04. A vague border, the erosion of the illusion



















拷問並びに自白強要。
森田彰は現状においては愛すべき国民であり、上記のような行為は禁じられる。


酔いつぶれた森田彰を送り届け、私はKのもとへ戻った。
Kは眠そうに眼を擦りながら「どうだった?」と尋ねてきた。外にいた彼に中のことまでは分からない。私は「特になし」とだけ述べて自動車の窓にもたれ掛かった。多少の酒を飲んだ所為で眠くて眠くて仕方がないのだ。森田彰がここ数日の調べで夜中に家から出ないことは分かっていたが、やはり見張りは交代で続けるのが好ましいだろう。私は自動車…現代は全て電気で動力を賄う…に乗り込み、Kに一言告げて椅子に寄りかかった。政府はアルコールを分解する人工酵素を作り出すべきだ。酒を飲むたびにこれでは任務に支障が出る。

「森田は本当に黒なんかなあ」

Kの呟き。見張りを続けてはや四日経った。バーに入り浸っていた森田と尾行二日目に顔合わせをし、四日目の今日が二度目だ。彼は私のことを覚えていたようで当然のように声を掛けてきた。そして酔いつぶれた。森田はあまり酒に強くないらしい。私は彼を家まで送ると申し出て、彼の家に入り込んだのだった。
森田の部屋は反逆罪の疑いをかけるのが馬鹿らしくなるほど典型的な近代建築だった。行き届いたシステムの管理、何をするにも自由で気楽な空間。もしかしたら一歩も自力で動かなくとも生活出来てしまえる世界。けれども森田はこうして外に出ては酒を飲み、集会を開いて反逆罪の疑いをかけられているという。解せない。未だ森田が集会を開いた場面に遭遇していないからかもしれない。何故開かない…気付かれているのか?
私は森田をコンピュータに預け、改めて部屋の中を見回した。黒と白、緑と黄色のあざといコントラストから出来上がった部屋。通常であれば、落ち着かない。原色。発色も強過ぎる。だが此処は森田の部屋であり、私は単なる侵入者に過ぎない。潰れている森田にちらりと視線を投げ掛け、部屋のセキュリティを一時的に停止させる。机の上にある写真立てには、彼と友人だろうか…が微笑んで映っている。…私の記憶に傷を作る瞬間。
駄目だ、これは任務だ。私情を挟むべきではない。抑える。感情を抑えてこそ、取締官として認められる。乱れ過ぎれば更迭される。
森田のPCにアクセスする。容疑者に繋がりのある人間は全員調べるのは基本であり、システムに連結し最近までの行動記録などを探させる。だが現在のシステムは言わば代替システムであり、あまり性能に期待は出来ない。ストックされた情報を知るにはこちらからわざわざ管理部までチェックしにいかねばならないし、それは対象人数が多いほど時間と手間がかかる。ちなみに、森田彰が反逆罪の疑いをかけられるに当たっての情報はストックされる前にシステムに異常が認められたため回収はされていない。
………修正中のシステムから現在の代替システムに切り替わるまでの時間的空白があるということだ。そして代替システムは代替前システムの把握し貯蔵した情報を追いかけることは出来ない。代替システムが出来るのは国民の生活を支えることと代替前システム以後の管理、ただし性能は代替前の八十パーセント程度である。
もしも時間的空白の最中に森田及び周囲の人間が怪しげな挙動を見せたとしても記録には残っていない。人間というものはそう頻繁に怪しげな行動を起こすものではないだろうから、そうであれば当分彼らに動きはないかもしれない。それは少し…面倒なことではあった。期間が長引く。彼らが軽率であることを願うばかりだ。

私は眼を閉じ、Kの呟きを半ば夢うつつに聞いていた。
森田は、白かもしれない。だが、黒かもしれない。情報がない。早急過ぎる判断は禁物だ。…システムの修正はまだ終わらないのだろうか。森田が黒だという根拠の具体性が薄過ぎる。薄いと思うなら考えなければ良い。数少ない情報から得た間違った判断は避けるべきだ。分かっているのに森田のことを懸命に考えようとするのは、自分のことを考えるよりもずっと楽だからだ。私は、私自身のことは手に負えない。考えたくはない。姿のない彼のことも、結城のことも…自分の記憶のことも。私は自分の存在に否定的になっている。何故いま、此処にいるのか分からなくなっている。過去が違うからだ。私の過去は…もはや私のものではない。私の過去を肯定する者は私自身しかいない。薄弱な根拠。根拠がないことは否か。ならば私の過去は否なのか。他の者の言うことが本当なのか。それはどういうことなのだろう。
深く考えこんでしまえば私の足下は崩壊する。したがって表面的にのみ考えようとする。感情を切り離そうとする。抑えこむ。自制する。
いつかヒビが入るかもしれないと恐れおののく。





森田彰は昼間外出している。
行き先は変わるが彼は必ず外出する。非インドアな人間なのか、…策略のための下準備なのかは分からない。関わった人間についてはKが代替システムの情報を通じてせっせと洗い直している。今のところ問題は見られないらしい。これが嵐の前の静けさ、というものでなければの話だが。
今日、森田は仮想空間に向かっている。だが、若干毛色が異なった。そこは男色向けの施設だったのである。現代は法律で同性愛も認められてはいるが、それでもやはり主流なのは異性愛である。同性愛派は非主流派と言えた。Kは手を動かしながらも「ひょえー」と口笛を吹いている。呑気な男だ。

「驚いたなあ。初めて見た」
「法律には何も違反していません」
「いや、そうなんだけどな。やっぱり珍しいだろ。それに…」

Kが意味深に私の方を振り返る。…何だその眼は。
Kは内緒話でもするように運転席の私の方へと身体を寄せた。そんなことをしなくともこの車の中の防音は完璧なのだが、気分だろうか。

「だってお前、森田の奴何度か送り届けたろ?」
「ええまあ」
「ならよく無事だったな。男色なら危なかったじゃないか」
「それは随分差別的な発言だと思いますがね」

男色の人間が男であれば見境なしに手を出すというわけでもあるまい。それは異性を愛する人間と同じはずだ。事実私は森田に何もされていないのだから。そう言うとKは何やら不満そうな顔をして「ふぅん」と唸った。どうにも彼の思考回路は理解し難い部分がある。私は気を取り直して仮想空間の方へ視線をやった。外からは何も見えない。プライバシーの観点から言ってもそれは当たり前のことだ。
Kがまたしても話し出した。つくづくよく喋る男だ。

「もしだがよ。仮想空間内で集会の連絡を取り合ってたら、俺たちゃ手が出せないんじゃないのか?」
「盗聴はしています」
「そうだけどな。もし、筆談でもされてたらどうするよ。いくら公共施設って言ったって、全部が全部内部の映像を記録してるわけじゃあるまいよ」
「……」

確かに。露骨にプライバシーに関わる空間内の映像は記録されていないだろう。しかしいくら何でも男色向けの施設内で集会の話し合い等するものだろうか。それこそ全員が全員男色というわけでもあるまい。しかしそう思わせておいて…というパターンもないわけではない。施設に入っても必ずしも性交しなければならないという決まりはないのだから。

「もしそうだとしたらどうします」
「潜入…してみるしかないんじゃないのか」
「そう…ですか」

まあ順当ではある。
しかし私は顔が割れているので、ここはKが行った方が良いのではないかという結論に落ち着いた。Kは「ガチくさいなあ」とよく意味の分からぬことを言いながら車から降り、仮想空間内へと入って行った。これで何か掴めるかどうかは分からない。余程用心していれば性交する振りをしながら筆談という可能性もある。その場合も、さすがに個室内までは覗けない。
珈琲で休憩しつつ、仮想空間の前を見張る。
やはり男女の施設に比べれば客足は少ないが、それでもそれ単体で見れば決して少なくはない客数ではあった。以前の偏った価値観に囚われず生活するのは、とても良いことだと思う。

「…遅いな…」

森田が中に入ってからだいぶ時間が経つ。Kからの連絡も特にない。仮想空間は基本的な利用時間は一時間程度であるのだが、延長したのだろうか。それとも。…Kに連絡を入れる。

「…大丈夫ですか?」
『個室から出て来ないのが気になるな。余程の絶倫であれば話は別だけど』
「…そのまま見張りを続けてください」
『おう、……!?』

鈍く何かを殴打したかのような物音。車から降りて仮想空間へと駆け寄ろうとし、ぴたりと後頭部に硬いものが押し当てられた感触。視線だけで振り向いた先には見知らぬ男の顔があった。おそらく森田の仲間であろう。男は聞いてもいないのに話し出した。

「政府の犬が嗅ぎ回ってるって話を聞いてよ」

筒抜けか。仮想空間周辺に停車している乗用車は数多くあったにもかかわらず、この車だと分かったのもこちら側の情報を吹き込んだ人物がいる、ということなのか。脳裏に薄らと過る夢の男。…違うとは思うが…。彼にはウイルスをバラまいた前科があるため否定は出来ない。しかしどうするか。こうして私が捕まっている以上、中にいるKも同様だろう。施設内で騒ぎが起きればセキュリティが働くはずだが。…システムは”政府の犬”を攻撃された程度では国民を始末出来ない。麻酔弾を撃ちこんだならば上出来だが、代替システムにそこまでの機能が備わっているかどうか。第一、内部の仲間に危険が生じれば、彼らもと呑気に私を包囲している場合ではないだろう。つまり、完全にしてやられたということだ。
尾行に不備はなかった。政府に裏切り者がいる?発想は突飛過ぎるかもしれないが、却下すべきではない。彼の存在…。…そんなことは後で考えれば良い、今はこの決定的な状況下で如何にして森田を捕らえるかを考えるのが先決だ。…Kが人質になっていなければ、まだ動きようはあったのだが、むしろ人質になっているのは私かもしれない。二手に分かれればそれだけの隙が生ずる。もう一方を確認する術はない。

「彼は無事なんですか」

この男の言葉は信じるに値しない。生きていると言われたところで生きている方がこの連中にとってのメリットがあるだけに過ぎない。

「さあな、それはお前さん次第だよ」
「誰から聞いたんです」
「お前、自分の置かれてる状態分かってるのか?」

殺されそうだ。それがどうした。…そもそも何故この連中は私を見つけた瞬間に殺そうとしなかったんだ。駒の一つや二つ殺したところで法律はこの連中を裁きやしないというのに。

「森田がお前に会いたがってる」

……ということは、Kは殺されている可能性もあるということだ。私は両腕を上げたまま、仮想空間の中へ連行された。仮想空間内に入るのは初めてだ。Kは……無事なようだがこちらを振り向きもしない。意識がないのか。「K。」呼びかけても返事はない。後頭部への痛みが強まる。
森田が椅子にふんぞり返ったままこちらを見た。服は着用している…仮想空間は所詮仮想であるため、性行為をするにあたっても脱衣をする必要がない。森田の顔は相変わらず特徴がない。ある意味良く出来た顔だ。旧体制の頃であったら犯罪を犯して指名手配されても通報はされにくかったろう。

「やあ、君にはがっかりしたよ」

森田は顔をくしゃくしゃにしている。

「せっかく酒場で久々に良い子に巡り会えたと思ったのになあ」
「ご期待に添えず申し訳ありません。そこの彼は意識がないのですか」
「そう…ちょっと大人しくなってもらったよ。今は良い薬がいっぱい出回っているからね…」
「あなたがたの目的を伺いたい」

彼の感傷に付き合うつもりはない。私がそう言うと、頭部の拳銃が嫌な感触を訴える。森田は笑って手をへらへらさせた。それから勢いをつけて椅子から立ち上がり、こちらへ近付いて来た。彼の指が頬をなぞる。それは決して気分の良いものではなかった。
森田の息がかかる。近過ぎる距離に圧迫感を感じる。

「そうだなあ。君が私の相手をしてくれるってのなら考えなくもないなあ」
「ご冗談を」
「そう?そっか、君、性欲なんかありませんって顔してるもんなあ」

随分露骨な物言いをする男だ。とはいえ、近頃は国民のモラルの低下も嘆かれつつあるようで、左程珍しいことではない。…Kには森田の無駄話の間に目覚めてほしかったのだが、やむを得まい。私は森田の胸ぐらを掴んでその額に銃口を押し当てた。データを物質に変換させられるというのは実に便利である。

「私の頭部に押し当てている銃を退けてもらいたい」
「君…そんなことをしたらあそこの彼の命も…」
「その前にあなたの命の心配をした方がよろしいのでは?この国の政府は反逆罪の容疑者には優しくありませんので」

一部出任せではある。反逆罪が確定しない限り極刑はない。が、疑いのある者に嘘をついてはいけないという決まりもない。彼らは灰色なのだ。
殺気立つ周囲の連中に森田は頷いて「退けてあげなさい」と命じた。この男の支配力はなんだ。頭部から違和感が消える。彼は落ち着き払った態度で、私を見遣った。落ち着かない。何かまだ隠されていることがある気がしてならない。
代替システムが視界に入る。壊されている。銃口を森田の額に押し当てつつ考える。

「森田さん…此処にいる皆さんはよくよくあなたに忠実らしい」
「ええ、彼らは私にとても忠実に従ってくれているよ」
「でしたら、あなたが彼らに引き下がるように命じさえすれば、彼らは引き下がるんでしょうね」
「命じなければ君は私を殺すのかな?君は私に恨みも何もあるまいよ」
「仕事ですから」
「君は仕事で人を殺すのかな。それが君の友人や知人であっても変わらないのかな」

………反逆罪を犯した時点で例外は認められない。

「だがまあ考えてもみてくれよ。君が私を殺したら、彼らは黙っちゃいないよ。そこの連れの彼も殺されてしまうかもしれない」
「生憎ですが、彼の代わりなどいくらでもいます」
「それは君の代わりもいるということなのかな。君は使い捨ての駒のようなものだと」
「ご理解いただけたのであれば、大人しく投降してもらいたいのですがね」
「君はそれで満足なのか?そこまでして政府に忠誠を誓って何になる」

何なのだろう、この男は。
しかし考え込んでしまっては、男の思うつぼである。私はより強く銃口を押し付けた。森田はしょうがないなあと零し、周囲の連中に「帰って良いよ」と告げた。これで本当に帰るかどうかは怪しいものだ。途中で待機している可能性も否定出来ない。
そう言うと森田は柔らかく顔を綻ばせて、次の瞬間、私の首に小型銃を突きつけていた。それまでの緩慢な動きからは信じられぬほどの俊敏さで。
そして――、

「私はこれでもね、君の先輩なんだよ」

彼の銃が大きくしなって、