17.覚悟










昼の彼からの電話が影響しているのだろうか、夕食中の姫の機嫌はすこぶる悪かった。
だが彼女の母親はそれに気付いた様子もなく、…もしかしたら普段からこんな調子なのかもしれない、陽炎と白夜に笑みを振る舞っていた。
「たんと召し上がってね、桴海さん、日向さん」
確か料理を作っていたのは花芽宮さんじゃなかっただろうか…と陽炎は思ったが口には出さず、コーンスープを啜った。
月咲の婚約者である神野家で食事を頂いたときほどではないが、なかなかどうしてこの空間も息が詰まる。
隣に座る白夜もそれは同じのようで、彼の握るフォークはあまり動く様子がない。
そう思ってその横顔を見上げると、彼の視線は一点に多少揺れはあれども定まっていた。
そしてその視線の先にいるのは彼女の母親で、母親の視線もまた、彼に頻繁に向けられていた。
陽炎はぎょっとして姫を見たが、彼女は下を向いて黙々と食事をしているだけだった。
「姫が若い男の子を連れて来るなんて初めてなのよ〜。うふふ緊張しちゃうわね〜」
豊満な肉体の母親は、陽炎をちらりと見る。
陽炎は咄嗟に視線を反らした。
反らしてしまった良かったのかどうか、それは反らしてしまった時点でもはや考えてもどうしようもないことだ。
だが彼女の視線は、普通の客人に対するものではないようで。
強いて例えるならば、それが上物か何かしらの対象物に見合う代物かと品定めするかのような。
姫から聞いた話、父親はいないそうだが、まさかこの母親自身が自分達に相手役を求めることはあるまい。
歳の差だけでそう決めつけるのも尚早というものかもしれないが、…陽炎はハンバーグにナイフの刃をいれた。
おそらく、この母親が求めているのは自分の娘の相手だろう。
そう思うことにした。
「ところで、桴海さんは付き合っている相手の方はいらっしゃるのかしら?」
それきた。陽炎は視線を反らした時点で候補から外されたのだろう。
それか年齢的に若過ぎる、と判断されたかだ。
「…いませんが」
白夜に動揺している様子はない。
だが彼が内心(まじか…)と思っているであろうことは、陽炎には見て取れた。
母親はうふふと笑う。
「なら姫なんてどうかしら?この娘ったら気が強くてそこらへんの男の子達が寄って来てくれないのよ」
うふふ。
「いえ、僕なんて姫さんには釣り合いませんよ」
「そんなことないわよ、うふふ、とってもよくお似合いだと思うわ」
まあ樹林と華林である意味お似合いではあるね、と陽炎は言おうとしたが、白夜の横顔を見てやめた。
完全なよそ行きの面だ。
言ったところで、今は表面上穏やかにかわされても、後々責められるだけである。
「姫さんは素敵なお嬢さんですから、僕にはもったいありません。彼女にはこの先もっとふさわしい人が現れますよ」
「そう?残念ねぇ」
普段あれだけ乱暴な口調の人間が、よくもまあスラスラと丁寧に喋ってみせるものだ。
姫の母親が案外あっさり引いたのは意外だったが、これもまた表面上だけなのかもしれない。
「…ごちそうさま」
がたんと姫が立ち上がり、空の食器を持って台所へと向かった。
「ごめんなさいね、無愛想な娘で」
「いえ……、ごちそうさまでした」
白夜も内心は母親の相手から逃れたかったのだろう。
母親が食べ終わっているのを確認してから、彼も席を立った。
食器を持ち、台所へと向かう。陽炎も後に続いた。
息が詰まる。
「いいわよ、私が洗うから」
「いいんだよ、自分で食った皿くらい自分で洗う。ほら、陽炎も貸せよ」
言われた通りに皿を手渡して、一歩下がったところから二人の後ろ姿を見た。
……なるほど、まあお似合いかもしれない。







「『お前の母親の命がどうなってもいいのか』だなんて、まるで君らしくない台詞だね。望」
「……」
「姫も冷静に考えれば分かることなのにねぇ、まあ、私のせいで頭に血が上っちゃってたんだろうね」
彼女は酷く私を嫌っているようだから、と響は緩やかに微笑する。
その正面に座る如月は、注文したカレーライスを黙々と食する。
ただし目の前にいる存在のおかげで、味はほどんど感じられない。
それほどまでに、意識を遠ざけようとして逆に意識してしまっているということだ。
「……お前何しに来たんだ」
「君の顔を見に。あ、すみませーん、トロピカルマンゴーパフェお願いしますー」
注文を受けたウェイトレスが離れて行くのを確認してから、響は薄い微笑を唇に刻んだ。
「そんなに彼らに知られたくないんだ?…君のこと」
「俺は、」
「失望されることが、拒絶されることが怖いんだろう。君が彼の敵で、人を殺さずにはいられない人間だってことを知られて」
如月の顔がみるみる青ざめる。
そして反論しようとして、出来ない自分に気がつく。
何故?
「分からないのかい?」
「おまたせ致しました。トロピカルマンゴーパフェです」
「あ、はい」
響は、パフェの中心を陣取るマンゴーアイスに柄の長いスプーンをざくりと突き刺した。
黄色くてひんやりとした甘い塊が、彼の口の中に飲み込まれる。
「君は彼らのことが好きなのさ。…義理の妹に恐喝紛いのことを口走ってしまうくらいには、ね」
「…、そんなことは……」
「単なる罪悪感なら、地面に頭を擦り付けて土下座でもしてくればいい。でも君はしたくない。今の関係を壊すのが嫌なのさ」
空になる器。
響は伝票を持って、席を立った。
「支払いはしといてあげるよ。あーあ、それにしても…妬けるなあ」
その微笑が僅かに歪んでいたのは、気のせいなのか。











「白夜さん、花芽宮さんと良い雰囲気だったね」
「…あの母親の言うことに影響でもされたのか?」
「違うよ、昨日の皿洗いの時とかので、そう思っただけ」

一晩経ち、帰りの船に揺られながら、陽炎は海面を見つめていた。
跳ねる水飛沫。行きのようにアヒルちゃんボートではないのは、彼女が船代を出してくれたからだった。
一度は断ったのだが、気前がいいのかどうなのか彼女は「持って行きなさいよ」の一点張り。
結局折れて素直に受け取ると、彼女は微笑んだ。
…その笑顔が少しかの釣り人に似ていただなんてことは、彼女の前では口が裂けても言えなかった。
「あんなん別に普通だろ?花芽宮のことはどうも思ってねぇよ」
「そうかな」
「嫌な奴じゃあねぇけど、考え過ぎだ」
白夜は何を考えているのか、どこか上の空だ。
その横顔を見つめつつ、陽炎は口を噤んだ。

そして不意に、人々のどよめき。
異変を感じてそちらを見遣ると、船内の奥の方から、男性の悲鳴が聞こえてきた。
何事か、と近寄っていった陽炎が見たものは。
「……バスジャック?」
「強いて言うならシップジャックだな」
陽炎の肩口からひょこり顔を覗かせた白夜は眉を寄せる。

そこには、人質を連れた犯人達の姿があった。

彼らは人質の額に銃口を押し当てながら、操縦室へと入って行った。
ここら一帯には淡崋町と亜瀬町にしか港はない。
二人は後を追い、操縦室のドアの影に隠れた。
操縦室の中では、犯人の一人が通信機で会話している。
電話の相手は亜瀬町の町長らしい。
「亜瀬町にはそんな取れるような金はねぇと思うんだがな……」
小声で、白夜が囁く。
陽炎が無言で同意すると、犯人がお決まりの文句を口にした。

「一億円用意しろ。…さもなくば乗客と船員の命はないぞ」

あの町にそんな金があるとは思えない。
犯人はそれを承知で要求しているのか、それとも単におつむが足りないのか。
陽炎はじっと犯人の男達を眺めていた。
楼闇術者が関係していそうにないからか、恋須賀街のオークションのときのように心が昂ったりすることはない。

通信役の男は声を荒げた。
どうやら交渉が難航しているらしい。
「今日の午後四時までに金を用意しろ!分かったな!」
今が午前十時。
陽炎と白夜は操縦室の前から離れてテラスに出ると、息を吐いた。
「四時までこのまま騒がしいのもな…」
「その前にこんな少人数の船のためにお金なんて出すのかな」
「…とはいえ、それで人質皆殺しとなっても困るんだよな。分かってるとは思うけどよ、一応僕らも人質に含まれてるんだぜ」
「そういえば乗客の命、とか言ってたね」
あまり客観的に眺め過ぎるのも考えものだ。
白夜は額に手を当て、溜め息。
「お前、よくそんなんで旅して来れたな。ちょっとは自分の命の位置が危ないかどうかとか考えてみろよ」
「命の位置?」
「そうだよ、ここまで行ったら危険だな、とかあるだろ。セーフかアウトかの境界線」
「…つまり危機感が足りないってこと?」
「そうだよ」
(俺は、ちゃんと死にたくないとは思っているけれど)
死んでしまったら、何も出来ないから。
彼が言いたいのは、そういうことではないのだろうか。
陽炎は操縦室の方へ視線をやった。
「ところで、あの犯人達をどうにかすることは出来ないの」
「お前『術者は一般人に術をかけてはならない』っていう法律知らねぇのか?」
「知らない。それに、あいつらが一般人とは限らないし…大体あの犯人達が先に違法行為してるんだから、俺たちも法律にこだわる必要なんてないんじゃないの」
「下手したら事件解決後僕達も訴えられるんだぜ」
「正当防衛って言ったらどうなる?」
「……」
日頃勝負を避けたがるだけあって、白夜は基本もめ事は好きではないのだろう。
しかし陽炎は。
「お前、ほんと過激な奴だな…」
やれやれ、といった調子で白夜は腕を組んだ。
それを了承だと陽炎は受け取る。
「じゃあ突入…」
「待てよ」
陽炎は操縦室へ向かおうとして彼に襟首を引っ掴まれた。
首が突っ張る。
「…何、白夜さん」
「もし相手が術者で、歯が立たないくらい力の差があったらどうするつもりなんだよ」
本当に、彼の視線は痛いくらい真っ直ぐだな、と思う。
おそらく、その半分は自分(他人)への心配で出来ているのだろうと思ってしまうくらいには。
「……そのときはそのときで、大人しく人質すればいいんじゃないかな」
歯向かった時点で殺されるかもしれないが。
思わず目を伏せた陽炎の横で、白夜は操縦室の方へ視線を向けた。
「…今の位置から判断して、犯人の中に術者は少なからず一人はいる。通話役は多分違う。船長に銃を突きつけている奴も違う。…残り一人の見張ってる奴だろうな」
見張り役の犯人からは術者独特のオーラが出ている。
彼らとの間に距離が少しあるため、初級術者である陽炎には感じられなかったが、上級術者である白夜にはどうにか察知出来たのだろう。
しかし、こちらにオーラが感じ取れているのだから、見張り役の犯人が中級以上であった場合、二人のオーラも感じ取れているはずだ。
それなのに、他の連中に何か言う気配はない。
間抜けなのか、向かってきても問題ではないと思っているのか。
陽炎は言った。
「じゃあ俺がその人で、白夜さんは人質救出方向で」
「あ!?」
白夜は陽炎が言い出したことに口をあんぐりと開けた。
顔立ちは決して悪くないというのに、彼は時折表情のせいでかなり間抜けに見える。
「力の差がどんなもんかわかんねーんだぜ?馬鹿言うなよ」
「でも俺が銃持ってる方に向かっていっても危ないと思うけどな」
「……それもそう、なんだけどよ」
陽炎は一度言い出したらまず聞かない。
白夜は陽炎の顔を見て項垂れると小さく「分かった…」と呟いた。
「ただし、危なくなったら遠慮なく参戦するからな」
「うん」





白夜はどことなく心配そうな顔をしながら、ドアを蹴り破った。
犯人達と人質の視線が一斉に集中する。
「人質を解放しろ」
正確には自分たちを、ではあるが、そんな細かいことを気にしてはいられない。
陽炎が一種の戦闘開始を宣言したのと同時に、白夜は犯人が持っている銃を蔓で一瞬にして奪い取り、人質を操縦室から追い出した。
通話役と銃を突きつけていた脅し役を蔓で縛り上げる。

「陽炎!」

白夜は名前を呼んでから、「うっつ」と飛んで来た火の粉を避けた。
陽炎は見張り役の男と対峙している。
(相手も楊炎術者か)
楊炎術者は火傷をしない。となると楊炎術者同士でケリをつけるのは厳しい。
肉弾戦になれば大人相手なのだから、陽炎に勝ち目はないだろう。
見張り役の男は様子を見る限り中級以上の術者のようだった。
陽炎は火を放ちながら白夜に背を向けて言った。

「白夜さん手出しは無用だよ」

火の粉があちこちに飛び散る。
そのうちの一つが他の犯人を縛る蔓に飛んだ。
燃え上がり、蔓が解ける。
白夜は舌打ちしててっとり早く奪った銃で、逃げようとする犯人二人の頭部を殴りつけた。
蔓を結び直す。
そして火の粉が飛び移らないように、操縦室から引きずり出した。
(手出し無用って、…本当に大丈夫かよ)
そう思いつつ再び中へ戻ると、陽炎が吹っ飛んできた。
やはり肉弾戦になったのだろう。成人と少年とでは話にならない。
顔を覗き込んでも殴られたような傷はないので、今のところ、吹っ飛んだだけのようだが。
陽炎は白夜を押しのけて立ち上がって、男に向かって行った。
男から繰り出される拳を避ける。
(銃で殴らせても、いいけどよ……)
銃を投げたところで、男にとられるのがオチだろう。
それでは逆に撃たれてお終いだ。
せめて犯人の足だけでも封じるか、と白夜は床に手をついて蔓をもぐりこませようとして、止めた。
(陽炎は手出し無用だと言ったんだ…僕が手助けしていいところじゃない)
死なれたらもとも子もないが、そこまで切羽詰まった状況というわけでもない。
陽炎は今のところちゃんと避けられているし、男は拳が空振りして疲労が溜まっている。
しかし。

(避けるだけじゃ勝てない。どうすんだか…)

白夜は考え込んだ後、操縦室を出て犯人達が気絶しているのを確認すると、人質となっていた船長に言った。
「こいつら柱にでも結んどけ。起きたら年季の入った雑巾でも口に突っ込んどけばいいから」
びくついている船長が頷いたのを確かめ、上って来た階段を下る。
操縦室からはガッと何かが床に突き刺さるような派手な音が響いてきた。
白夜はするりと操縦室に入り込んだ。手出しはしないと決めていた。
が、口を出さないとは言っていない。

「他の連中はもうお縄にかかったも同然だ。あんたはいつまで抵抗するつもりだ?」

見張り役で術者の男は、白夜の言葉に一度ぴたりと動きを止めたが、
すぐに懐に隠し持っていたナイフで陽炎に切り掛かった。
床が軋む音。
紙一重で陽炎はかわすものの、かなりばてているように見える。
これでは、そのうち刺される。
(陽炎は護身用にナイフなんて持っちゃいない…。持っていたとしても、出す暇ないしな…)
ナイフが陽炎の髪を掠める。一つに結んでいる髪の先がわずかに切れた。
しゃがんでナイフをかわし、相手の懐にもぐり込む。真上からナイフが振り下ろされる。
白夜は咄嗟に叫んだ。

「陽炎!炎を固めろ!」
「っ!」


ざく


ナイフが振り下ろされる前に、陽炎の炎を具現化させたナイフが男の腹部に突き刺さった。
一瞬のイメージで作り上げたそれは歪な形をし、よりいっそう急所に食い込む結果となっていた。

「が……っ」
火傷はしなくとも、突き刺されば損傷は大きい。
犯人は腹部を押さえて倒れ込んだ。
腹の底から捩り出される呻き声が、船内に轟き、反響する。
白夜はその男の腕をやや強引に縛り上げると、陽炎に声を掛けた。

「おい、大丈夫か。」
「…お、俺は…大丈夫だけど……」

舌打ちして、白夜は陽炎を操縦室から引きずりだした。
完全にびびっている。
犯人は致命傷は免れているようだし、後で死なないように回復させておけばいいとして、陽炎のほうが問題だった。

「分かってんのか?あれは立派な正当防衛だぜ」
「…そうだけど………」
「具現化しろと言ったのも僕だ。術そのものが効かないのなら、殴るなり刺すなりするしかなかったんだ、しょうがねぇだろう」

陽炎の前にしゃがみこんで、諭す。
父親の敵を討とうと旅しているわりに、彼は『人を刺すこと』に強い抵抗を示した。
初めてだからということもあるかもしれない。
しかし、父親の敵以外は傷つけたくないという考えであったら、それは随分甘っちょろい考えだ、と言わざるを得ない。
旅をしていれば何が起こるか分からない。
起こってしまったとき、そんな綺麗事を言っていたら命なんてものはないのだ。

「分かってる……このくらい平気にならないといけないことは……」

彼は全身で、『非情さ』を飲み込もうとしている。
飲み込んで、吸収して、いざというとき戸惑わないように。
今回のことは、彼にとって重要な経験となる。

(こいつは良い意味でも、悪い意味でも、まだ子供だ)

白夜は放心状態にある陽炎を見ながら、唇を噛んだ。