6.苛立ち





白夜がこの街を発つのは今日の夜。
陽炎は特に理由もなく、一人街をさまよっていた。
白夜とは街に連れていくまでの関係のはずだったのだけれども、
いつのまにか見送る予定が出来てしまっていた。
陽炎の中ではそれがとても奇妙でありながら当然に思え、
しかしながらせめてそれまでは一人でいようと反発にも似た気持ちも混ざり、せめぎあっていたのだ。
(俺はこれでいいんだろうか)
何度考えたことか。
決して楼闇術者を探し出すことを迷っているわけではない、その目的に迷いはない。
陽炎が思い悩んでいるのは、周りの人間との関係性についてだ。
気がついたら知り合ってしまっていて、ずるずる関係が続いてしまっている。
交友関係を作るための旅ではないというのに、自分が心底それを嫌がっているわけではないということも。
情報収集のためには多少の関係も必要かとは思うけれど、そうそう自分が利用のためと切り捨てられるとは考えにくい。
…純粋に親しくなってしまって、目的が阻害されるのは困る。
「あれ、陽炎君?」
誰かの声。明らかに呼ばれたのは自分の名前だ。他のこんな名前の人間はいない。
顔を上げ、陽炎はもはや手遅れなのではと思い始めていた。
「…昨日の」
「芦辺響だよ。酷いな、名乗ったのに忘れちゃったのかい?」
如月の知り合いの術者だ。
いつの間にやら、自分の知人が増えている。
こうなれば開き直ったほうがいいのか。
「響さんは知り合いに楼闇術者いないんですか?」
「随分単刀直入だねぇ君は。…いないよ、悪いけれどね」
「じゃあいたら教えて下さい。これ俺の携帯の電話番号ですから」
と言って、メモ用紙に記入しようとしたところ、響にそっと遮られた。
「いいよ。言ってくれれば頭に入るから」
「…じゃあ、…×××-×××-××××です」
「了解。……ねぇ、これってその楼闇術者発見以外のことで使っちゃいけないのかい?」
「いや別にそういうわけじゃないですけど」
それではあまりにも極端だ。人として問題がある。
すると響は「分かったよ」と微笑した。
如月も穏やかだが、その知り合いである彼も少々強引だが穏やかな人柄であるように思う。
そのとき、鈍い携帯電話のバイブ音がひびいた。
お互い顔を見合わせる。陽炎は自分のものを確かめたが誰からも着信はない。
「…ごめん私だ」
電源切っといたはずなんだけどなあ、と彼はくるりと陽炎に背中を向け、それを耳に押し当てた。
待っている理由もないのだが、とりあえず陽炎はその背中を見つめていた。
「……君は私の休みを何日つぶせば気が済むんだろうね…、…知らないよ………」
時計を見る。まだ一時前だ。
「はいはい、分かったよ。…わかった、とりあえず遅くても今日中には帰るから。……」
ぷつり、と電話が終わったのか、響は携帯電話をしまった。
「…彼女ですか?」
「まさか、部下からだよ」
「結構、実力主義な会社なんですね?響さんの歳で部下がいるなんて」
少しばかり挑むような言い方になってしまったかもしれない。
だが響は気分を害した様子もなく、「うーん」と首を傾げてみせた。
「まあそうだね。結構ハードな会社かもしれないね」
「何をしてる会社なんですか?」
「そうだねぇ、分かりやすく言えば品取引の会社、かな」
「ふーん」
他人との距離が計れない。
何処まで自分は壁を崩していいのか。突き放すべきか。
一定の、程よい干渉されない距離とはどの程度の距離か。
陽炎は口を結んだ。
けれど響は、
「陽炎君、デートでもしようか?」
「へ?」
「暇だろう?私と会話してくれてるくらいだし」
そう言って、陽炎の腕をそっと引いた。







「ゲ」
と、つい声を発してしまった自分が恨めしい。
釣り竿を片手に川と向き合っていた彼は、こちらを振り返って笑みを唇に刻ませた。
「おや、桴海君。人を見るなり『ゲ』だなんて……随分なご挨拶じゃないですか」
「…悪かったな」
吐き捨てるようにつぶやく。
何故なのか、彼は苦手だ。
知り合ったばかりで何を、と思うかもしれないが、事実今すぐ此処を立ち去りたくなっている。
恋須賀街を出て、人気のない林で気分転換しようと考えたのが間違いだった、と白夜は自分の選択を悔いた。
「此処はあまり魚が釣れないですねぇ。少々水が汚いのかもしれない」
「そうかよ」
「…今日は陽炎君は一緒じゃないんですね」
「今日も、だろ。僕は昨日あんたに会ってないが、陽炎は会ったみたいだからな」
「そうでしたね」
彼の横顔に浮かぶ、人を食ったような笑み。
人を食っているのは言葉遣いからしてそうか、と白夜は眉をひそめた。
彼の敬語にはどこか皮肉めいたひびきを感じてならないのだ。
陽炎は特にそのことに関して何も言ってこない。自分の考えすぎだろうか。
「なんです、そんなに見られてると照れますよ」
「あんたが照れてるところなんて逆立ちしても想像出来ねぇな」
「桴海君身軽そうですし、逆立ちなんて朝飯前でしょうから大した意味もないと思いますがね」
嫌味を嫌味で返されて感じる苛立ち。
自分が勝手に突っかかっているのだと分かってはいたが、流されても返されても苛立ちはつのった。
翻弄されている。
言葉にしてしまえばそういうことで、だが何故自分が翻弄されているのかが分からないのだ。
白夜はじっと如月の姿を見つめた。
中性的な面立ち。華奢な身体。…襟元に隠れている紫色。
(……痣?)
皮膚の色が薄いだけに、一度目に止まってしまえば色濃く映る。
ぶつけたような一カ所だけの痣ではなく、それは人の指の跡のように見えた。
「…如月、」
「?なんです」
「どうかしたのかよ、その首の痣」
如月の動きがぴたりと止まる。
彼は「ああ…」と思い出したかのように首の辺りを手で押さえると、微笑を浮かべた。
「何でもありませんよ」
「そこらへんの術者にでも喧嘩吹っかけられたりでもしたのかよ」
「そんなところです」
誤摩化すような曖昧な微笑み。
それを見た瞬間、白夜は不快感を感じた。
(…こいつの笑ってる顔は嫌いだ)
自然に見せかけた、酷く作為的な紛い物。
嫌味な敬語だけではない。
彼を苦手だ、と思う理由はそこにあるのかもしれない。
「…でもあんたはそこらへんの術者に痣付けられるようなヘマをするような奴じゃねぇだろ」
「買い被り過ぎですよ」
先日の対応を見ていれば分かる。
白夜は苦笑する如月を無視して、「それに」と言葉を続けた。
「僕にはその痣が誰かに首を絞められた痕にしか見えねぇんだけどよ?それこそ、普通には有り得ない」
術者が一般人から金品を強奪するだけなら、そこまでする必要はない。
術をかけるか、頭部か腹部を殴るか蹴るかすればいいだけの話だ。
「…参りましたね」
しかし、どうやら白夜は踏み込んではいけない領域に入り込んでしまったらしい。
彼の指摘に、如月は釣り竿をゆっくりと地面に置いた。
「桴海君は意外と目敏いようで」
一応目立たないようにはしていたんですがね、と彼は言う。
その唇に乗せられた笑みは、先程までとは種類が異なる気がして、背筋に悪寒が走った。
「ですが」
不意に彼の手袋越しの手が、白夜の手首を掴んだ。
「どうせなら……俺が苛ついているのも察してほしかったですねぇ」







街中に緊急のサイレンが鳴りひびいたのは、それからすぐのことだった。
遠くから誰かの声が聞こえてくるが、反響して上手く聞き取れない。
周囲も、戸惑いの表情を浮かべている。
「…警察署の人々が殺されちゃったんだってさ」
だから注意して下さい、って。
と、陽炎の頭上から、響の声が振ってきた。
思わず聞き返す。
「どういう意味?」
「この街には警察がいなくなってしまったから、自分の身は自分で守って下さいってことさ」
彼の言葉が終わる頃には、街は形相を変え始めていた。
警察という安全網が利かなくなっただけで、あちこちから悲鳴やざわめきの声が広がりだす。
「この街は昔っから単純だからさ。夜には不穏な連中も集まるしね」
響は擁護とも批判ともつかぬ口調で背後から殴り掛かってきた男をかわすと、陽炎の腕を掴んだまま走り出した。
重ささえ感じさせぬ軽い足取り。
陽炎は必死で付いて行った。付いて行きたくなくとも腕を掴まれているのだからそうせざるを得ない。
「響さん!」
「せっかくのデートだったのにねぇ、仕方ないからまたの機会にして、今日は送るよ」
「っぅわ!」
ひょい、と肩に担ぎ上げられて、陽炎は驚きのまましがみついた。
「ちょっと響さん!別に俺は女の子でもないんだから送ってくれなくていいよ!」
「駄目だよ。こんな状況じゃ、例え大の大人でも一人歩きはさせられない」
「っ…だとしても、自分の足でちゃんと歩けるし走れるよ!」
「…お姫様だっこにしてもいいのかい」
彼のあまりに予想の付かぬ行動に、もはや年上相手だというのに敬語を使うことすら忘れている。
陽炎が紡ぎだす言葉を見つけられず黙り込むと、彼は口の端を持ち上げた。
「…それに、なまじ放っておいても、彼に怒られそうだしね」
呟かれた言葉。
聞き取れず、陽炎は「何か言ったの?」と眉を寄せたが、彼は首を振った。
「なんでもない。さて、行こうか」

部屋につくと、響は陽炎を静かに下ろした。
「荷物は二人分あるみたいだけれど、連れの人はいないみたいだね?」
「あ、うん……白夜さんも…連れも出掛けるって言ってたんで……」
不安だった。
外からは、痛ましい悲鳴が途切れることなく聞こえてくる。
おそらく街中で、見るに堪えない光景が繰り広げられているのだろう。
(…白夜さんはああ見えて多分上級術者の人だし、大丈夫だとは思うけど……)
上級なのは、中級を雑魚扱いするのだから間違いないだろう。
上級術者は術もさることながら、体術に優れている場合も多い。
治安の急激に悪化した街中でも、心配する必要はないと思われたが……。
「…不安そうだね、心配かい?」
響に掛けられた言葉に、ぴくりと肩が動く。
「…、…大丈夫だろうとは思ってます」
「でも確信は持てない、か」
(……)
心配なんてしてどうする、と自分に問いかける気持ちがある。
己の旅の目的を忘れたか。交友関係を築くための旅ではないだろう。
他人の心配をする暇があったら、さっさと先に進めばいい。敵を探しに行けばいい。
(でもそう思ってるなら)
どうして自分は白夜が今夜発つのを見送るつもりでいる?
彼や如月、そしてこの青年との会話を嫌でないと感じているのか。
(俺はどの程度まで人に近付いていいんだろうか)
利用して捨てるなんて出来ないくせに。
親しくなったところで、いつかは邪魔になるかもしれないと思っているくせに。
…そう、それなのに、心の何処かで、
誰かを大切に出来ないような人間にはなりたくない、
血も涙もない、楼闇術者の連中のようにはなりたくない、
と、叫んでいる自分がいるのだ。
(俺は甘いのかもしれない)
復讐を心に決めているくせに、他人との繋がりを持ちたがるなど。
けれど自分の内に潜む人としての感情だけは、どうしても捨てたくなかった。
「…電話してみます」
自分から干渉するだなんて。
しかし思う。
これは自分が自分であるためには必要なことなのだ、と。
「………」
プルルルルと、無機質な呼び出し音。
しばらくして、『はい』と答える声があった。
「…あれ、如月さん?」
『どうも。桴海君は今ちょっと手が離せないそうなんですよ』
張りつめていた空気が、如月の朗らかな声で一気に緩む。
陽炎は無意識のうちに胸に手を当てながら、息を吐いた。
「如月さんも、白夜さんも無事なんですか?」
『ええ。無事です。それにしても、なんだか急に街の様子がおかしくなりましたねぇ』
「なんか警察署の警官が殺されたとかで無法状態みたいで…」
『ああ…どうりで。…陽炎君の方こそご無事ですか?お怪我などは』
「大丈夫です。泊まってる安いホテル内だし、一応…響さんもいるし」
ちら、と窓の外を眺めている響を見遣る。
彼は視線が合うと、にこり、と微笑んだ。
『そうでしたか。彼がいるならまぁ……安心ですね。では、しばらく外には出ないようにして下さいね。桴海君もまもなくお帰りになれそうなので』
「あ、はい」
ぷつん、と電話が切れる。
響が、カーテンをシャッと閉めてこちらへ歩いてきた。
「望も一緒なんだって?」
「あ……はい、…二人とも無事みたいですよ」
望、と言われてもぴんとこないのは彼の下の名前を知って日が浅いからか。
まだ如月の下の名前は望というらしい…程度の認識しか持っていない所為もあるのだろう。
「…響さんと如月さんってお友達、なんですか」
「…友達、というよりは幼馴染みに近いね。でもすぐ引っ越しちゃってね、それほど遊んだりしたことはないんだ」
響の指がテーブルでとんとんとリズムを刻む。
如何にも器用そうな細長い指だ。
「ねぇ、君が楼闇術者を追い求めているのは何故だい?陽炎君」
唐突な質問。
顔を上げると、彼と視線が交わった。
闇のような深い色をした瞳。誰だったか、こんな瞳の色をしていた人間が他にもいたような気がする。
引き込まれてしまいそうな色。
(…卑怯な眼だ)
一瞬でも見とれたうちに、心を覗き見られそうな強引さがある。
陽炎は胸を押さえ、自制するかのように自身の舌を軽く噛んだ。
彼は果たして、目的を打ち明けても問題のない人物か?
陽炎とて、誰彼かまわずに復讐のことを言い回りたいわけではない。
そんなことをしていたら、当然彼のやろうとすることを非難するであろう人も出てくるだろう。
非難されて止めるほど薄弱な意志で動いてもいないが、うっとうしいことには変わりない。
だが。
「楼闇術者が俺の父さんを殺したから」
思い出すだけでも忌々しい。
陽炎は、捻くれた笑みを浮かべそうになる唇を押し下げた。
…この言葉は、少なからず相手の反応を伺うために必要なものでもある。
そして相手の反応を伺うのは、まだその相手を信じ切っていないからだ。
事実彼に関する情報は、釣り人…如月の知り合いというものしかない。
「…それで君はどうしたいんだい」
「…」
「殺したいのかい?」
眼を見開く。そう聞き返してきたのは彼が初めてだった。
思わず動揺する心臓を押さえ込んで、陽炎は努めて平静を装った。
「…随分過激なこと言うんですね」
「そうかな。てっきり君はそう思ってるんじゃないかと私は思ったんだけれど?」
事件現場に行ったり探していたりするような姿を見られていたのだから、そう思われたところで何ら不思議ではない。
陽炎は瞼を閉じ、「そうですね」となおざりな返事をした。
響が微笑む。
「君は分かりやすいね」
「…自分でもそう思います」
否定はしない。陽炎自身、自分は感情が表に出やすい方だと思っていた。
簡単に言ってしまえば、幼いのだろう。
陽炎は目の前の長身の青年を眺めた。
彼は肩を竦め、
「復讐なんてことしたいなら、もっと穏やかにしていないと、相手が勘付いてしまうよ」
と、ソファに浅く腰掛けた。
カーテンの隙間からは、夕日が薄く差し込み始めていた。