7.素質

















結局白夜が陽炎のもとに戻ってきたのは夜遅く、彼は終電間近の電車に乗って帰って行った。
陽炎も手を振り、それを見送ったが、心無し最後に見た白夜の背中は疲れているように見えた。
帰ってくる途中に、不良に絡まれでもしたのだろうか。
そんなふうに考えてもみたが、本人がいない今となっては確かめようもない。

陽炎は部屋で膝を抱えながら、じっとテレビの画面を見ていた。
昨夜と比べて静かになった外。
白々しいまでに爽やかな朝日が差し込む中、テレビではアナウンサーがこれまた白々しいまでに神妙な口調で、この街の姿の様相を語っている。

「これがあるべき市民の姿、か…」

画面に映るのは、団結してパトロールするこの街の市民。
代表なのだろうか。マイクに向かって、四十代ほどの女性が真剣な顔つきで話している。
『警察がいないのだから、私たち市民が!私たちの街を守らなくてはならないのです。』
その間も彼女の後ろでは柄の悪そうな連中と、たすきを肩にひっかけた市民が争っている。
昨日、実際に陽炎も街の荒みかけた空気を感じていたはずなのに、ブラウン管を通して見る光景は、この街の有様を酷く陳腐なものにさせた。
陽炎自身、この分では今日中にも騒ぎは収まるだろうと、どこか冷めた目で見遣ってしまっている。
勿論、こういった感情の沈静化はテレビの所為だけでなく、一晩眠ったせいもあるのだろう。
だが、陽炎にとってはどうでもよいことだった。
(この街には、もう楼闇術者はいないんだろうか)
彼にとって気になるのは、それだけだった。
先日発生した事件といい、昨日の騒ぎといい、彼らの仕業である可能性が高いのだが。
前者は報道されたとおり。後者は果たしてどうなのか。
そして、何故自分は響から話を聞いたとき、彼の腕を振りほどいて探しに行かなかったのか。
いくら彼のペースに完全に乗せられてしまっていたとはいえ……。
危険を前に、あったかもしれない手掛かりを逃したのだ。
陽炎は拳を握りしめた。

それから彼が行動を起こしたのは、夜になってからのことだった。
手掛かりを探すのを諦めたわけではない。
ただ昼間は、周囲の喧騒が煩わしかっただけだ。
陽炎は階段を下りる際にある窓から外を覗き見た。
木々のざわめきに混じって、ちらほらと歩く人影が見えるだけだった。
(……)
此処の階段からは、木の隙間から裏通りに面している建物が見える。
陽炎がそれを知ったのは今この瞬間が初めてであり、彼は少しばかり体をぐいと乗り出した。
数人の人々が、一見普通の商社の裏に入って行く。
夜勤の勤め人達なのだ、と言われてしまえば信じ込んでしまいそうなものだが、陽炎はそろり、と窓枠を乗り越え、木伝いに地面に下りた。
昨日の己の行動に腹立たしささえ感じている彼にとっては、ほんの微かな胡散臭ささえ見逃せないのである。
誰もいなくなったのを見計らい、侵入する。
コンクリートの階段を足音をたてないように上り、二階…そして三階へ進もうとして、陽炎は足を止めた。
階段の影に身を隠す。
(…招待状?)
一瞬のうちに確認出来たのは、何か渡している連中と、警備員と思わしき男達。
運が良い。己の勘を信じた甲斐もあり、明らかに普通の商社ではない。
だが見たところ招待状のようなものを渡さないと入れない。
陽炎は舌を巻いた。時間なのか、警備員らは中に入り、扉は閉ざされてしまいそうだ。
このままでは、中には入れない。
此処まで来て、何も見聞きしないで帰ることはしたくない。
(強行突破しかない、か…?)
つまみ出されるのがオチではないか、とも思うが、手段を選んでいる時間はない。
陽炎は一歩踏み出そうとした。
「っ!」
突然背後から腕を引かれ、口を塞がれた。
警備員かと体を捩れば、視界に映ったのは彼の見慣れた人物だった。
(…如月さん…!)
何故。
だが、そう問いかける前に、陽炎はジェスチャーで『離してくれ』と頼んだ。
如月は「大きな声は出さないで下さいよ」と言い、彼を解放した。
息を吸い、疑問を発する。
「…どうして此処に?」
「街をうろついていたら、陽炎君が此処に忍び込もうとしているのを見てしまいましてね。ああ、なんだかやらかしそうだなあと思い少々心配になって」
「別に俺は…」
「強行突破しようとしただけです、か?やめて下さいよ、そんなとっ捕まって終わりそうなこと」
「でも何だか怪しいし…」
やはり、どうも駄目だ。
と、陽炎思った。
彼といると、心がいとも簡単に懐柔されてしまいそうになる。
そんなことではいけない、と分かってはいるはずなのだが。
如月は困ったように微笑む。
「怪しいところには危険が付き物だということは、陽炎君も重々ご承知のはずです」
「……はい」
頷く。
しかし、此処で引き返すことは出来ない。
どうにか彼を振り切らねば。
陽炎は首を振り、しっかりと如月の眼を見据えた。
「それでも、少しでも可能性があるなら俺は探りたいんです」
どう足掻いたところで、父の死に関することだけは譲れないのである。
陽炎の『可能性』の言葉に、如月は言葉を詰まらせた。
その瞳は一瞬複雑な光を映し出しながらも、閉じられた扉の方へ向けられた。
少しずつ中の方が騒がしくなってきている。
彼は陽炎からの痛いくらいの視線を受け、諦めたように笑みを崩した。
「…此処で、聞くだけにしておいて下さい。」
「…分かりました」
陽炎も多少の妥協は受け入れ、耳を扉にあてがった。

聞こえてくる物音から判断するに、中ではオークションが催されているようだ。
ざわざわとした人々のどよめき、喧騒。
巨大な額の値を叫ぶ声が飛び交っている。
肝心の品物は何なのか、とより耳をすませる陽炎の横で、如月は目を伏せていた。
陽炎の、腕を掴みながら。

何時間も経過した頃、そろそろラストが近付いているのか人々の興奮も増してきているようだった。
『さて次が最後となります、本日のトリを飾るのはーーー』
人々が見入って静まり返っている。
陽炎も同様にじっと耳を研ぎすました。
そして次の瞬間、彼は己の耳を疑った。

『希光術者の素質でございます!』

わあわあと声が大きくなり、これまでとは比べ物にならない高額の値が飛び交う。
「…まさか、術者の素質なんてどうやって……」
動揺を露に、陽炎が片膝をつく。

術者の素質は生まれながら体内に存在するものであり、それがなかったものは必然的に一般人となるしかない。
けれども一般人も術者になる方法がないわけではなく、
術者の身体に深く根を張った『素質』を取り出して移植すれば可能である。
ただし素質を失った術者は、既に身体が術者として出来上がっているため、その中心がなくなり壊れてしまう。

ちなみに、術者の素質は通常高く取引されるが、希少価値の高い希光術者と楼闇術者の素質はより高く売買されるらしい。
と、隣にいた如月は説明した。
「…じゃあ、あの希光術者は、素質の持ち主は?」
「死んでいます」
「…そ、んなことって……………」
わなわなと体が震える。
嫌でも蘇ってくるのは、己が父の亡骸の記憶。
何十にも積み重なる映像が脳裏を駆け抜けていき、彼は唐突に理解した。
 
 とうさんはおれと同じ楊炎術者で
 
 原型すらなかったとうさんのからだは
 
 あのぱっくりと割れていたあれは
 

「父さんは商品として売られた?」


ただ殺されただけではなく?
売り物にされた?
…楼闇術者によって?

「陽炎君!」
気がつけば、陽炎は扉を強引に押し開けようとしていた。
彼にとってはもはや、このオークションに参加している人間は屑としか思えなくなっていたのだ。
今すぐにでも此処を開け放って、全てを燃やし尽くしてやりたいという激情に絡めとられる。
その陽炎を、如月は力づくで押し戻そうとした。
「っ落ち着いて下さい…!…此処で売られているのはあなたの父親ではないんです……!」
「ッだからってこんなことしてる連中を、黙って見逃せるはずが……っっ!ッッう………」
陽炎はもどかしげに如月の腕を振りはらおうとしたが、
その瞬間己の腹に鈍い、それでいて強烈な痛みを感じ、意識を失った。









ガチャガチャ
と、扉を内側から乱暴に開ける音。
如月はぐったりと倒れ込んだ陽炎を担ぎ上げると、唖然とする警備員を残しその場から離脱した。
「……っ」
一瞬にして商社からは少し距離のある宿屋の裏に着地する。
彼は少年が目を覚ましていないのを確認すると、担ぎ直して宿屋の戸を開けた。
街の端にある廃れかかっている所で、ライトも仄かな明かりの役割しか果たしていない。
「…部屋は空いていますか」
「ダブルは空いてないよ」
「シングルです。泊まるのは…弟だけですから」
こんなおんぼろ宿にダブルもシングルもあるか、と思いながら、如月は陽炎に目を遣った。
気絶させておいて言うことではないが、彼には安らかに眠っていてもらいたい。
出来ることなら、復讐なんて真似をせずに。
「16号室だよ」
「はい」
鍵を受け取り、料金を支払って階段を上る。
こんなふうに誰かを背負うのは何年振りだろうか、と背中の温もりに想いを馳せる。
そしてその温もりがあたたかいほど、彼の胸の痛みは増すばかりだった。
この体が冷たければ、どれだけ楽だったろうか。
いっそこの場で殺してしまえば、と思いかけて如月は我に返った。
(俺は何を馬鹿なことを……!)
「だけれど、その方が彼も苦しまなくて済むんだよ、望」
ハッと顔を上げると、響が16号室の前に立っていた。
彼は愉しげに如月の手から鍵を掠めとると、16号室へと入った。
如月は後ろ手にドアを閉めると、陽炎をゆっくりとベッドに下ろした。
「…この部屋はシングルだが」
「知ってるさ。君もだろう?」
「俺はすぐ出て行く」
「相変わらずつれないんだからねぇ。困ったものだよ」
でも君はまだ出て行けないよ、と響の声がベッドの方から聞こえて、如月は立ち止まった。
視線だけ向けると、彼は陽炎の顔を覗き込んでいた。
「よく寝てるね、…否、気絶してるね、って言った方がいいのかな」
「…」
「そんな怖い顔しないでよ。一つ君に聞きたいことがあるだけなんだ」
如月は眉を寄せ、仕方なさそうに響の方へと向き直った。
響は彼とは対照的に微笑を浮かべたまま、緩やかに足を組んだ。
「此処で私が彼を殺したら駄目かい?」
「駄目だ」
「意外に即答だねぇ。さっきは、おんなじこと考えてたくせにさあ」
響の笑みが深まる。
そしてやはり、如月は不愉快そうにより眉を寄せ、
「いいからもう帰れ。それと…あまり彼に近付くな」
「何故?」
返された問いかけに言葉を詰まらせた。
「君は彼と知り合い以外の何者でもない、と私は認識しているのだけれど?」
彼は立ち上がり、如月に顔を寄せた。
酷似した二人の顔立ちは、まるで一枚の鏡を挟んでいるかのようであった。
…あくまでも、その表情を除いては。
「……」
沈黙。
実際、この状況において如月自身、自分の心を推し量れずに混乱している部分があった。

ついこの間出逢ったばかりの少年、彼は父親を殺した敵に復讐したいのだと言い放った。
そして如月はその少年を知っていたことを思い出した。
そのとき出逢うより以前に。
出逢ったときには気付いていなかったが、少年の話を聞いた際に面影を重ねたというべきか。
ただひたすらに、赤と黒の世界だった。
弾き出された答えは、如月を酷く動揺させた。
一人考え、自分には関係ないのだと、その答えを拒もうとさえした。
だが感情がその答えを受け入れられずとも、かつての記憶が強制的にその答えの受け入れを要求した。
自問を繰り返すうちに、認めざるを得なくなった。
しかし、どうしたらいいのか、分からなくなっていた。

近付かない方がいいとは思ったが、彼が無謀にもオークションに潜入しようとするものだから、つい追いかけてしまっていた。彼にそんな行動を取らせるのはもとを辿れば自分にも責任があると思った。
自分のせいで、彼を危険には晒せないと思ったのだ。
それなのに、この有様だ。
殺人が仕事であり趣味だと言っても過言ではない響を少年に近づけてしまったのも、自分の存在があったからなのだろう。後悔したところで後の祭りだ。

先程響が少年を人質に取ったとき、立ち止まった時点で、もはや悪循環に陥っている。

何故自分は立ち止まってしまったのだろう。
近付くなと告げたのだろう。
そんなものは既に疑問の形すら成していない。
危険に晒せないと思ったから、と答えも既に出ているだから。

如月は単純に最悪だ、と感じた。
いっそ殺してしまえば楽になるという響の言葉も分かるのだ。事実考えたのだから。
だが果たして自分や響に少年を殺す権利があるのだろうか。
それはあまりにも身勝手だ。冗談じゃない。けれどそのほうが。たかだか数回顔を会わせただけの少年なんだ。
気にするほどでもない。しかし彼は許せないのだと。
如月は混乱している自分がつくづく甚だしかった。

「だんまりはずるいんじゃないの?望、何故、彼を殺してはいけないんだい?」

おそらく響は、如月の考えていることなど分かり切っている。
その上で、敢えて聞いているのだ。如月がその考えている内容をどう説明するのかと。
説明によっては如月の微妙な心境も読み取ることが出来るためだ。
彼はそういう人間だ。

如月は黙り込んだ。
頭の中で葛藤しながら半分認めることと、誰かの前で言葉にすることとは、まるで意味合いが異なると、知っていたからだ。
…結局まだ彼は、自身と少年の繋がりを、露呈してしまえるほど受け入れられてはいなかったのだ。
もしその傷をえぐられでもしたら、簡単に取り乱してしまえるだろうくらいには。

「彼の父親を、」

そして響がそこをえぐらないわけもないのである。

……彼はそういう人間なのだから。
如月は己の耳を切り落としたくて仕方がなくなるほど、この現実を拒みたいと思った。