03. Rebellion against nation














『処刑時刻ニナリマシタ。結城尚人ハ速ヤカニ処刑室ヘ移動シテクダサイ。』


その瞬間、世界が暗転したかのように思えた。
処刑されるのは私ではなく、結城だというのに。
結城の肩がびくりと震え、ゆっくりとその頭が持ち上がる。彼は覚悟などとうの昔に決めているとでも言いたげに唇を引き結び、システムに大人しく拘束された。彼の視線が、私を捉える。

「…青、頼みがあるんだ」
「…何ですか」
「俺の死を最後まで見届けて欲しい。多分、あっという間に終わるんだろうけれど」

あっという間だろう。おそらく。
結城は軽く微笑んで、前を向いた。処刑室はもう目の前にまで迫っている。部屋から悲鳴は聞こえない。悲鳴を上げる間もなく、消される。胸の中に、焦燥に似た何かがある。私は自分自身が分からなくなってきている。いま、自分が何をどう思っているのか、判断がつかなくなっている。
処刑室のドアが開く。結城が振り向いた。

「どうして現体制を嫌うのかって聞いたよな」

結城は何を言おうとしている?私は彼の顔を凝視した。彼は寂しげに笑う。システムは彼を急かした。従わないのであれば、この場で抹消することも辞さないと。それはつまり正式な処刑ではない、防衛システムによる射殺である。そうなれば遺体は見るに堪えない物と化す。

「結城、駄目だ」もう最後の権利は使い果たされたのだ。システムは容赦なく彼を殺す。一度実行された命令は変更出来ない。
「また明日と言ったんだ。けれどそれきり、もう逢うことはなかった」

結城の頬をレーザーが掠める。それでも彼は微笑した。何故だ、何故今そんなことを言おうとするんだ。時間はいくらでもあったろうに、何故わざわざ惨い死に方を選ぶような真似をするのか。頬へのレーザーは威嚇。次は確実に彼の五体を貫く。

「結城!」
「でも国家に逆らいさえすれば、もしかしたらまた逢えるかもしれないと思った」
「…ゆうき、」

叫び慣れていないものだから一瞬声が掠れた。
彼の言いたいことが、分からないわけではなかった。むしろ察してしまうことは容易く、私は彼の言葉を否定したかった。彼の言葉が真実で、全てであるなら、それはひどく…救いのないもののように思えたのだ。彼にとっても、…私にとっても。…だが、結城は救われたかもしれない。だからこそこうして、いま死を迎えんとしているのかもしれない。けれど、私は私でないのだ。私は、彼の求める人間ではない。
胸が苦しい。感情移入し過ぎだ、と『私』が冷ややかな声で告げる。私は結城の期待には答えられない、違う人間でしかないのだから。当たり前過ぎる事項。しかしならば何故、私はこれほどまでに動揺しているのか。彼を知らないことに、彼が死ぬことに。
乱れの混じる思考。平常心を保て、何故、私は、わたしは。


「でも、本当に…逢えてよか」
結城の身体が飛び散る。砕ける。ばらばらになる。


『排除シマシタ。生命反応消失』
システムの無機質な声が響く。




「…なおと」
そう口にしたのは、誰だったか。












昼前。
知らせを聞いてやって来たのか、結城尚人の両親の姿が調査室にはあった。黒い、喪服。かつてあった習慣が未だ根付いていたとは驚きである。

「尚人は、尚人はどうなったんですか」と、母親。
「処刑は終了しました」

分かってはいたのだろう。それでも二人は絶句し、視線を床に留めたまま動けずにいた。立ち直ったのは男性の方が先で、彼は神妙な顔で私を見た。

「あの子の、遺体は…」
「ありません」
「っない?」
「反逆罪を犯した者が再び生きることは許されておりません。ご了承下さい」

これで了承出来る親などいるはずもない。いるとしたならば、余程諦めが良いのか子供に愛着がないかのいずれかではないのか。
男性は口は動いているものの声が出ていない。代わりに女性が声を発した。瞳には光るものが滲んでいる。

「分かっています…あの子の、犯してしまったことの重大さは……」

申し訳ございません、と女性は頭を限界まで下げ、肩を震わせている。隣で男性も同じように頭を下げている。彼らの幸せを損ねたのは結城であり、政府でもある。顔を上げるように促し、それから何を言っていいのか分からずに私は黙り込んだ。現体制にもいくらかの非があると述べるか?だがそれもあまりにしらじらしいと言うべきか、根拠のない軽薄な言葉はあまりこの場にふさわしくない。
ふと、女性がこちらをじっと見つめた。化粧はしていないようだ。

「最後に…息子に会ったのがあなただと聞きました」
「…」
「ですから、迷惑を承知で他の人にはあなたを呼んでいただいたんです。あの子は、…何か、その…」

…結城はご家族については何も言ってはいなかった。一言くらい言伝を聞いておくべきだったろうに、私は気がつかなかったのだった。どうする。
嘘を言えば良い。たった一言、結城が気にしていた、感謝していたと伝えれば彼らは救われるのだろう。結城は己の親に恨むごとを言うような人間ではなかった。だがしかし、もしも告げることで逆に昨日のうちに到着してやれなかったらという負い目を感じてしまったならば。
優柔不断だ。神経質過ぎるのか、もっとさらりと何も聞かなかったと言ってしまえば良かったのか。
しかし女性は私の返事を待たずに、「ごめんなさい」と席を立った。

「もう忘れることにします。あの子は、跡形もなく消えてしまったのだから」
男性もつられるように立ち上がった。けれども彼の顔は真っ赤になっている。急激な興奮。
「おい、だがそれでは尚人が…!」
「あの子は優しい子です。私たちにいつまでも未練がましく思っていて欲しくないと思っているはずです」
「そしたらいったい誰が尚人が居たことを覚えていてやるんだ!あの子を完全に無きものにするつもりなのか?」

男性は自分の息子を失くした哀しみをどこにぶつけていいものか、困惑しているようにも思えた。あまりに突然の事態に翻弄され、打ちのめされている。特に強度のストレスに慣れていない現代人は、男性女性問わずヒステリーを引き起こしやすいものとされている。暴れ出したりしないだけ自制心があると言ってもいい。
…しかしこれで夫婦仲が抉じれる可能性がある。
自然と修復されれば良いが、そんな虫の良い話があるのかどうか。自分達の子供のことを想い過ぎるあまり意見が決裂して、そのまま夫婦仲にまで亀裂が入るというのはそれほど珍しい例ではない。
そこに第三者が介入してどうにかなるかと聞かれると、判断に困るところではある。おそらく夫婦仲を決裂させないためには、結城尚人本人の証言又は夫婦を結託させるような分かりやすい悪が必要である。つまり今回のケースでは結城尚人本人に非があったがために彼らの感情の行き場がないわけだが、非が別の…システムにあるのだと思うことが出来れば、また別の展開を見せることになるであろうということだ。…これまでシステムの恩恵を享受してきて、突然批判側に回ることの出来る単純さを持ち合わせているか、恩恵を得ながらも内心批判的であったという場合に限る話ではあるが。
そしてその方法を選択するには、この夫婦が言い争いを始める前に火種をばらまいておかねばならなかった。例えしらじらしくとも、見せかけの誠意を込めれば多少は効果があった…いや、しらじらしいほど、彼らの怒りに油を注ぐことが可能だったろうに、先程私は躊躇したのだった。もう遅い。
正直、まさか女性が結城尚人を忘れると言い出すとは思ってもいなかったのだ。これまで何人かの遺族と話をしたことがあったが、いずれも馬鹿な息子(娘)であったと見放すか、子供のように暴れるか、昔の慣習に倣って墓標を作るすなわち息子(娘)がいたという確かな証拠を残しておくかだったのだ。
この女性の言いたいことも理解出来ないわけではないが、何か引っかかる。それは、

「…結城さん」
「…お見苦しいところをお見せしてごめんなさい、でも…」
「あなたがたにとって、ご子息の想い出は負担になると、そうお思いなのですか」

…そういうことではないのか。彼女は『自分の死を忘れて幸せになってほしいと思ってくれているであろう』と己の息子の気持ちを思いやっているようには見える。実際よくある言い回しではあるし、仮に死者がそう言ったならば美談である。不幸な死など忘れるに限る。だが、不幸な最期であったからとて、全てを忘れることが本当に幸せなのだろうか。息子の死を忘れるということは、息子の存在を忘れるということである。

「ましてや、あなたは本当にご子息のことを忘れられるのですか」
「…記憶の消去を申請すれば良いだけのことです」
「香苗!馬鹿なことを言うな!」

男性が発した名前はこの女性のものであろう。…結城香苗か。
確かに現代の技術を持ってすれば記憶を飛ばすことなど簡単だ。特定の人間のことなど、…ものの数秒で忘れられる。以前と比較して今が幸か不幸か判断する基準を失うことが出来る。
…女性は結城尚人の記憶を消去することを選択し、男性はいつまでも覚えていることを選択する。それも一つの方法かもしれないが、やはり夫婦仲の修正は不可能であろう。……それも仕方がないのかもしれない、ここまで考えが違っては。お互いが、妥協することが出来ないのならば。
おそらく彼女にとって、息子の死は受け止め難いことなのだ。だから忘れたがっている。記憶しておくことが辛いからこそ忘れるべきだと考えている。息子は優しいから、彼女を苦しめるような選択…ずっと覚えていて欲しいとは思わないだろうと。
そしてもしも忘れることの方が辛いならば、覚えていてもいいと息子は言ってくれると思うのかもしれない。
……または、結城尚人が本当に、自分の存在など忘れて欲しいと考えていた場合だが。
私は結城の本質を理解しているとは思わない。彼が両親にどんな態度をしていたのかも分からない。もしかしたら本当に忘れて欲しいからこそ、処刑前に呼ばなかったのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、死した彼の意思など誰にも確かめようがないということだ。
私や彼の両親、他人がいくら語ったところで、そこには微少な願望や想像が含まれる。人間が互いの全てを理解し合うことは不可能だというのに、それらしく考える。死人は何も語れないがためにそれが罷り通る。人々は推測や予測、己の経験に頼って人とのコミュニケーションを図る生き物だが、そこに死人が介在するとより語弊や誤解が拡大しやすいのである。
したがって、今のような状況が引き起こされる。
妥協出来ないのなら、互いに正しいと思うことをするしかない。今回の問題におそらく正解はない。両者の権利や意思を尊重するなら決裂もやむを得まい。

「記憶の消去の申請は、お近くの医療センターにて受付可能です。…希望がありましたらこちらから回しておくことも出来ますが」
「…お願い致します」
「香苗…!…、…あなた、香苗を焚き付けるようなことは言わないでください!」
「私たちには国民の皆さん一人一人の自由意思を尊重する義務があるのです。そして例えご夫婦の間柄であっても、権利の侵害は認められていません」

男性は立ち上がる。彼は癇癪を起こしている。頬を殴られた。確かに彼の眼から見て私の態度は好ましいものではなかったろう。ただでさえ息子を失い感情が荒ぶっているのに、其処に息子を処刑した側の人間がいては。ましてやその人間は自分の妻の権利を尊重するなどと宣って、妻の非人間的な行為(彼にしてみれば)を擁護しているのだから。
男性が立ち去るのを見送ってから、女性も椅子から立ち上がった。彼女は男性の行為を謝罪してから、じっと私を見て、…言った。

「…青君、なんでしょう?」
「…」
「幼い頃によく尚人と遊んでくれた…、面影がよく似ているもの」
「…人違いですよ」
「そうかしら?…確かに、昔の記憶なんて曖昧なものだけど」

女性は柔らかく微笑した。その笑みは結城尚人のものと重なる。

「尚人と最後に逢ったのがあなただって聞いて、思ったんです。私が忘れても、あなたが尚人を覚えていてくれる」
「……毎日何人もの犯罪者に会っているんです。すぐに忘れてしまうかもしれませんよ」
「大丈夫。多分尚人のことだから、あなたにしつこく言ったでしょうし、簡単には忘れられないと思います」

頬、ごめんなさいね。後でよく言って聞かせるから。
女性は頭を下げ、静かに調査室から出て行った。頬が痛みを訴える。口の中に広がる鉄の味に、切れたかもしれないと思いながら私は結城尚人の調査書をファイルに綴じ込んだ。開けば簡単に、彼の映像が浮かび上がる。もはや居ぬ彼が確かに存在した証。…あの両親は、彼の記録を取っておくだろうか。
処刑時刻を書き込もうとして、ポケットの中のペンを探る。すると慣れぬ感触が指先に当たった。結城の処刑を前に手渡された角砂糖だった。包みが崩れて中の砂糖がさらさらと零れ出してしまっている。

調査室のドアが開いた。Kが立っている。

「よお、H。昼飯食べに行こうぜ!…って、なんで泣いてんのお前?」
「え?」

言われてみれば頬が濡れている。
私は何も分からなかった。結城のことを何一つ思い出せないのに、無性に瞼が熱かった。