13.芽生え
















陽炎と如月が去った後、月咲はポット等の後片付けをしようとそれらをお盆の上に乗せた。
そして台所に向かおうとして、ス、と動きを止める。
その瞬間、振り向いた背後に一人の青年が音もなく舞い降りた。
「やあ樹乃。悪いけどちょっとお邪魔するよ」
響である。
彼は常日頃…例えるなら忍者のように気配がないが、今日のように相手に気付かせるためにわざわざ気配を発することが有る。
月咲がそんなことを知っているのは、彼が以前にも何度か此処を訪ねて来ているからだ。
…如月がこの青年の前から姿を消した、十年前から。
「あまり能力を多用するなと言っているだろう。躯を痛める」
「そうは言っても、こっちはこれが商売みたいなものなんだよ」
「…此処に来るときくらい、瞬間移動しないで普通に玄関から入って来てくれ」
「何せ久々だから緊張しちゃってね」青年は微笑する。
「それで、今日は話があって来たんだよ」
お盆をテーブルの上に置き、月咲は座布団を勧めた。
「話なら座って…」
「…いいよ。どうせすぐ帰るからさ」
響は柔らかく月咲の申し出を断ると、柱に寄りかかった。
唇に薄い笑みを乗せる。
「望のこと。一応君は保護者様だし、散々迷惑も掛けたしね。無事逢えました、って報告しておこうと思って」
「…望の先約は、お前とのだったのか」
「いやいや。それは彼の得意な方便じゃないのかい。それか私以外との約束…まあ私の耳に入らないわけないから、それはないけど」
さらりと放たれる言葉に月咲は眉を顰める。
月咲は如月と響の関係性を知っていたからだ。
響と再会して、如月が心中穏やかではいられないだろうということも。
「…あまりあいつを困らせないでやってくれ」
彼の微笑は崩れない。
「それは保護者様としての君の忠告?」
「…そう受けとってもらっても構わないが…」
忠告というよりは頼みだ。だが、言い換えたところで求めるところは何ら変わりない。
月咲の言葉に、彼は汲んでいた腕を解いた。
わざとらしい溜め息をついて、くるりと背を向ける。
「いくら君の頼みでも、それは聞いてあげられないね」
「ひび…」
「勘違いしてもらっちゃ困るけど、別に私だって彼を困らせたいわけじゃないさ。ただ、彼をどうしようとそれは私の勝手だ」
そして酷薄な光を帯びた眼で、彼は振り返り、
「彼は私のものだからね」
一瞬にして消えた。
そこには、まるで初めから誰もいなかったかのように何の痕跡もない。
月咲は眼を伏せ、冷め切った茶の残る湯呑みを見た。
(……何がお前にそうさせる?)
双子である望への異様な執着。
躯を疲弊するだけの術の多用。
快楽のためだけに人を殺すこと。
「…響………………」
自分は彼らに、いったい何をしてやれるというのだろう。










遠目にきょろきょろしている翠の混じった白髪を見つけて、陽炎は足を速めた。
「白夜さん」
呼びかければ、前方の青年はこちらを振り返った。
相変わらずの童顔だ。たかが数週間会わなかっただけなのだから、当たり前だけれど。
「よお。…一人か?」
「?…そうだけど?」
「否、どうもお前が一人で旅してるのかと思うと、不安要素が盛り沢山なんだよな」
「いま明らかに迷ってた白夜さんに言われたくないんだけど」
口を尖らせると、白夜は「悪かったな」と乾いた笑みを浮かべた。
二人でぶらぶらとうろつきながら、陽炎が話を振った。
「それにしても、白夜さんの頭は遠目から見ても分かりやすいから助かるよね」
「…まあ、人間の術体のハーフなんてそうそういるもんじゃねぇしな」
白夜の言葉に、陽炎はぴたりと足を止める。
「…人間と術体のハーフ?」
「ああ」
「…ってなに?」
「お前絶対小さい頃本読んだりしなかったろ…」
何が何やら分からぬ彼の呆れたような態度に、少しばかりの憤り。
陽炎はずいっと上体を白夜に寄せた。
「じゃあ説明してよ。術体って何なのか」
「本当におめぇの親は話とかしなかったのかよ」
「死んじゃってんだからするわけないでしょ」
「…それもそうだな」
この世界では、学校に行く行かないも自由である。
そして当然、行ったのと行かなかったのとでは基本教養に差が生じてくる。
…それでも親が教えていればそんなことはないのだが、陽炎は場合が場合である。
白夜は「あー」と唸り声を発してから、頭をかいた。
まさか突然、それも彼にとっては常識的なことをだ、今更説明させられるとは思ってもいなかったのだろう。
彼はしばしもごもごと口籠ったのち、
「禁術で樹林術と華林術にしか出来ねぇもんがあってだな、それが偽りの生命を作り出す術なんだよ」
「ふん」
「それで、僕の母親も樹林術者だったんだけどよ、病死した恋人そっくりの生命体を禁術で作り出しちまって、…そっくりつっても躯の作りだけだぜ?…、……ヤッて僕を生んだと」
「ヤッたって、何をヤッたの?」
「うあ……」
白夜は明らかに動揺している。
陽炎は瞬きをした。
「お前そういうこと聞いてくれちゃうわけか?むしろ本気で言ってんのか?僕に説明しろと」
「…どういう意味?」
「だってお前いくつだよ」
「十五」
「だろ?僕と二つしか違わなくてそれはねぇよ……」
彼は頭を抱え込んでしまっている。
いくらなんでも失礼にもほどがあるだろう。
知らないことを知らないと言って一体何が悪いのか。
陽炎は彼の袖を引いた。
「説明してよ」白夜が再度唸る。
「……お前まず、赤ん坊は何処から来ると思ってんだ?」
「え、あれでしょう。母親のお腹の中でしょ」
さすがにキャベツ畑に出来るとかコウノトリが運んでくるだとか言うほど、陽炎は無知ではない。
が。
「それでどうして腹ん中に赤ん坊は出来るんだろうなー」
「女と男が一緒にベッドで寝るとそうなる?」
「寝るだけで出来るって、怖いだろ」
陽炎は白夜と見つめ合い、沈黙した。
「…あのさ、それって知ってないとまずいことなの?」
「ああ。わりとまずいな」
「……」












「何を読んでいらっしゃるのですか」
「如月さん、先約の人との約束は済んだの?」
「ええ、まあそんなところです」
日も暮れかかった頃、陽炎の前に如月がひょっこり現れた。
何やら陽炎が読み耽っているものを真ん前から覗き込む。
「…エロ本ですか」
陽炎は照れもせず、顔を上げた。
「そこの本屋の『20歳未満禁止』のコーナーで買ったんだ」
「よく買えましたね。そんなあからさまに年齢制限に引っかかっているものを」
「うん。そこの店主がいい加減な人だったから…」
ぱらりとページを捲る。生々しいカットの連発だ。如月は訝しげに陽炎を見ている。
それがどういったの意味の視線が気付かぬほど、陽炎も鈍くはなかった。
「旅の目的と全然関係ないって言いたいんでしょ、如月さん」
「…まあ、陽炎君もお年頃ですから」
「もとはと言えば、白夜さんが言ったんですよ」
「桴海君が?」
如月は陽炎にこのような行動を促したのが白夜だということが全くもって予想外だったらしく、首を傾げている。
陽炎は横に余っているエロ本を如月に差し出し、
「子づくりに関係あることが載ってるかチェックしといて下さい」
「…子づくり、ですか」
奇妙な要求をした。
如月はより首を傾げ、ぱらぱらとページを捲る。
子づくりということは、つまり刺激的なカットではなく露骨な交わりのカットを求めているのだろうか。
「…俺はこういうものには、あまり関心がないのですが」
まさか陽炎が、そんな露骨な刺激を求めるほど飢えているとは思ってもいなかった。
やはり目的が達成されないと、別の鬱憤が溜まってくるということなのだろうか。
如月は罪悪感に駆られながらも、苦笑顔をしてページを捲った。
「如月さん淡白そうだしね。…これにはないや」
陽炎はちらりと如月を見遣ってから、手にしていた本をほっぽり出した。
「…ところで、桴海君はまたこっちへおいでになっているのですか」
「うん。今はトイレ行ってるだけだから、もう少しで戻ってくるんじゃないかな」
女と男がまぐわっている。これが少年が求めているものなのではなかろうか。
如月はその本をわきへ置いて、別の本を手に取った。『月刊百合』『月刊ボーイズ』『○○(ピー)熟女』『制服少女○○(ピー)』……
「陽炎君、これはどういった基準で選んだんですか」
「適当に、あったものを買って来たんです」
少なくとも前者二つは全く関係ないのではないか。
如月はそう意見しようとも思わなくもなかったが、してもあまり意味を成さないであろう、口を噤んだ。
そこに事の原因らしい白夜が戻って来た。
彼は二人の姿を認めてぱちくりと眼を瞬かせている。
如月はエロ本に耽る少年を置いて、彼の腕を引いた。
そして口を開こうとした矢先、白夜が先手を打って出た。
「如月、ありゃなんだよ」
「…あなたの教えではないのですか」
白夜の顔は赤い。
あの少年より余程この青年の方が純情だと、如月は小さく肩を竦めた。
「陽炎君は桴海君に言われてあの本を購入するに至ったと話していましたが?」
「そんなわけあるか!なんで僕があいつにあんなもんを勧めなきゃなんねぇんだ」
白夜は髪を掻きむしる。
赤らんだ耳朶から判断しても、彼が嘘を言っているということはないだろう。
如月は含みを込めた眼差しを向けた。
「まあそうでしょうね。あなたが陽炎君にエロ本を勧めるだなんて、頭を打ったとしか思えません」
「……あんたこそ、どういうつもりであんなことしやがったんだ」
「あなたを愛してしまったから、とでも言って欲しいんですか」
一瞬色めいた微笑みを浮かべると、白夜はムッとした面持ちで顔を赤らめ、視線を反らした。
「とにかく、陽炎からあれは没収するべきだろ」
「何故です?」
「何故って…あいつまだ十五だぞ!いくらなんでも早過ぎるだろ」
「そうですかね。もう十五なんですから、あれくらい見てもいいんじゃないんですか」
少年の育ちの影響もあるだろうから、事を知る自体が遅過ぎるくらいだ。
そんな如月の意見に、白夜は真っ向から反対した。
「だからっておめぇ、寝た子を起こすような真似をしなくても」
「もともと起こしたのはあなたじゃないですか」
「起こしたっつーかあれは不可抗力なんだよ」
白夜は頭を抱えている。
そこいらの事情を知らない如月は、首を傾げた。
「どちらにせよ、もういい年頃ですよ。桴海君が悩むほどのことではありません」
「そうかもしんねぇけどよ、あんただってあいつがなんか不安定なのは分かってんだろ」
「?ええ」
それはオークション会場に侵入した時から分かっていたし、過去にあった出来事が少年に一種の過激性を植え付けているのは否定し難いものがあった。
簡単に言えば、キレたら何をしでかすか分からない。
だがそれが思春期特有の欲望を叩き起こすのと何の関係が。
「わかんねぇのか。僕にあんなことしといて」
「まさかとは思いますが、彼が実際に本に書いてあるようなことをするんじゃないかと言いたいんですか?」
「…そうだよ」
俯いた白夜に、如月は笑った。
「思い過ごしですよ。好きな娘がいるならまだしも、せいぜい鬱屈を晴らすのに自慰する程度でしょう」
「……」
彼が完全に納得し切れていないのは、その沈黙をもってして分かることだった。
「それにいざとなれば、あなたがお相手をして差し上げればいいじゃないですか」
「っ馬鹿言ってんじゃねぇよ!」
白夜は眼を釣り上げて怒った。












「陽炎君」
「なんですか」
「陽炎君は誰か恋い焦がれているお相手はいらっしゃるんですか?いえ、桴海君が気になさっているだけです」
「おい如月!」
「恋い焦がれる?」
「妙に気になったり、逢いたいと思うような…つまりむらむらするなあと感じる人ですよ」
「あんた他にもっと良い言い方ねぇのかよ!」
「気になったり、むらむら」
「そうです」
「………分かんない」
「だそうです良かったですね桴海君」
「うっせぇよもう!」