16.義理兄妹











飛翔した火の粉は彼がしなやかに操る蔓に遮られ、擦りもせずに地面に散って咲く。
焦げた地に足をつけて第二波を放っても結果は同じ。
植物であり燃えやすいはずの蔓でさえも、彼が握るだけで鋼鉄の鞭のようだ。
「炎が弱い!」
叱咤の声。
手首に絡み付いた蔓を燃やし解く間もなく、背中を強かに木に叩き付けられた。
みしみしと悲鳴を上げたのはその木か自分の骨か。
前者であったなら、とても樹木医のやることではないと陽炎は内心思う。
いくら彼の場合、容易に術で回復させられるとはいってもだ。
蔓を引き、彼のバランスを崩そうとしても彼は蔓を放すだけ。
樹林術者の体内はいったいどうなっているのか、
彼の意思一つで蔓が彼の手のひらに現れる。
長さも太さも変幻自在だ。
そしてその蔓は彼の意思で柔軟に動く。
「遅い!」
火力強めの注文に合わせた炎を彼に向けてみたところで、彼は身軽にかわしてしまう。
わざわざバク転してみせるところも、無駄に余裕があるとしか思えない。
蔓に手首をとられている状況で速さもへったくれもないのでは、と考えたりもする。
更に彼の蔓は、目にも止まらぬ速さで首に絡み付いた。
焼き切ろうとした瞬間、黄色い光がその蔓を伝達する。
それが首元まで達して、陽炎は失神した。

「こら、起きろ」

ぺんぺんと頬の痛み。
瞼を持ち上げれば、白夜の顔が逆さに映っている。
「そんな強いショックは与えてねぇだろ。あんなの、軽い電気ショックレベルだ」
「……うん」
痛みはそれほどではなかった。
だがそれにしても、白夜は一挙一動が素早い。
能力の相性も、上級と初級では大した意味もないらしい。
(…楼闇術者は、これ以上にすばしっこいんだろうか)
何せ瞬間移動が可能な人種だ。
あれは既に速さなど超越しているようにも思えるが。
「…反射神経を鍛えるにはどうしたらいいの」
白夜に尋ねてみても、
「反復横跳びでもしたらどうだ」
という返事。
真面目に答えてそれであるならば、実践で身に付けるしかないということか。
「白夜さん」
「なんだ?」
「また今度相手をお願いしてもいい?」
「お前がもう少し特訓したらな」
白夜は迷惑そうな顔もせず陽炎を見遣ってから、反対方向へ振り向いた。
陽炎もつられて視線をやると、一人の少女が立っていた。
「もし良ければ、私の相手もしてくれないかしら?」
桃色の髪が、潮風に揺れた。




声を発したのは、しゃがみこんでいる陽炎ではなく立っている白夜だった。
「今の見てたんだろ?だとしたらお疲れだってのは分かるはずなんだけどよ」
「そう?私には貴方が疲れているようには見えないけど」
少女は強気な眼差しで微笑む。
「つまり僕をご指名ってわけか」
白夜は髪をかきあげた。
出来ることなら、修行のために陽炎に戦わせたいところなのだが、何せ彼はついさっきまで失神していたのだ。
体力もそれほど回復しているようには見えない。
「…分かった。…僕は桴海白夜。あんたは?」
「花芽宮姫よ。名前を聞くだなんて変わってるのね」
「は、真っ当な勝負なんて久しぶりだからよ、緊張を解したいだけだ」
「緊張なんてしているようには見えないけど」
事実していない。ただ、身体が鈍っていないかどうかが心配なだけなのである。
白夜は座り込んだままの陽炎に「ちょっと下がってろ」とだけ言うと、一歩前に出た。
姫と名乗った少女に告げる。
「いいぜ。来いよ」
「貴方から来ても良いのよ」
「さっき見ての通り僕は樹林だからな、本来なら攻撃を仕掛けるのは得意じゃねぇのさ」
「分かったわ。じゃあお言葉に甘えてこっちから行くわよ」
姫は笑うと手のひらから大量の花吹雪を飛ばした。
(…華林か…!)
桃色の花びらが視界を覆う。
最初に相手の目をくらませるのは華林術者の常套手段だ。
そして樹林術者とは違った棘のある蔓が花びらの隙間から頬を掠める。
ちくりとした痛みが死角を走り、蔓が首に絡み付かんと迫るが、身体を捻って逃れる。
「棘たあ随分刺さったら痛そうなもん使うんだな」
「心配しなくとも毒は仕込んでないわよ」
「そりゃ有難い、な」
目障りな花びらの中、蔓は左方、声は右方から。
白夜は蔓を右方に伸ばした。当たりはしなかったが、その面積分だけ空間が開ける。
瞬間見えた姫の腕。
彼はしゃがみこんで蔓を地中に埋め込んだ。
相手の蔓も絡み付こうとしてくるが、別の蔓で叩き落とす。
「きゃ…!」
姫の小さな悲鳴。
白夜は手応えを感じて、地中の蔓を手元に引き寄せた。
彼女は転倒し、砂埃が辺り一面に舞い上がる。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
ちらり、と陽炎に目配せしてから彼女に手を伸ばす。
「わりぃな、服汚しちまった」
姫は、ぱちぱちと瞬きすると、その手を取って腰を上げた。
「……いいわ、どうせ家もそれほど遠くないもの」
衣服についた砂をはたき、髪を整える。
転倒した時点、またさせられた時点で、止めを差すことも出来たことから、彼女は勝負の結果を既に認めていた。
「私の負けね。自分から吹っ掛けておいて負けるだなんて、情けないわね」
「もしそんなに疲れてなければ、こいつとも勝負してくれと言いたいところなんだが」
「冗談じゃないわよ、私はさっさと服を取り替えたいのよ。…ところで、」
姫はぐるりと白夜と陽炎の顔を見た。
「貴方達、見たところ此処の人じゃないみたいだけど、泊まる所はあるの?」
二人は顔を見合わせる。
答えたのは白夜だった。
「ないな」
「だったら、お金を巻き上げる代わりに私の家に泊まるっていうのはどう?二人くらい泊める部屋数はあるわ」
「……あんたの家、ペンションかホテルだとか宿屋なのか?」
「違うわよ。少し無駄に大きいだけの一般住宅よ」
姫は腕を組み、何事もないかのように言い放つ。
「助かります」と陽炎も和やかに応対している。
「なっ」
しかし白夜だけは、口には出さなかった、否、出せなかったものの内心非常に動揺していた。
(仮にも男二人をそんな簡単に泊めていいのかよ!いくらそんな部屋数が多いからって…陽炎もこの間ああああんな本見たばっかなんだぞ!そんな身近に、そんな誘惑じみた対象がいたら教育上まずいだろう、どうすんだよ!)
彼の心配は果たして杞憂に終わるのだろうか。
二人は姫の後について、彼女の家へと向かった。







「此処よ」
案内されたのは見事なまでの洋館。
「それで……貴方達の部屋は此処」
レースのお飾りがついたカバーに包まれたドアノブを押し開いた先の部屋も、まさに『ゴージャス』と形容するにふさわしいものだった。
壁には絵画が掛けられており、カーテンもベッドもテーブルクロスもレース、レース、レース。
天井にはきらびやかなシャンデリアがその存在を主張している。
「これはすごいね」
と、最初に口を開いたのは陽炎だ。
「母親の趣味なの。あの人、少女趣味だから」
「父親とかは何も言わねぇのか?」
こんな桃色白色レースでは男は暮らしにくかろう。
白夜の問いに、姫は特に顔色も変えずに、
「父親はいないからいいのよ」
「…兄弟とかは?」
「血が繋がっていないのならいるけど、全然住む所とかも違うから」
ぺろりと言う。
陽炎は「そう」とだけ言うと、話を打ち切った。
気遣われることも、慰めの言葉も、飽き飽きしているだろうと思ったのだ。
(それとも、普通は「御愁傷様」とか言って欲しいものなんだろうか)
それが大して心がこもっていないものだとしても。
『他人』の死に対し、心底悲しめる人間が、果たしてどの程度いる?
「じゃあ何かあったら呼んで。こっちからは食事時とかに呼ぶから」
「呼ぶって何で」
「机のところにベルがあるわ。内線みたいなものなのよ。あ、あとトイレは部屋を出て角のところにあるから」
さっさとシャワーを浴びてしまいたいのだろう。
姫は足早に部屋を去って行ってしまった。
「……これで少しは落ち着くな」
白夜は宿を取れたことを言っているのだろう。
とはいえ、この部屋の内装で本当に落ち着くなどと、無理な話だとは思うが。
陽炎は鞄を机の上に置いた。
大きなお屋敷だというのに、机の上には塵一つない。
「こんなに家が大きいってことは、父親か少女趣味の母親がよっぽど資産家なんだね」
「そうかもな。……、……おい」
「なに?」
「お前まだそれ持ってたのか」
地図を探そうとして鞄を探っていた手を止め、陽炎は『それ』と言われたものを取り出した。
「これ?」
「そうだよ、…別に出さなくていい」
「だってせっかく買ったんだし、どうせ鞄には四次元並みに入るんだから、捨てる必要もないでしょ」
彼が手にしているのは例の如くのあの本だ。
白夜は如何わしい表紙から目を反らしながら、手をひらひらとやった。
「お前間違っても現実と妄想を一緒にしてくれるなよ」
「どういうこと?」
「だから、その…その本や雑誌に書いてあることを実際にするなよ」
陽炎は白夜が言っていることを理解するのに数秒かかった。
微笑する。
「やだなあ、俺は別に花芽宮さんにそんな下心とか持ってないよ」
「……ならいいんだけどよ」
「俺にだって好みはあるし」
第一、そんなやたら興味本位で手を出してうっかり妊娠でもさせちゃったら可哀想じゃない。
とは口に出さないでおく。
出してしまって白夜に今すぐにでも次の町に行かされてしまっても損だ。
まだろくにこの町の探索もしていないというのに。
「!…」
不意にノックの音。
ガチャリとドアが開いて、姫に似た女性が入って来た。
おそらく彼女の母親だろう。
手のお盆にはクッキーの並んだ皿と紅茶のカップ二杯が載っている。
「わざわざすみません。突然泊まらせて頂くことになってしまって」
すい、とそれを受け取ったのは白夜だ。
彼の耳慣れない敬語は陽炎にとっては何ともこそばゆい。
「いいのよ。お客さんがいたほうが楽しいし、まさか姫がこんな若い男の子を連れて来るとは思わなかったし……」
女性はうふふ、と笑い、お辞儀をして部屋から出て行った。
この少女趣味な家の主だけあって、桃色の髪に緩やかなウェーブ、強烈なレースのブラウスに皺加工の入ったスカート等いささか夢見がちな容姿であった。
「…ありゃ生前の旦那は相当な趣味だな」
「でも美人だったし、似合ってたからいいんじゃないの?」
「ああ、お前の好みだったってことか?」
「まさか」
陽炎は笑った。
「俺ちょっと出掛けて来るよ」


「何処か行くの?」
家を出ようとした際、陽炎は姫に呼び止められた。
「はい、ちょっと散歩してこようかと思って」
「良かったら町を案内するわ。ちょうど買い物に行こうと思っていたところなの」
観光地として名高いだけあって、淡華町の通りは人の熱気に溢れ返っていた。
吊るされた鳥。色鮮やかな果物。虫の瓶詰め。
姫は「旅人である貴方達に変なものを食べさせたりはしないわよ」と、その道を通り抜け、スーパーに足を踏み入れた。
「地元民の多くはこっちで買い物をするの。別にさっきの通りのものに問題があるわけじゃなくて、単にあれは観光客向けの見せ物のようなものなの」
「観光客が旅行先で求めるのが非日常的なものだから?」
「そうね。やっぱり物珍しいものに皆興味を引かれるのね」
姫は卵のコーナーで立ち止まり、色付き卵と真っ白い卵とを眺め回している。
そして結局は、値段の安いものに落ち着く。
「花芽宮さんの家は、あれだけ大きいのに家政婦さんだとかはいないんですか」
「ああ…あの人…母親は雇いたいっていつも言っているから、そのうち多分雇うことになるわ。でも今は私がいるから」
「花芽宮さんは反対なんですか?雇うことに」
「そういうわけじゃないけど、あんまり人を使いたいと思わないのよ」
牛豚挽肉をカゴに放り込む。
いつのまにかカゴの中には品物が蓄積されていた。
レジへ向かう姫を見送り、陽炎はスーパーの出入り口で待とうと足を向けた。
ポケットの携帯電話が振動し、立ち止まる。
「はい」
表示された名前は『如月望』。
先日、八つ当たりじみた行いをしてしまったことを思い出し、自然と眉が寄る。
(あれは完全に八つ当たりだったよなあ。如月さんが月咲さんにあまり連絡しないのは、何か考えがあってのことかもしれないのに)
__『どうしてそんなふうに蔑ろにするのか』
と、問い詰めた。
___『せっかくいる家族なのに』
これは嫉妬かもしれない。
自分が持っていないものを持っている人へのやっかみ。
…押し付けがましい気持ち。
『突然電話してしまって申し訳有りません。実は樹乃が渡したいものがあるそうで、もし環焔町の傍を通ることがあれば是非寄って行ってほしいとのことでして』
「渡したいもの、ですか?」
『ええ。何やら……仕事帰りに買って来たお土産があるらしく、いえ、大したものではないんですが、よろしければとのことです』
「ありがとうございます。今淡華町にいるんで、多分そのうちにはそっちに戻れると思います」
陽炎がそうお礼を言うと、電話越しの如月の声のトーンが少し変わった。
『……淡華町ですか』
「?あ、はい」
そのとき、レジから買い物を終えた姫がこちらへ歩いて来た。
「あら、電話中?」
「あ、はい」
『陽炎君、数分で良いのでそこの方とお電話を代わって頂けませんか』
如月の突然の頼みに、陽炎は「え」と硬直しかけた。
姫の方へ視線を向けると、彼女は「どうしたの?」ときょとんとしている。
『ちょっとした知人なんです。お願い出来ませんか』
「…聞いてみます」
陽炎は携帯電話を姫に差し出しながら、
「…如月さん、て人なんですけど、電話代わってくれないかって」
その言葉に、彼女の眼は一瞬にして剣呑なものに変わった。
陽炎が一瞬怯むほどの勢いで携帯電話を奪うと、けんか腰に、
「私よ。随分久しぶりじゃない」
と、切り出した。
以下、陽炎には当然彼女側の一方的な話しか耳に入ってはこなかったが、
「代わらなくていいわよ。私あいつ大嫌いなんだから」
「寝ぼけたこと言わないで」
「それで、なんなの?」
「……、…どういうことよ」
「なんで私があんたの都合なんて」
「………、最低よ!脅してるつもり?!」
「…分かったわよ、切るわよ。え?」
「……」
とかく暗雲も真っ黒に立ちこめていそうな会話であったのは傍にいて分かった。
そして彼女は陽炎に携帯電話を突き出し「代われって言ってるわ」と告げたきりそっぽを向いた。
「…あの、もしもし」
『すみません。話の食い違いで少しばかり怒らせてしまいましたが、あまりお気になさらぬようにして下さい。彼女は短気なんです』
「あ、…はい。……あの、如月さんたちはどういった関係なんですか」
随分久しぶり、ならしいが。
『義理兄妹なんです。父親が同じでして』
「…ああ、なるほど」
『ええ。ではまた。桴海君にもどうぞよろしくお伝えください』
「はい、また」
電話は切れた。
「…じゃあ帰りましょうか。夕飯に間に合わなくなるわ」
姫は陽炎の腕を引いて、すたすた歩き始めたのだった。