10.移動


















恋須賀街まで男を送り出したのがつい先日のこと。
陽炎は公園のベンチにごろりと横になっていた。
次の町まで…術の専門家がいるという環焔町まではやや距離があったため、此処で一晩眠るつもりなのだ。
勿論頭の片隅には不安も恨みがましげに佇んでいたし、事実危険がないという保証もない。
だが彼は疲れていたのだった。少々思考を投げやりにしたくなるくらいには。
(まあ他にも寝てる人いるし、大丈夫かな……)
目を閉じる。瞼の裏をちらつく月の輝きすら彼の意識を繋ぎ止めておくことは出来なかった。
陽炎は滑らかに眠りに落ちた。

……………

不穏な気配を感じて目を覚ましたのは、夜と朝の境界線が近付きつつある頃。
薄ら開けた眼に映った鋭利な光に、陽炎は体を仰け反らせた。
ベンチからずり落ちそうになり、咄嗟に体勢を立て直す。
腕に痛みを感じて見遣ると、微かな一cmにも達しない程度の傷が出来ていた。
(…白夜さんにとろいと言われるわけだ…)
小さくとも傷は傷だ。
陽炎は自分を抱えても避けられる白夜の素早さを思い出し、今更ながら関心した。
そして第三の刃が、彼を襲う。
刃の矛先が狙っているのは、明らかに彼の胸のど真ん中だった。
大人しくされるがままになったところで、生きて返してくれそうにはない。
陽炎は炎を相手の目の前に放ち、相手が怯んだ隙に羽交い締めにしようとしたが、まさかの二人目の凶器が彼自身の背中に迫っていた。
気付いたときにはもう遅く、相手の刃は真空に吸い込まれるかのように一直線に陽炎の背中を突き破ろうとしていた。
(…………避けられない!)
=死?
息が止まる。陽炎は激痛を覚悟した。
死にたくはなかった。













耳に飛び込んできたのは内部を圧迫されたかのような呻き声だった。
ただ、それは彼自身のものではなく。
陽炎は目を開けた。星の光が、彼の瞳に零れ落ちた。
「…如月さん!」
「こんばんは、陽炎君」
銀色の竿が反射して煌めいている。その先端は、鮮血で赤く染まっていた。
自身が無事なことを含め、これで何が起こったのか分からないほど、陽炎は馬鹿ではなかった。
「あ、っ、すいません……」
少し離れたところでは、二人の男が腹を抱えて倒れ込んでいる。
苦しげに唸っているところを見ると、死んではいないらしい。
如月は竿をハンカチで拭うと、尻餅をついている陽炎を引っ張り起こした。
「この辺ではたまにああいった…術者を狩って素質を売りさばく連中が出没するんですよ。」
「…そうなんですか」
素質、と聞いて否応無しに思い出すのは別の連中のことだ。
如月もそんな陽炎の心中を分かっているのか、微笑すると陽炎が怪我をしているほうの腕を引いた。
「痛っ!」
「傷自体は浅いようですが、ちょっとばかし表面を持ってかれたみたいですねぇ」
彼は失礼、と言うと陽炎をベンチに座らせ、救急セットを取り出した。
消毒液をたっぷりしみ込ませたガーゼを傷口に押し当てる。
「痛い…んですけど」
「すみません。すぐ終わりますよ」
如月は微笑みながら、表面が擦れても痛いでしょうから、と絆創膏を張り付けた。
公園の時計の針が、ザク、と四時を指し示した。
「ねぇ如月さん」
「なんですか」
「如月さん、白夜さんのこと嫌い?」
「…何故です?」
如月はきょとんとしている。
陽炎は(なんで俺もじもじしてんだろ…)と思いながら、「その…」と言葉を継ぎ足した。
「前ちょっと俺が如月さんを探してた時があって、そのとき白夜さんに電話で聞いてみたらもの凄く不機嫌そうにあしらわれたんで」
これで如月さんまで白夜さんを嫌ってたらなんか悪いことしたかな、と。
「どうして陽炎君が悪いんです?」
「否、もともと二人は知り合いじゃなかったのに俺のせいで知り合って嫌い合って、という感じが」
生じなくても良かったはずの負の感情を、自分のせいで抱かせてしまったのではないか。
如月はしばし瞬きを繰り返していたが、やがて緩やかに微笑した。
「俺は桴海君のこと、好きですよ」
「本当に?」
「ええ、間違っても恋愛対象としてではありませんが、彼の人間性は嫌いじゃないですよ」
「…そう」
よかった、と陽炎は胸を撫で下ろした。
出来ることならば、自分の周りで負の感情は発生させたくなかったのである。
それらの感情は、苦い。
『あんたがいなければ…………………』
そんなものを見つめるのは、過去だけで十分だ。















その男は名を月咲樹乃といった。
名前だけを聞けばまるで女子の類いのようではあったが、本人は女子とは間違えようもない立派な成人男子である。
住職の跡取りでありながら、術の専門家という面を持っている。
そして周囲の人間の話によれば十代の頃は修行の日々に明け暮れていたということだが、専門家という面を持ち合わせる所為か現在は比較的悠々とした生活を送っている。
人柄は至って真面目。また、彼は『希光術者』としても町の人間に慕われているようだった。

とある日、月咲は環焔町の隣にある宇渋町にある婚約者神野麗の家に招かれ、一日ほど滞在していた。
神野麗は黒髪の麗しい女性であったが、二人を引き合わせたのは彼ら両親の信仰関係だった。
簡単に言ってしまえば、神野家は信仰深い家柄であり、神野夫妻は娘を是非月咲家の嫁にと頼みこんだのである。
住職もどうせなら跡取りである息子の嫁は信仰に理解のあるほうが好ましいであろう、とその申し出を受け入れた。
樹乃自身積極的に断る理由も見つからず、住職の言葉に従わざるを得なかったのである。
そして、付き合って数年経ち、樹乃は彼女とある程度の信頼関係を構築し終えたところであった。
(…電話?)
携帯電話の画面には、寺に数年いる見習いの少年の名前。
出てみると、少年の想像通りの能天気な声色。
「旅のお客さんが息子さんにお会いしたいそうですー」
彼の話によると、術者の少年が自分に用事があると言っているそうだが、
少年は現在環焔町と宇渋町間を繋ぐ橋が閉鎖中のため、こちらに来ることが出来ないようだった。
旅の少年を引き止めるのも申し訳なく、とはいえ挨拶も程々に当初もうしばらく滞在しているはずだった予定を突然変更するのも失礼に当たるのではないか、と月咲は思考すると、
「じゃあその彼の写真を一枚ほど送ってくれないか」
一言、見習いの少年に頼み込んだのだった。
閉鎖された距離も希光術者である月咲にしてみれば全く問題なく、
彼は術者の少年とやらを宇渋町つまりこちらへ移動させようと試みたのである。
無論その少年が拒否すればそんなことはしないが、電話越しの話では、少年は了承したらしい。
送られてきた写真をもとに、該当すると思われる人物の構成要素を環焔町内に捉える。
ふっと肩に軽い力を込めると、その少年は目の前にふっと降ってきた。腕で抱きとめる。
「大丈夫かな?」
瞬間移動は人によっては船酔いに似た症状を引き起こすことがある。
少年はどこかぼんやりとした様子で、頭を振った。
「え、えと……住職の息子さん、ですか?」
「ああ。すまないね、いきなりだったからふらつくんだろう」
いくらか休ませる必要があるかもしれない。
だが、神野麗の母親、神野夫人にはまだ少年に関して何の話もしていない。
そのためこれから戻るとなると順番が逆になってしまうが、仕方ないだろう。
(まあ神野さんは客人となると喜ぶ人だ、大丈夫だろう)
彼は少年を玄関まで招き入れ、尋ねた。
「君の名前は?」
少年は答えた。
「日向陽炎です」














その純粋さを持った瞳に、かつての彼を思い出したのは何故だろうか。


















夕食の際、陽炎は月咲に神野麗という女性を紹介された。
『婚約者』。
そしてその単語は、彼にはとても縁遠いもののように思えた。
復讐のために旅を続けている限り、普通の恋愛など出来ようはずもないのだ。
ある程度の人間関係は自身を慰めるために必要だが、
そのラインを間違えれば足枷以外の何者にもならない。
「月咲さん」
机越しに、俯いている青年に声を掛ける。
彼の視線は手元にある書物に集中していて、おそらく陽炎の姿など視界に入っていないのだろう。
けれど当然、見えていなくとも其処にいることは分かっている。
「何の本なんですか」
彼は顔を上げた。
住職の跡取りだというから坊主だろうと踏んでいたのだが、
彼は金と茶の混じり合ったような髪を肩に垂らしている。
「先人が書いた文献だよ。この文献は先人が術者について綴った貴重なもので、本来なら持ち出し禁止なんだが、どうしても必要だからと無理言って図書館から借りて来たんだ。しかし返却期限が明日なのにまだ読み終えてなくてね」
「売ってないんですか?」
「ああ。最近はどうも規制が厳しくてね」
銀髪の釣り人も、似たようなことを言っていた。
陽炎は一瞬、その顔を思い浮かべてから、月咲へと視線を移した。
書物の内容はすべて古代文字で書かれているようだったが、彼は辞書も引かずに読み耽っている。
跡取りであるがゆえの教養か、それとも術の専門家としての最低限の知識なのか。
陽炎は首を傾げた。
皺一つないシャツ。崩れない正座。深い知恵。
それだけでも、彼が『出来た人間』なのは察するに余りある。
ましてや、
「すまないね。君は聞きたいことがあるから此処に来ているというのに」
陽炎が暇を持て余しかけた途端切り出す察しの良さだ。参ってしまう。
ついでに、陽炎はそこで「いえ、忙しいのなら後でいいです」と言うほど出来てはいない。
目的の前では遠慮などかなぐり捨ててしまうくらいには、自己中心ときている。
無論他人に迷惑を掛けたくないという気持ちも持ち合わせているが、この程度なら許容範囲である。
陽炎は改めて口を開いた。
「術者の素質摘出について聞きたいんです」














いったいどれほどの人間を殺してきたのか。

昨日は二十一人。今日はこれで十一人。
朝と夜の境目、日にちの境界線が曖昧で、自分の経ている日々ですらも後から辻褄を合わせる。
頬にこびり付いた血を拭う。
これもまた、いつのまにか自分に纏わりついていたもので、
過去のものか今日のものか、はたまた未来のものなのか、覚えていやしないのだ。
それにいつのものであろうと、血は血であることに違いはない。

ぬるぬると体液に塗れる心臓をそこいらに投げ捨てる。
用があるのは心臓内にある素質だけだ。

正直、人を殺すのは好きでも、素質を取り出すのは面倒で面倒で…仕方がない。
いっそのこと、殺し担当と摘出担当を分けたほうが早いのではないかと思える。
そうなれば、殺しに人員が傾いてしまうのは目に見えているけれど。

そんなふうに面倒だと思いつつ、部下なんてものは邪魔なだけで連れてくることはしない。
うっかり一緒に行動しようものなら、作業能率が落ちてしまう。

専用の箱に十一個目の素質を放り投げる。
べちゃ
醜い音。
素質を取り出した後の術者の死体を眺めて、ついでに他の部位も貰っていってしまおうか、と考える。
どうにか蘇生させれば、使えなくもないだろう。
物好きな連中にでも売りつけようか。

だけれど、これもまた面倒で…やめた。

これは仕事だ。
内容が少々異色なだけで、一般人が会社勤めするのと何ら変わりはない。
過程ではなく結果が命で、人目がなく若干の勝手がまかり通りところは有り難いけれども。
そして考えたことを面倒に感じたのは、金にそれほど執着があるわけでもなく、
怠惰さを上回るメリットを感じられなかったためだ。


溜まってしまった心臓の山、死体の山に火をつける。
肉が焼ける嫌な匂いにはいつのまにか慣れてしまっていた。