9.犯罪天国
恋須賀街の隣接するは夕泉町。
恋須賀街のような派手さはなく、住民もお年寄りが大半を占める。
Q.恋須賀街までの通勤には便利でしょうに、それなのに若い人はあまり住まないのですね?
A.あの町はとても住みにくいんです。
Q.具体的に言ってください。
A.普通じゃないんですね。
Q.町に着くなり、開けようとしていたパンを盗まれたのは何故でしょうか。
A.普通じゃないんですね。
Q.財布も盗まれそうになりましたが、そんな普通ではないことが何故まかり通るのですか?
A.それが普通なんですね。あの町では。
……………………………………………
(以上、夕泉町出身の若者の言葉)
陽炎は俯きながら歩いていた。
覗き込む財布の中はひゅるりと冷たい空っ風が吹く。
彼の脳裏に過るのは、つい先程までの宿屋の親父とのやりとり。
「俺は確かにお金も払って部屋を取ったんですよ!」
「知らんよ。おれはあんたの顔なんてこれっぽっちも覚えてないよ坊主」
宿屋のお客であるおばあさんの慰め。
「この町ではね、一旦宿を取ったら部屋から出ちゃ駄目なのさ。瞬く間に部屋ん中奇麗にされちまうよ」
嗚呼、無情。と言わざるを得まい。
陽炎は財布を鞄にしまい込み、これからの行く末を案じた。
それは、彼が今朝方この町に到着して分かったのが、
この町では詐欺や盗みなどの犯罪が当たり前になっているということだ。
(とりあえず、さっさとこの町出た方が良さそうだな……)
隙を見せれば盗られるなどと、面倒でかなわない。
勿論、やられたらやり返してやりたくなるのが人の性ともいえるが、
今回のケースでは果たしてそれは該当するのだろうか。
盗まれたのだから盗み返せ、騙されたのだから騙し返せ?
なんて物騒な『郷』だ。
しかし一時の感情のために、例え小さくとも罪を犯すつもりはなかった。
自分がこの先犯す罪は、一つだけで十分だ。
「ばかやろう!」
突然の罵声。
その声は、中央広場の方から聞こえてきた。
顔を上げれば、いつのまにか人混みが出来ている。
陽炎は人と人との間をすり抜け、体を前列へと押し出した。
人々の輪の中心で対峙しているのは、白髪の男性とくたびれたスーツの男。
肩で息をしている様子から、罵声はスーツの男のものだったようだ。
陽炎はゆっくりと瞬きをした。
背後からは「またか」という声がいくつも聞こえてくる。
(…『またか』?…)
ぐるりと周りを見回す。
すると、呆れの混じった眼差しが、中心にいるサラリーマン風の男に注がれているのが見て取れた。
だが、何故?
「人の鞄を盗んでおいて平気な顔してぬけぬけと!この町の奴らは全員犯罪者だ!」
ああなるほど、と陽炎は男の言葉に、すぐに合点がいった。
彼もまた、陽炎と同じようにこの町の住人ではないだろう。
少なくとも、この町の『慣習』に違和感を感じている。
…違和感どころか、本人の顔は真っ赤に染まり憤ってさえもいたが。
対し、半袖のワイシャツにニットベストという白髪の男性は……背後からの声によればこの町の町長らしき男は、
口元の白髭を自慢げに撫で上げ、余裕の面構えだ。
「まあまあ、私が君の鞄を拝借したのは認めよう。しかし、君もいい加減にこの町に慣れたらどうだね?」
言っている内容も相当太々しい。否、町長としてはふさわしいのか?
サラリーマン風の男は、当然、…激高した。
「この町は腐ってる……!お前らはこれが普通だと思うのか!」
本気で怒っている。
正義感の強い人なんだなァ、と陽炎は素直に感心した。
しかし男は今にも町長に殴り掛かりそうなほど目を尖らせている。はっきり言ってしまえば数秒後には殴り掛かるだろう。
だのに誰も割り込んで止める様子を見せない。
陽炎は隣にいた家族連れの男性に問いかけた。
「止めないんですか」
「いいんだよ、あれはいつものことだから」
男性は澄ました顔で、子供を肩車したまま歩いて行ってしまった。
どうやらもともと関心がそれほどあったわけではなく、ちょっと覗き込んでみただけらしい。
そして彼の言葉も、「いつものこと」だ。「また」とはほぼ同じ意味を成しているとしか思えない。
「やれやれ。君、もう三ヶ月だろう…。仕方ない、誰かこの男を取り押さえなさい」
町長が髭を弄りながらそう言うと、群衆の中から二人ほどの屈強そうな男性が出てきてサラリーマン風の男を取り押さえた。
暴れる男を、彼らは連れていく。
すると集まっていた人々も散り散りになり、町長も踵を返そうとした。
「あの人をどうするんですか」
その背に、陽炎が声を掛けた。町長は振り向いた。…髭に触りながら。
「おや、見ない顔だね…旅のお方かな?……彼はしばらくの間拘留だよ」
「しばらく?」
「どうせ二、三日もすれば出てくる。彼はこのような騒ぎをよく起こすんだ」
髭を撫で、町長は陽炎に背を向けて去って行った。
残された陽炎は幾許か考えたのち、この町の交番へと足を向けた。
「今日捕まった人に会いたいんですが」
「駄目駄目、帰った帰った。会いたいのなら釈放された後にしてくれ」
この町の交番に拘置所があるのは昼間別件で訪れていたため知っていたのだが、
再び出向いて早速の門前払いだ。陽炎は舌を巻いた。
(釈放ったって、いつになるか分かったもんじゃない)
町長の一言で自由を奪われるような町だ。拘留期間も予測しようがない。
ではどうするか。陽炎はどうしてもあの男に会いたかった。
…何故かと聞かれれば、単なる興味本位だという以外答えようもなかったが。
(仕方ない、…三日だけ、待とう)
旅の目的の関係上、それ以上は妥協出来ない。
…その陽炎の予想に反し、男は一日で釈放された。
それでも陽炎は待ちくたびれていたかのように、同日、男のアパートを訪ねた。
旅の者で話を聞きたい、と言えば、町で浮いていて話相手に飢えていたであろう男は饒舌に話し出した。
「この町は腐ってるのさ…、犯罪率は100%近いし、検挙率なんてものまず0.1%くらいしかない。俺は転勤でこの町に来た。過疎地域みたいな雰囲気だし、高齢者が多いからって俺も油断していたんだ。今回、拘留されたのだって既に5回目さ…この町の町長も警官も犯罪を取り締まる気は毛頭ないくせに俺のように邪魔な人間の行動は取り締まるんだ。…こんな町、さっさと出て行ったほうがいいぞ」
陽炎はただ頷き、四畳ほどの部屋を眺めた。
「でもあなたはどうするんですか、ずっと此処にいるんですか?」
部屋の中はとてもではないが綺麗とは言えない。
日も入らず薄暗い。掃除も行き渡ってないようだ。
申し訳程度に出されたお茶のティーパックも何度も使ったもののようだし、座布団にも穴が開いている。
窓ガラスはひび割れ、ボールのようなものが突き破った跡がある。
「また移動を本社のほうから命ぜられれば話は別だが、しばらくはここにいるだろうな。しかし、俺は明日、町長の家を襲撃してやるつもりだ」
「…襲撃?」
「郷に入れば郷に従えだ。この町の一員として、襲撃くらいしてもおかしくはないだろう。あの白髪の親父にこれまでの仕返しをしてやるのさ」
「…」
郷に入れば郷に従え、は陽炎も昨日考えていたことだが。
…人間の考え方は一人一人違う。
この男は、罪を犯すことを選ぶというのだろうか。
「同類になってもいいってことですか」
陽炎の言葉に、男の眼が揺らぐ。
「……、…誰かがこの町に引導を渡さなくてはいけないんだよ、旅人君」
「だけど…」
一瞬辺りを包み込む静寂。
陽炎は発すべき言葉を見つけられなかった。
「今日はこれから仕事なんだ。…帰ってくれないか。」
…ただ頬の痩けた男の視線を受け、俯くしか出来なかった。
(俺に何が言える?)
自分自身、楼闇術者と同類になることを望んでいるくせに。
彼がこの町に引導を渡したがっているのと、自身が奴らにしたがっていることの何が違う?
「…お邪魔しました」
男の背中には迷いが見えた。
アパートの階段を下る。
(本当に、それで…)
襲撃などしてしまえば、間違いなく拘留だけでは済まない。
その後の彼の一生は滅茶苦茶になる。
これまでに受けた仕返し、そして正義のためならば、男はそれすらも厭わないとでもいうのか。
陽炎には分からなかった。
たかが町一つに、何を犠牲にする必要があるのだ。
町が嫌ならば、仕事だからとどうこう言っていないで出て行けばいいだけの話だ。
それなのに何故。
何をするのも本人の自由、勝手だ。しかし。
「おや、珍しい。お客さんかい」
ハッと顔を上げる。否、下げた。
階段の下から、草取りをしているおばさんがこちらを見上げていたのだ。
「大家さんですか?」
アパートで草取りする住人は滅多に居ないだろう。
「そうだよ。Bさんを訪ねたのかい」
「はい、まあ…」
Bさん、という名前は知らないが、おそらくあの男の名前だろう。
大家は首に引っ掛けたタオルで汗を拭い、階段の傍に置いてあった水筒の水を、ぐびぐびと飲み干した。
「あの人はもう何度も拘留されててね。騒ぎ立てなければ、そういう事もなくなるんだが…、よっぽどこの犯罪だらけのこの町が許せないんだろうねぇ」
「…大家さんはあの人の、」
「親戚みたいなもんさ。Bはなまじ真っすぐで真面目な人間だから、我慢出来ないんだろうよ。町が嫌なら逃げちまえばいいのにさあ、…会社に人生捧げてるからそれも出来ないんだろうよ。まあそれはいいところでもあるんだが、……困ったもんだね。Bも、この町も。」
陽炎はぺこりと頭を下げて、立ち去った。
何をするのも本人の自由で勝手だ。それは先程までと変わりない。
…だが。
陽炎は空を仰ぎながら、明日のことを想った。
人は時として絶望的な気分になり『もう朝が来ないかもしれない』と思ったり、逆に『朝なんて来なければいい』と思ったりすることがある。
さすれど、一個人が何をいくら願おうとも嘆こうとも、結局朝はやってくる。
来ないとすれば、それはその人が既に何も感じられないようになっているか、地球が自ら回転するのをやめたかだ。
何にせよ、地球はまだ自転をやめていないし、特に時間を止まらせたい程の絶望や幸福を感じてもいない陽炎には全く関係のない話だ。
ただふと…下らない夢を見て、そういえば夢の中の時間感覚はどうなってるんだろう、
と、考えてみただけなのである。
彼は布団から抜け出すと、身なりを適当に整え男のアパートへと向かった。
男の部屋のドアを叩いてもベルを鳴らしても出てくる気配はない。
階段を早足で下ると、大家が箒を片手に掃除していた。
「…大家さん、Bさんは」
「ついさっき出かけて行ったよ。」
「どうもっ」
陽炎は駆け足で町長の家へと向かおうとしたが。
(くそ、町長の家が分からないとか…)
交番は当てに出来ない。
陽炎は町内掲示板を見つけ、その隣にある町の地図を見た。
有難いことに、町長の家だけは示してあった。
陽炎は地図を頭の中に叩き込んで、急いで町長の家を目指した。
(あの人の気持ちは俺とよく似ているのかもしれない)
町長の家が遠目に見える。
術者であっても、こんなときばかり一般人と何一つ変わらないことが、とてももどかしく感じられた。
もっと速く走れたら、いっそのこと瞬間移動でも出来たら、と思う。
(程度の差こそあれ、あの人も自分の何か、それが正義感であれ家族であれ、何でもいい、踏みにじられたと感じているのなら)
町長の家の前には、男が一人、立っていた。
何処で入手したのか、手にはすっぽりと収まったピストル。
走っている陽炎と町長宅の距離が十メートル程の距離になって、男は町長の家のドアを蹴り破った。
そして鼓膜をつんざくような誰かの悲鳴。
陽炎は閉まりかけるドアを蹴り破り、男の背中にしがみついた。
「!旅人君……!?」
「駄目なんだ…ッ!」
彼が怯んだ隙に、ピストルを熱で溶かす。
溶けた金属がぼたばたと絨毯にへばりついた。
陽炎は驚いたままの彼の腕を引っ張り、玄関まで後退させた。
家の中にいる町長は肩に擦り傷を負っていた。
妻らしき女性も、廊下に唖然とした表情でへたり込んでいる。
男は、陽炎の腕を振りほどこうともがいた。
「旅人君、どういうつもりなんだ……!」
「……っ止めるつもりです。色々と考えたけど…、あなたにこんな真似はさせられない!」
何が同じか。同じわけがない。
「あなたには、まだ…あなたのことを想う人間がいるはずなんだ!」
あの大家もそうだ。良くも悪くも真っ直ぐ過ぎるこの男のことを心配していた。
そう、この男はまだ『真っ直ぐ』だ。
大の大人のくせに、己の正義を信じて。悪を見過ごすことも出来ず。
(この人はまだ、…『正しい』ことを選べる)
だからこそ、今ならまだ戻れるのだという確信がある。
彼のような人間が、道を踏み外してはいけないのだ。
陽炎は己の感情を堪えるようにぎゅっと目を瞑り、彼を町長宅から引っ張り出した。
そのとき。
「待ちたまえ!」
玄関のドアを閉めようとして、町長の声が響いた。
ぴたり、と陽炎は手を止めた。
止めに来たとはいえ、彼はかすり傷を負わせてしまっていたのだ、
今更退散したところでどうにもならないかもしれない。
傷害罪。不法侵入罪。さあ…何に当たるのか。
(…まあ不法侵入は俺も同じ)
男の昨日見せた迷いの表情。大家の言葉。
「こんな事をしてただで済むと思うのかね!」
町長の手には、家の奥から取り出してきたのか、猟銃が握られていた。
陽炎はその銃口の先が後ろにいる男に向けられているのを感じながら、覚悟を決めた。
「この人を撃つな!撃ったら、…ただじゃおかない」
頭のどこか冷静な部分では、どうして昨日知り合ったばかりのサラリーマンの男を庇っているのだろうと思っていた。
しかし一度彼を踏みとどまらせると決めた以上、意地でも守り抜かねばならない。
万が一にも町長が銃口の矛先を変えて、陽炎に向けてくる恐れはある。
だとしても、死んでやるつもりは毛頭なかった。
(俺はまだ、目的を達していない)
これはほんの寄り道だ。
陽炎は町長を睨みつけた。
町長は、術者である陽炎に対して及び腰になりながらも、銃を構え続けた。
「そ、その男を庇う気かね」
「…この人はあんたや…この町なんかのために人生を踏み外していいような人じゃない」
たかだか町一つのことで、人生を無にしてしまうことはない。
陽炎は未だに銃を構えている町長に対し、威嚇代わりに火の粉を投げつけた。
一般人は、心の底では術者を恐れる気持ちがある。
肩を掠めた火の欠片に、町長はガタリと銃を床に落とした。
その隙に、陽炎は男を引きずり、彼のアパートの方へと駆け出した。
「……っ」
嗚呼、なんて重たい体だ。
陽炎に邪魔されて気力が萎え切ったのか、彼の体はぐたりと地面に吸い寄せられるように弛んでいる。
「アパートに戻ったらすぐに荷物まとめてこの町を出て」
「………何故だ…」
「あの阿呆町長が何するかわからないから。襲撃なんてするつもりだったんなら、もう会社のためにここにいるつもりもなくなってたんでしょ」
もともと男の私物はあまり無かったため、荷物は小さな旅行鞄一つにすべておさまった。
部屋を出て、木を剪定していた大家に告げる。
「大家さん、Bさん連れていきますから。これ、鍵です。」
「あ、ああ……」
突然の事態に呆然としている彼女の手のひらにしっかりと鍵を握らせると、陽炎は男の腕を引いた。
男は泣きそうな顔をして、低頭した。
「…っ今までお世話になりました」
町の入り口まで駆け足で走った。
かの恋須賀街と隣接しているのだ。
宿を見つけること自体はそう難しくないだろう。
「少しくらいはお金あるでしょ、財布の中に。マンションかアパートが見つかるまでは、それでなんとかやり繰りしてください」
保証人だとか考え出せばきりがないが、この男にとて家族や親戚くらいはいるだろう。
男は顔をくしゃくしゃにして、
「…分かった。…旅人君、有難う。」
手を差し出した。
その手がどういった意図によるものなのか読めずに、陽炎は瞬きした。
すると男は、陽炎の手を引いて両手で握りしめ、
「じゃあ」
と、その手を放した。
その手が、お礼なのか別れなのかの意味を込めた握手だと気付いたとき、
陽炎は微かな声を風に乗せた。
「さよなら」
それが男に届いたかどうかは、分からなかった。