15.第三者












一晩経て、幾分頭が整理されて生じた疑問。
「楼闇術者が人を助けると思いますか」
何故自分は生きていたのか。
何故現場には何も残されていなかったのか。
目にした光景は間違っても幻では有り得なかったはずだ。

陽炎は寺の跡取りであり術者の専門家でもある月咲のもとを再び訪ねた。
そして突きつけたのが、冒頭の疑問。
月咲は茶を啜った。
「あるだろうな」
「でも、楼闇術者がですよ」
彼はあの瞬間、明らかに自分を殺そうとしていた。
だのに何故、転がっていた人間のように自分も血の海に沈めてしまわなかったのか。
「…彼らも鬼じゃない」
「その直前に、人を三人殺していたとしてもそう言えるんですか」
「君は、彼らがその人々を殺しているのを見たのか?」
月咲の視線が陽炎を捉える。
首を振る。
「だけれどその場所にいた。奴ら以外に、そんなことをする人間はいません」
あの人を人とも思わぬ殺戮は、眠っていた記憶を叩き起こすには十分過ぎるほどの凶行であった。
そして額を押さえつけられたときの手の感覚。振り下ろされんとした鋭い光。
「…君にとっては、彼らは冷酷な人殺しでしかないんだな」
「どういう意味ですか?」
「いや、気にしなくていい」
月咲が何故連中を庇うような言動をするのか、陽炎には理解出来なかった。
あの連中が悪でなければ、いったい何だと言うのか。
「…陽炎、もし君に時間があればだが、そこに連れていってくれないか?」
「…え?」
月咲の突然の頼みに、陽炎は訝しげに顔を上げた。


何処をどう行ったのかは何となく覚えている。
林の奥の開けたそこは、焼け焦げた痕が一面に広がり、やはり血の一滴も残されてはいなかった。
「…確かに、楼闇術者が此処にいた気配はある」
「…」
確信。希光術者である月咲が言うのだ。間違いない。
「だが何故、彼らはその殺した人々を移動させたのだろう」
「発見されると困るとでも思ったんでしょうか。死体がなければ、あくまで俺の狂言でしかないから」
「それは分からない…が」
月咲は言葉を濁す。
陽炎は努めて平静を保とうとしながら、問い掛けた。
「月咲さんは連中に何か含むところでもあるんですか」
そうでなければ、あのような連中を庇う理由などあるはずがないではないか。
短慮を避けようとするのは立派ではあるが、それで彼自身の意見を述べないのは卑怯だ。
問い掛けたのであれば、こちらが間違った答えを返したとしても、彼なりの正答を教えるべきなのだ。
無論会話を通してこちらに考えさせるということもあるのかもしれないが、その程度では陽炎の考えは動かない。
月咲は俄に苦笑した。
「含むところ、というほど大袈裟なものはないよ」
「ならどうして、…術者の専門家でもあるのに、連中を庇うようなことを」
楼闇術者は人を人とも思わぬ惨たらしい方法で殺戮し、時に素質を強奪する。
そして実際に、連中は人間を殺める際に何の躊躇もないのだ。…陽炎の父親の事件のように。
新聞に彼らのことが載らない日はなく、世間の目は冷ややか以上のものとなっている。
だが、月咲は言う。
「術者の専門家であるからこそ、僕は様々な術者を見てきているし、偏った概念を持たないようにしている」
「…」
「陽炎、君は反発するかもしれないが、…否、きっと反発するだろうし納得も出来ないだろう。だが、僕は楼闇術者だからといって彼らをすべて一括りにすることは出来ない。僕ら一人一人の性格が異なるように、…彼らも『人間』だ。君の言うように凶悪でどうしようもない術者もいれば、なるべく殺しはしたくないと思う術者もいる」
「…連中が、人間」
「ああ。僕は君の過去に何があったかなんてことは知らないが、君は彼らを嫌っているようだから、とても同じ人間だと思いたくない気持ちは分かる」
だがそれでも、彼らも人間だよ。
彼の言葉は、陽炎の心に一つの波紋を広げた。
おそらく彼の言葉は正しく、どうしようもないほど真実にぴたりと沿っている。
しかし。
(俺に必要なのは、正しさじゃないから)
必要なのは、人間を殺す非情さ。











あの少年が帰って行った後も、思考は『楼闇術者』のことを引きずった。
彼に連れられて向かった先に漂ったオーラ。
あれは明らかに、月咲の見知った双子の楼闇術者のものだった。
とはいえ、どちらのオーラなのかまでは、それ自体酷似しているがため流石に区別出来なかったが。
(……陽炎を殺さなかった辺り、望かもしれないな。響であれば『ついで』で殺しかねない。だが望が前もって何か言っておいたならば、それも有り得るか……)
何にせよ、頭の痛い問題だと言わざるを得ない。
少年の態度を見る限り、彼は連中と称し彼らを毛嫌いしている。
だがしかし、彼は如月と知り合いだという。
ということはだ、如月は彼に自身について打ち明けていない。
打ち明けていて知り合いならば、あの少年の態度は頑過ぎる。
(…若しくは)
三人でお茶を啜ったより後に知ったという場合。
そうならば、今日の彼の態度は自分を試しているともとれる。
(まあ変に勘繰っても仕方がないな)
月咲は玄関の扉を開けずに、振り返った。
「おかえり、望」
門の前に立っていた影は、その細い肩を可愛らしくびくつかせることもなく、緩やかに門を開けた。
「替えの服がなくなったんだろう?上がって行けば良いさ」
「陽炎から聞いたのか?…」
「否、その酷い顔を見れば分かる」
親しくない者が見れば普通に見えるその顔も、月咲が見れば今にも泣かんばかりの面だ。
何故なのか楼闇術者は涙というものが分泌出来ない眼の造りなようだから、実際に泣くことはないが。
そして厄介なのは、本人にその面の自覚がない。
「陽炎と喧嘩でもしたのか」
「…別にしちゃいない」
いそいそと服を取り替える彼の背中を見ながら、月咲はうぅんと腕を組む。
どうやら打ち明けてはいないらしい。
響が勝手に動いて吹き込んだ可能性もなくもないが、そこまで考えていたらきりがない。
現状としては、安泰、か。
血塗れた服が鞄からごそりと出て来て、思わず溜め息をつきたくなってしまう。
別段ショックを受けたわけでも、失望したわけでもない。
ただ純粋に、悲しくなってしまっただけだ。
(楼闇術者である限り、殺しの本能は止められない)
もはや彼らにとっては、殺すことは息をすることと同じ。
無理に押さえ込もうとすれば、身体が精神のいうことを効かなくなってしまう。
呼吸を止められた身体が、空気を吸い込もうともがくのと同じ。
そんな彼らに、殺人が人道に反したことであるなどと教えてはいけないのかもしれない。
彼らにとっては当然のことなのだ、と肯定してやらねばならなかったのかもしれない。
(そうでなければ、精神が軋む)
「…あ」
ぼたぼたぼた、とそれはまるで鮮血のようにほとばしった。
彼は咄嗟に右目を押さえたが間に合わず、「すまない」と月咲を左目だけで見上げると、足早に洗面所へと向かった。
血塗れてしまったその下ろしたてのシャツに、そっと手を伸ばす。
(……望の右目と響の右目)
楼闇術を操る者は、その力故に身体の一部が蝕まれる。
『…樹乃……』
五年前、雪の中響が月咲のもとに来たとき。
『………を…………たんだ……』
彼の右目は深い傷を負っていた。
もう縫っても見えることはないと、一目で分かってしまうほどの。
……おそらくその影響が、何らかの形、否、こうした形で双子である如月の眼に現れてしまったのだろう。
術者としての蝕みは、一気にそこに集中した。
「…まだ、見えてるのか?」
「……ああ」
洗面所が赤く染まるのも見慣れた光景だが。
壁に掛かった時計を見る。夕方午後六時前。
「望、今日はもう遅いから泊まっていけ」
「…否、今日は…」
「駄目だ。夏とはいえ、夜は冷えるぞ」
無理矢理に引き止める。
楼闇術者であろうと何であろうと、彼を家族だと思っていた。
だからこそ、逃げるように旅立とうだなんて思わずに…それが例え気遣いだとしてもだ。
もう少しくらいは頼ってほしいと思った。













その頃、陽炎と白夜は海の上にいた。
夜とはいえ、天候は穏やかでまだ明るい。
彼らがこれまでいた亜瀬町から次の町である淡崋町(たんかまち)までの間には、小さな海が横たわっており、彼らは現在それを横断中だった。
周囲には、同様に海を渡る家族連れやカップルで溢れ返るほどではないが、結構な人もいた。
「…だからって、これは色々どうかと思うんだけども」
「仕方ねぇだろ、僕もお前も金がねぇし。町長がこれだったら無料で貸してやるっつったんだしよ」
話している間も、足は止めない。
彼らは通称『アヒルちゃんボート』に乗っていた。
ちなみに、周囲の人々も『同様』である。
「…そうだね、転覆さえしなければ俺も文句は言わないよ」
陽炎はカナヅチであるが故、泳ぎは選択肢にない。
白夜は、漕ぎながらもずいっと身体を横に乗り出した。
「それにしても淡華町の方向からわんさか来るな。アヒルちゃんがよ」
「あの町は観光で栄えてるらしいから、人も多いんじゃないのかな」
「あー…、そうか。ところでお前、最近ちゃんと術者として修行してんのかよ」
不意打ちともいえる問い掛けに、陽炎は言葉を詰まらせた。
「…あんまり…」
「だろうな。ほぼ僕と一緒に旅してると言ってもいいけどよ、あんまり勝負じみたこともしてねぇしな」
はっきり言ってしまえばぐだぐだである。
陽炎は足を動かしながら、これまでのことを思い出そうとした。
(確か…)
恋須賀街で術者と戦闘じみた真似をして、楼闇術者の事件の現場を探り、オークションに潜入。
夕泉町で会社員を助け、宇渋町で月咲に話を聞いて、環焔町で如月含めお茶をして、白夜と再会。
亜瀬町に行く途中の道で楼闇術者と遭遇。気を失って白夜に背負われそのまま亜瀬町へ。
亜瀬町の海岸沿いで如月に愚痴をぶちまけ、楼闇術者について聞こうと環焔町に戻り月咲を訪ねる。
「…修行はしてないね」
「つまり腕も多少は鈍っていると」
「まあそうなる」
白夜は大袈裟な溜め息をついた。
「決まりだ。淡華町着いたらまずひと勝負するからな」
「…淡華町の人と?」
「僕とお前が。本当は此処でやってもいいんだけどよ、落ちたらお前死にそうだからな」
楊炎術者がカナヅチなのは術者間では常識の節がある。
陽炎は頷いた。