14.濁流













ぎらぎらと背中を照りつける太陽。
仕事に精を出す白夜とは裏腹に、退屈を抱えた陽炎は林内を散歩していた。
無論頭の隅には楼闇術者のことがあり、こうした人気のないところでなら遭遇出来るのではないかという下心も当然あった。
ミーンミーンと蝉の鳴き声が耳をつく。
自分自身が途方もない旅を続けていることは分かっていた。
生きているかも分からぬ敵を探して、この広い世界を彷徨い歩く。
それがどんなに無謀で、低効率低確率な旅か。
だが、父の命を奪った人間が生きていようが死んでいようが罪は償わせなければならない。
それが自身の望みであるし、…母の望みでもある。
もし死んでいたとしても、今度は自分が墓場から掘り起こして素質を抜き取ってやるのだ。
嗚呼。
父は楊炎術者だった。今日のこの熱き太陽のような、炎の術者。
その大きな手の感触も、肩車されたときの高さも、叱咤されたときの痛みも、未だ鮮明に覚えているのに。
視界が真っ赤に染まりゆく。
葉の色も地面も空も何もかも赤く侵蝕していく。
林を掻き分け前へ進め。
現実とも幻ともつかぬ血の匂いが、辺り一面に舞いを踊る。
その鮮血の吹雪を抜けた先に待っていたのは、一人の男。
地面に散らばる人間(過去形)。
木の枝が貫通している人間(過去形)。
はらわたが零れ落ちている人間(過去形)。
人間。本当に人間か?
手を伸ばせば、指先にはぬめった感触。
あのときと同じ。デジャヴ。
男の手が、視界を覆う。
これもあのときと同じ。デジャヴ。
だけれど陽炎はそれを避けようとする。
これも同じ?デジャヴ。
振り下ろされん鋭い光。
何故?これもデジャヴ?
この後何かが自分を貫く。否、貫かない。
貫いたのは目の前の父の身体。砕け散ったのは目の前の父の身体。
おれは おれは 俺は?
ばらばらになった父のからだ。どうして。
(この子さえいなければ)
なにをいっているの
(死んでしまえばよかった)
痛い!
どうしてどうして殺すの
痛い痛い痛い
やめて
怖い
怖い
塗れた
赤い
ころさないで
父さん
怖い
痛い
蒼い
死んじゃうよ
誰が
痛い
怖い
怖いよ
かあさんやめてよ
怖い
怖い
怖い
苦しい
痛い痛い痛い痛い痛い
いやだ死にたくない!死にたくないよころさないでよ
たすけて
たすけて
たすけてたすけてたすけてたすけて

(この子さえいなければあの人は死なずに済んだのに)

おれはしにたくない…………………!


















おれってなんなの?




















………う


……………………ろう!

誰かの声がきこえる




「陽炎!」




心配そうに覗き込む大きな瞳。
視界が揺れて、重い瞼をぐっと開いて維持する。
「おい、しっかりしろよ」
「白夜、さん?」
仕事中ではなかったのか。
そう思って見上げた彼の背中から射し込む満月の輝き。
もう夜なのか、と妙に冷静に思考する脳内に、ぐぐぐと不安のようなものが忍び寄る。
思い出さない方がいいことが近付いてくる。
もう数秒もすれば思い出す。そんな予感がする。
嫌なら思い出さなくていいんだよ!
そう自分自身に言い聞かせても頭の芯はざわざわし始める。
滲む。溢れる。記憶が脳細胞に染み出す。
「大丈夫か?…ったくなんでこんなところで倒れてんだよ…心臓に悪い」
本気で心配している眼。支えられている肩に妙に現実味がない。
どぷん、と記憶の壁に穴が開いた。
形なんておかまいなしに記憶は次から次へと思考を侵す。
唇が、震えた。汗が噴き出した。
こみ上げて来た嗚咽を喉の奥に流し込んで、するりと白夜の腕の中から抜け出した。
俺のせいで父さんは死んだ。












倒れている彼を発見したときから、どうにも嫌な予感がしていた。
当たり一面黒焦げで、まるでその中心で何かが爆発したかのような。
脈は弱まっていた。だけれど茹だるような生命力は確かにそこにあった。
足掻き。
次の町へ向かいがてら、彼を背中におぶって歩いた。重かった。
焦げた衣服の匂い。辿り着いた亜瀬町から漂う潮風の香りと相まって胸の内に燻るような何かを残す。
彼の身体からは、楼闇術者特有の禍々しいオーラが感じられた。
何があったかなんて想像するのはそれほど難しくはない。
ただ何故今、こんなところで接触する必要があったのか。
彼など所詮まだ幼い術者でしかない。どうせ現れてくれるならもう少し後でもよかっただろう。
分からないのはもう一つ。何故その楼闇術者は陽炎に危害を加えなかった?
今はもう背中で寝ている陽炎の話によれば、相手の攻撃するような素振りを見たところまでの記憶はあるという。
それを何故やめたのか。
たかが素人術者が炎を発したくらいで及び腰になったわけではあるまい。
それ以外のことを聞こうとしても、彼は口を噤んで話そうとしない。
まるで出逢った頃のように、否、その頃よりも自分の殻の内側にこもってしまっている。
(多分、僕が何か言ったところで出てきやしないんだろうな)
卑下しているわけではなく、確信。
正面からぶつかっていったところで、彼の殻は堪えない。
だが変化球は苦手だ。
それに、陽炎を引っ張り出せるほどの言葉を、今は持っていない。
彼が何を求めているのかが、分からない。
「…」
仕事を依頼した亜瀬町の町長の家に到着し、通された部屋のベッドに陽炎の体を横たわらせる。
ベッドは小さく沈んだ。














血に塗れた夢を見た。
違う。あれは夢ではない。この手で実際に触れた現実。
人を殺した。
最近はこの衝動も大人しくなっていたのに、今日突然急に、脳内を喧しく駆けずり回って。
気がついたら、これまでの中でも相当『嫌な』殺し方をしていた。
冷たい汗が、額をぐっしょりと濡らしている。
「随分派手にやったね」
自分と瓜二つのくせに、それでも少しだけ高い声が聞こえる。
おそらく、話し方のトーンの違いでそう聞こえるだけなのだろう。
荒い息。これは彼のものではなく、自分自身の口から漏れ出ているものだ。
右目からはいつものように赤い雫がうっとおしく流れ落ちる。
拭っても拭っても止まらない。
「ひとりにしてくれ」
今はお前といたくない。
「そうやって遠ざけたがるのは、君と私が同じだからだよ」
「俺はお前とは、違う」
「あれだけ殺しておいて?」
「煩い………!」
時折、今日のように突如身体が言うことを効かなくなることがある。
自分の意識ではなく、身体の中心に根付く素質が、支配権を得る。
普段殺しを抑制している反動が来るためだろうと月咲は言うが、それで危うくあの少年を殺すところだった。
身体が冷たくてたまらない。
あの日。
少年の父親に手を掛けてしまった日、もう出来るだけ殺しはしたくないと思った。
殺しをして、誰かから何かを奪うのはごめんだった。
それなのに。
「何がそんなに嫌なんだろうね」
……楼闇術者なんだから、誰かを殺したくなるのは当然なのに。
鏡の囁き。同じ顔をして、闇の道へと誘惑する。
十年前、彼の前から逃げたのも、引きずり込まれそうな怖れを感じたからだった。
「もう分かってるんだろう?」
逃れられっこないのさ、とその口元は微笑した。

















打ち寄せる波の音が、町の静寂をより際立たせる。
ざくり、と砂浜に足跡を刻む。深夜一時。
こんな時間に他の足跡はないだろうと思いきや、近くを誰かが歩いていった痕跡があった。
それを辿って行ったのは、何となく予感があったからだろうか。
人気のない時間に水のある場所にいるであろう人物の。
「如月さん」
潮風に吹かれながらも振り向いた釣り人の顔は、月の光に照らされて一瞬青白く見えた。
「こんばんは。こんな時間にどうなさったんですか」
「どうってわけじゃないけど」
眠れなかった。
いくら眼を閉じても、過去の記憶が瞼の裏に張り付き、何度も何度も蘇った。
我慢してみたところで、それらが消え去ることもなく、結局眠るのを諦めた。
「桴海君が心配なさるのではないのですか」
確かに、書き置きはしていない。だがどうせあの家から此処まではそれほど遠くはない。
陽炎は如月の隣に腰を下ろした。ジャリ、と砂が呻いた。
「如月さんこそ、たまには月咲さんに連絡してあげないと心配するんじゃないんですか」
「…樹乃とは、それほど頻繁に連絡し合うほどの仲ではありませんので」
「家族なのに?月咲さんはあなたが思っているよりも、あなたのこと気にしてるよ」
噛みついた。
如月の瞳が戸惑っているのが分かる。
だが、自分でもどうしようもなく苛立っていた。
「どうしてそんなふうに蔑ろにするんですか」
「陽炎君、」
「どうしてせっかくいる家族を、そんなどうでもいいような言い方するんですか…!?」
分かっているのだ。心配してくれる間柄なのは家族だけではないということなど。
彼の言う通り、家族ではない白夜だって陽炎を心配してくれた。
だが、しかし。心がままならない。大粒の涙だけが眼から零れ落ちた。

「どうして……!」

(あなたさえいなければ、あの人は死ぬことはなかったのに)
(あの人はあなたを庇って死んだのよ)
(あなたが死ねばよかったのに)

「どうして俺が死ななかったんだろう…っ」
「俺が死んでいれば、父さんは死ななかったし母さんも幸せでいられたのに……」
「家族が壊れることもなかったのに……っっ」

自分のせいだと思いたくなくて、庇われた記憶を封印した。
殺されたのだという事実だけを残そうとした。
『自分のせいで父親は殺された』のではなく『自分は父親が目の前で殺されたのに何も出来なかった』のだと記憶を置き換えて。

「楼闇術者も、俺自身も、許せないよ……!」

砂にじわりと、涙の染みが広がった。















俺のせいだと自分自身を責める彼に、そんなことはないと、どうして言えなかったのだろう。
あれからしばらくして立ち去った陽炎の背中を見送ったのち、如月はぐしゃりと髪を押さえた。
夜風が頬を生温く掠める。
(俺は卑怯だ)
逃れられるはずのない罪から、未だに逃れたがっている。
少年の言葉が、胸をえぐった。