夜を道連れに寺の裏側へ向かい、今に至る。
「そんなんじゃ獲物は仕留めらんねぇぞ!」
陽炎が繰り出す火の粉を軽々しくかわしつつ、白夜が叱咤激励する。
一方、陽炎はもどかしげな表情だ。
指導する側だとは、自分のいとこも随分成長したものだ、と月咲は縁側に腰掛けた。
わざわざ自宅の方から煎れてきた麦茶を水筒から注ぎ、口をつける。
今年の夏も盛りを過ぎたとはいえまだまだ暑い。
熱中症には注意しないとな、と彼は団扇でぱたぱたと自身を扇いだ。
「相性に頼んな!ちまいのばっか出してても勝てっこねぇんだよ!」
それにしても白夜の口の悪さは誰に似たのだろう。
彼の母親…月咲にとっての叔母だが、はそれほど口は悪くなかったように思える。
(まあ望も何気に口悪いしなぁ…人様のことをあまり言えた義理じゃないな)
やはり僕の教育が悪かったんだろうか、と昨晩白夜に指摘されたことを思い出す。
まあでも外では取り繕っているみたいだし、かまやしないか……。
月咲は水筒の蓋を戻し、二人の方を見た。
白夜の蔓が、陽炎の手首に絡み付く。
彼は咄嗟にそれを炎で焼き払ったようだったが、その瞬間目の前には白夜が立ちはだかっていた。
何もいない池に陽炎が頭から突っ込み、派手に水滴が飛び散った。
「お、溺れる!」
「馬鹿、そのくらい足つくだろ」
いくら足がつく水位とはいえ、水そのものに耐性の弱い楊炎術者にはきついと思うのだが。
(鯉のいない池で良かったな)
そんなことを考えた月咲のところに、白夜が歩いて来た。
「どうだよ、第三者から見て」
月咲は持ってきておいたタオルを手渡してやると、
「正直言うなら、力の差は大きいな。まだ陽炎がお前に遊ばれてる段階だ」
水浸しになっている陽炎の方へ足を向けた。
タオルで軽く頭を拭いてやる。
「大丈夫か?駄目なようなら、少しそこで休んだ方が良い」
縁側を指し示す。
陽炎は首を振った。
「そこまで弱ってませんから」
そのわりに唇が紫色だが。
とにかく、着替えて来た方が良い、と月咲は見習い坊主を呼び、陽炎に着替えの服を貸してやるように言った。
「月咲」
振り返ると、翠の眼差しが月咲を見据えていた。
「あいつはどうした」
「望なら調子が悪いようだったから、まだ寝てるんじゃないか」
本当は今朝方右目が出血したので無理矢理奥部屋に隔離したのだが、そんなこと口が裂けても言えるはずがない。
そもそも無理矢理そんなことをすることになってしまったのは、彼が二人に見つかる前に家を出ようとしたからだ。
『そんな血を流しながらこの家から出て行くのはやめてくれ!』
『瞬動していけばいいだろう』
『そんなことで力を使うのもよせ!部屋で大人しくしていてくれ』
『だが……、ッ痛い、痛い痛い放せ!この馬鹿力!腕が折れる!』
『心配するなお前の腕はそんなやわじゃない』
思い出してみればこちらも大人げなかったかもしれないが、少々意地になっていたのだろう。
月咲はため息をつきながら空を仰ぐと、白夜に視線を戻した。
が。
「如月さん、調子悪いんですか?」
着替え終わった陽炎が、ひょっこりと白夜の横から顔を出した。
「……ああ」
「俺見舞い行ってきます」
さらりとこの楊炎術者の少年は、走って行ってしまった。
月咲が止めた方がいいのか、と気付く間もなくだ。
血が止まって間もなく、家を出た。
例えそれが自分のものでも、いつまでも血の生臭さに当てられるのは嫌だったのだ。
だが、玄関を閉め門を通り、数歩行ったところでその進行は止められた。
「如月さん!」
走り寄って来る足音と聞き慣れてしまった少年の声。
振り返って挨拶する間もなく、背後から腰にしがみつかれた。
少年一人分の重みがずっしりと乗る。
「何してるんですか」
「え?」
「調子悪いって月咲さんに聞いたんです。なのにどうして外になんか出てるんですか」
(樹乃の奴……)
彼にも何らかに事情があったのだろう。もしかしたら口が滑っただけかもしれない。
したがって責めるべきではないと分かっているのだが、それでも背中がひやりとしたのは事実だった。
「ほら、戻りますよ?」
腕を引かれて玄関まで戻る。
「いえ、その、もう治りましたから」
「駄目、顔色悪いよ」
それは焦ったからだ。
しかし陽炎は強引に如月を部屋まで連れ戻し、座布団の上に座らせた。
「体温計、ってどこにあるんですか」
「…あの、熱なんて俺は…」
「どこにあるんですか」
「………居間の電話のある棚の、…二番目の引き出しです」
…どうもこの少年の押しには弱いらしい。
負い目があるからか、それとも、年下は苦手だったのか。
何よりもまず、現状において分が悪い。
少年は月咲の言葉を信じこみ、如月が何を言っても病人の戯言だと受け止めている。
絶対的な確信を持ったあの少年は頑固だ。
それは恋須賀街のオークション時に悲しいかな、実証されている。
「はい、如月さん熱計って」
「………これで熱がなかったら、陽炎君は特訓にお戻りになるんですよね?」
「…如月さんは、俺がいるのが嫌なんですか」
「は、…い、いえ、そんなことあるわけないじゃないですか」
陽炎の口の端が逆Uの字に歪みかけ、如月は陽炎が決してポジティブな人間ではないことを思い出した。
それも過去の自分の行いに起因していると思うと、胸が痛む。
「俺は陽炎君のことを迷惑だなんて一度たりとも考えたことはありませんよ」
「…本当ですか?」
「ええ、勿論です」
昨晩謝られたことも関係しているのだろう。
彼は自分に迷惑を掛けているのではないかと心配しているのだ。
如月は複雑な内心とは裏腹ににっこりと微笑むと、陽炎から体温計を受け取った。
ケースから取り出して、ああこれは口でくわえるタイプだったか、と判断する。
これを使ったのはかなり昔のことだったとは思うが、果たして未だに現役だったとは、驚きだ。
あまりリアルには考えたくない年月でもある。
話せないので、しばしの間。
何故か陽炎は庭の池をじっと睨んでいる。
彼は楊炎術者だったから、そういったものも嫌いなのだろうか。
やがて体温計が間抜けた音で鳴り響いた。
表示された数字を見て、目を見開く。三十八度四分
(……そんな馬鹿な)
「如月さん、何度だった?」
手を差し出してくる陽炎にちょっと拭きますんで待って下さいと背を向ける。
おかしい。これは何かの間違いだ。熱なんてない。
考え得るからに、これは陽炎に持ってこさせたのが原因だ。
勝負の後の彼の手は尋常ではないほどの熱さを持っていた。
それが体温計に何らかの変調をもたらしこんな結果に。
そうに違いないというよりも、それしか考えられない。
だがもしこの状態で陽炎に渡せば彼は聞く耳も持たずに
「ほら如月さん貸した貸した!」
そう考えたのが約三秒間。
体温計は陽炎に引ったくられた。
「…如月さん」
「ち、違うんですそれは」
「今から布団敷きますから大人しく寝て下さい」
「だから誤」
ピシャン!と押し入れが開けられ、寝具一式がどさりと音をたてて落ちた。
机は退かされ、寝床があっという間に拵えられる。
「陽炎君、俺は熱なんてないんですよ」
「ならさっき計ったときのあれはどういうことなんですか」
「あれは、体温計が壊れてただけで」
口調からしてご立腹のようだ。
おそらくこの調子ではまた『どうして自分を大事にしようとしないんですか!』と怒られてしまうだろう。
額に押し付けられた掌が無駄に熱い。やはり原因はこの少年だ。
「よくよく考えると俺は度の過ぎた熱さとか分からないんで、やっぱり体温計で見るしかないんです」
過ぎるどころかないのだ。
しかし如月は、布団に包まされてしまった。
(…蒸し暑い)
夏に分厚い布団を掛けられても暑いだけだ。
それ以前に暑さはあまり得意ではない。
「……陽炎君、暑いです」
「ええでも熱あるんだし……うーん、逆に涼しくした方がいいのかな」
「普通で丁度いいくらいかと思います。というより本当に熱はないんです」
「…まだそんなこと言ってるんですか」
機嫌降下。
如月は焦って「せめて薄い布団にしていただけませんか」と頼んだ。
陽炎もそれには黙って従った。
「そうだ、如月さん喉渇いてないですか?」
「あ、はい」
「じゃあ持ってきます!」
蒸し風呂状態では喉も渇く。
如月は陽炎がいない間、せめて扇風機を……と、傍にある扇風機に手を伸ばそうとした。
だが。
「何してるんですか」
意外に戻ってくるのが早かった。
陽炎は「もう、じっとしてて下さいよ」とぷんぷんしながら、如月を布団に引きずり戻した。
布団は生温い。
(樹乃と桴海は何をしてるんだ……)
二人で呑気に陽炎が帰ってくるまで将棋でも打っているのだろうか。
この自宅に戻って来ていないのは、気配で分かる。
「かげろ……」
二人はどうしているのか、と尋ねようとして、如月は固まった。
陽炎の熱い掌が頬に触れ、顔が近付いてきたからだった。
「あ、あの、ちょっと待って下さい」
慌てて彼の肩を掴んで押し戻す。
彼はきょとんとした顔で、
「ああー、飲み込んじゃったよ」
と、言った。…飲み込んだ?
「うん。病人の人が水を欲しがったら口移しでって本に描いてあったからさ」
「…それは病人の人が自力で飲めない時ならまだ…多少は分かりますが、俺はそこまで衰弱してませんよ」
「なんだ、どきどきして損した」
そういう問題だろうか。
まさか桴海にも同じことをしたことがあるのだろうか。
「ううん。白夜さんはそんなデリケートじゃないから風邪とかひかないみたい」
「……そうですか」
「…如月さんは誰かとキスしたことあるんですか」
なんだかんだ言っても陽炎も青少年らしくそういうことに興味を持つ年齢らしい。
如月は水を一口飲むと、コップをもとの位置に戻した。
「ありますよ」
「誰と?やっぱり彼女とかいたんですか?」
「……彼女……ではなかったような気もしますがね」
確か初めてしたのが十五、十六の頃の名前も知らない女とで、その後再会した響と何度かしたぐらいで、『彼女』といわれるものとしたことはない気がする。
「彼女とじゃなくても出来るもんなんですか」
陽炎は驚き顔だ。もし白夜だったら「ふざけんじゃねぇ」と怒鳴られているところかもしれない。
「?……ええ、まあ」
しかしそれほどキスという行為は重要な、大変なものなのだろうか。
所詮唇を合わせるだけの大した行為ではないと如月は思っていた。
わざわざする理由も見いだせないようなちっぽけな接触。
「じゃあ、さ…………」
「はい」
「…やっぱり、何でもありません」
陽炎が何か言いかけたので、彼は首を傾げた。
裏庭に残された二人は、縁側に並んで座り、西瓜を食べていた。
月咲はスプーンで種を取り除きながら、白夜はそのままかぶりつきで、種は庭に飛ばしている。
将来、庭が西瓜畑になってしまうかもしれないな、
と、月咲は馬鹿馬鹿しいことを言う。
もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ
この二人の間には基本的に話すことがないため、西瓜を食べる音以外しなくなる。
「望が家にいなかったら、陽炎はどうするんだろうな…」
月咲が独り言を漏らす。
白夜は新たに地面に種を植え付けると、それを会話に進化させてやった。
「調子が悪いなら普通は家にいるだろ」
「そうだったらいいんだが…」
「煮え切らねぇな。なんか心配なことでもあんのかよ」
西瓜を食べ終え、腕で口を拭う。
月咲はスプーンを置いて物憂げに溜め息をついた。
「望は、誰にも会いたく無さそうな顔をしていたんだ…それで、…うっかり陽炎を送りつけてよかったのかと」
「あいつの顔見てよく考えてることなんて分かるな。まあだとしても、あいつは陽炎相手におざなりな対応はしねぇだろ」
「だと思うんだが………」
白夜は月咲の煮え切らない態度に単純に苛ついて、縁側を強く足で蹴飛ばした。
縁側よりも、足が痛い。
「っ心配しすぎなんだよ、もうちょっと気楽にものを考えらんねーのか」
「血が繋がっていても性格は似ないからな」
「なんだその『お前は気楽でいいな』みたいな発言はよ」
「そんなことは言ってないさ」
いまいち噛み合わない…というよりも反りが合わない。
やはり白夜と如月の性格が合わないのも月咲の影響が大きいのかもしれない。
月咲は西瓜の皮をのせた皿を持って立ち上がると、空いている手でズボンのポケットからクギとトンカチを取り出し白夜に手渡した。
「僕だって好きで心配してるわけじゃないんだ。そこ、直しておいてくれ」
「なんで僕が!」
「壊したからには直すのは当たり前だろう。これ片付けてくるから、よろしく頼む。」
逆襲。
白夜はトンカチ片手に、月咲が歩いて行くのを見送った。
(くそ…なまじ正論なだけに……)
反論出来ない。
白夜はクギを左手にかまえて、蹴飛ばして壊した縁側の修理を始めた。
生きている木は術で治せても、加工された木は治せない。不便なものだ。
「痛!」
釘が刺さった。
顔を顰めて、血の出た指をくわえる。
人間、慣れないことはするもんじゃねぇな、と思いながら、白夜はトンカチを握り直した。
空色が橙色に変わる頃、ようやく布団から抜け出すことを許可された。
座布団に座り直し、台所にあったという大福を摘む。
「陽炎君もどうぞ召し上がって下さい」
甘い物は嫌いだ。喉が焼ける。
だが仮にもこの家を住所としている身であり、こちらが遠慮すれば客人である陽炎まで遠慮する。
よって少々無理に大福を口に詰め込んだ。
看病で腹が空いていたのか、嬉しそうに食べる少年。
ただこうして過ごしていると、『復讐』などいうものとは無縁に見える世界。
(『単なる罪悪感なら、地面に頭を擦り付けて土下座でもしてくればいい』か……)
それで罪の意識から解放されるのならば安いものだと彼は言いたかったのかもしれない。
そして自分がそうはしないであろうと分かっていて、敢えてそんな言い方をしたのだ。
(『今の関係を壊すのが』……黙ってさえいれば、この平穏な日々が続くと……)
都合の良い思考。果たしてそれは本当にこの少年のことを思っての行動だろうか?
この少年は、敵である楼闇術者…つまり自分を殺すことを望んでいる。
したがってそれは自身の願望でしかない。
(だが平穏な日々を望んで何が悪い)
分かっている。彼の平穏であったはずの日々を破壊しておいて自身の平穏を望む権利などあるはずがないということなど。
あるとしたら、…それはエゴの塊でしかない。
「如月さん」
「!…はい?」
「如月さんは、どうして月咲さんの家にお世話になることになったんですか?」
「……ああ、そのことですか」
家族関係に敏感な陽炎のことだ。
頭の片隅で、如月と月咲の関係性をずっと気にしていたのかもしれない。
如月はお茶を飲み、唇を湿らせた。
あまり自分のことを誰かに語るのは、得意ではなかった。
口下手なのかもしれないし、客観的に見れている自信がないからかもしれない。
だが、それほど長い話ではないし、むしろ単純な事実に過ぎない。
それほど気負って話すことでもない、と如月は考え直した。
「まあもうだいぶ昔のことにですが」
俺の両親は仲が悪く、結婚してすぐに別居状態に至りました。不仲の原因は分かりません。
そして別居する際、俺は母親に、兄は父親に引き取られました。
早急に離婚を成立させたがっていた母親は、毎日のように父親に離婚届を送りつけたそうです。
父親は離婚を承諾せず、時折母親のもとを訪ねては俺を撫で、母親を殴りつけて帰って行きました。
やがてそんな日々が繰り返されることに嫌気が差した彼女は、直々にあの男のもとへ訪ねて行きました。
俺は一緒に行きましたが、途中母親に公園で待つように言われ大人しく公園で遊んで待っていました。
夕方になり、母親は手を振りながら戻ってきました。
彼女は嬉しそうに離婚届を握りしめていました。
これであの男から解放される、と心の底から喜んでいたようです。
事実線の細い彼女が父親に乱暴される様子は子供心に見ていたくはないものでしたし、
これでもう母親の傷だらけの姿を見なくてすむのなら、と俺も嬉しく思ったものでした。
ですがそれも束の間、公園から出ようとしたとき、目の前を突然父親が立ちふさがりました。
父親は俺に「元気だったか。望も×××に似てきたなあ」と笑いかけました。
彼はきっと俺の髪色のことを言いたかったのでしょう。母親は銀髪でしたが、彼は黒髪でしたから。
母親は俺を庇うように後ろに回すと、突如苦しみ始めました。
……原因は、分かりません。ただ父親は笑いながら、此処まで乗ってきたらしい車に乗り込みました。
その後彼女は救急車で搬送されましたが、結局助かりませんでした。
残された俺は父親は引き取られるのが筋でしたが、彼は行方をくらましていました。
そこに母親が生前同級生として仲良くしていた樹乃の父親が、引き取り手がいないのならと名乗り出てきて、…現在に至るわけです。
「その父親の人とは、それ以来会っていないんですか?」
「いえ、時々訪ねてくることはありましたよ。今はもう風の噂で亡くなったと耳にしていますが」
「そういえば、花芽宮さんももういないみたいなこと言ってたもんな……」
陽炎は辻褄を合わせるかのように考え込んでいる。それから、
「じゃあその…兄って人とも会ってないんですか」
「小さい頃に父に連れられて何度か来ることはありましたから、それくらいですね」
つい先日会ったばかりな気もしている。
陽炎は兄弟がいないからなのだろう。興味深そうに更に突っ込んで聞いてきた。
「その…兄ってどんな感じでした?」
「どんな、とは?」
「んー、如月さんに似ていていたかとかですよ」
面立ちはほぼ同じと言っても過言ではないが。
如月は苦笑した。
「似ても似つかぬ人でしたかね。兄はもっと…何もかも自分のやりたいように生きている人でしたから」
土台はほぼ同じであるにも関わらず、正反対の生き方をする。
故に惹かれ、同時に拒む。
惹かれてはいけない。拒まなければ、一線を越えてしまう。
彼を自分と『同じ』であると認めてしまえば、自らのアイデンティティはどうなる?
これまで培ってきたものが壊れてしまう。精神までが、血の海に沈む。
それは出来ない。だが、彼の論理には甘い響きが付きまとう。
「…如月さんは、その人が羨ましいんですか?」
人を殺すことに何の戸惑いも罪悪感すら感じずにいられる彼が。
『楼闇術者として当然の欲求だよ』彼は言う。
「……分かりません」
「如月さんは、…自分のことが嫌いなんですか」
好きなわけがない。
こんな人を殺さずにはいられない、周囲に…樹乃にもこの少年にも桴海にも、迷惑を掛けずにはいられない人間を。
それなのに自分ばかり守りたがって、嫌われることを怖れているような臆病者を。
「好きとまではいきませんが…嫌いではないですよ」
如月は笑みを張り付けた。
愚痴めいたことを言って、この少年を困らせたくはなかった。
だが。
「俺は如月さんのこと好きだよ」
少年がそう言って笑い返したとき、不覚にもそれが剥がれ落ちそうになった。
「優しいし、頼りになるし、まあちょっと今日みたいに手を焼かせるところもあるみたいだけど」
そういう意味では、白夜さんも月咲さんも好きだけどね、と少年はぎこちなく微笑む。
如月はその少年の髪をぐしゃぐしゃと撫で回し、
「俺も陽炎君のこと好きですよ」
と、言うと、一旦部屋を出た。
障子をぴたりと閉めて、ぐっと俯いた。
じわりと、瞼の裏が熱くなる。涙がでないにも関わらずだ。
「……っ」
……悲しかった。過去に自分が彼にした仕打ちが。
だけれど嬉しかったのだ、彼の言葉が、彼の微笑みが。
それが例え、笑みを被った自分に向けられたものだとしても。