1.出逢いという名の再会を
















それは花火大会に行った帰りのこと。
真っ赤な塊がばーんと弾けとんで、赤い火花がぼたぼた垂れた。















少年は、逃げていた。
背後から浴びせられる雷(いかづち)を紙一重で避けながら、草に足を取られないように必死に神経を働かせる。
人為的なものでありながら、その光は地面を焦げ付かせるだけの威力を持っていた。
それは対象が人間であろうと、同じことだ。
少年は追ってくる者の『オーラ』が遠ざかるところまで来ると、足を止めた。
(……息の乱れはない。まだ余裕はある。)
己の体力を確かめ、鞄から地図を取り出し辺りを見回す。
無我夢中で逃げてきた彼には、此処が地図のどの辺なのか全く見当がつかない。
しかし、迂闊にうろつけば再び見つかる恐れもあり、彼は息をひそめたままでいた。
そこに、何者かの足音がした。
『術者』のオーラはない。一般人らしい。
(……さっきの人とは違うのかな)
それでも一応の警戒はし、少年は呼吸を殺して茂みに身を隠した。
木々をすり抜けこちらへ歩いてきたのは、釣り竿を肩に乗せた青年であった。
銀髪で長身だが、少年と同じくらいに華奢な体格をしている。
彼は細い川の手前に座り込むと、周囲のことなど気にした様子もなく、そこに釣り糸を垂らした。
不意に、術者の『オーラ』が辺りを包み込む。

「……何か御用ですか」

少女……先程まで少年を追っていた術者だ。
釣り人は突如現れた人間に驚いた顔一つせず、温和に微笑んだ。
少女は棒立ちのまま、口だけを動かした。

「髪を一つに結んでいる術者の少年を見なかった?」
「すみませんが、見ていませんね」
「本当に?」
「ええ」

心臓の音が五月蝿い。少女のオーラは消えない。何故か。
そのとき少年は気づいた。
少年が少女のオーラを感じられるように、少女も少年のオーラを感じているのではないか、と。
もしそうならば、こうして茂みに隠れていたとしても、オーラは少年の存在を否応無しに彼女に知らせてしまっているだろう。
汗が額を伝う。どうするか。
少年はジリ、と手のひらを握りしめた。手にも汗が滲んでいる。

しかし、少女は立ち去った。

思わず立ち上がろうとして、否、油断させて戻ってくるつもりかもしれない、と堪える。
けれども、次の瞬間、明らかに少年に向けた釣り人の声が聞こえた。

「行ってしまいましたよ。術者さん」
「!」

気づかれていた。
少年は驚いてひょっこりと茂みから顔を出した。
青年と視線が交わる。柔和な笑み。

「どうしてあの人に嘘をついたんですか?」

率直な疑問。礼を言うことすら忘れている。
だが、気づいていたなら何故。
そう口にしてから、頭に中に蟠っていた疑問が形を成した。
この釣り人が気づいて、あの術者が気づかないのもおかしいではないか。
術者ではないこの釣り人は、術者である少年のオーラを感じ取ることは出来ないし、術者である少女が少年のオーラを感じなかったわけがないのだ。

「あなたは術者じゃないんでしょう?だってオーラがしない。なのにどうして俺に気づいたんですか?」
「気配がしたので」
「ならどうしてあの人は俺に気づかなかったんだろう……?」

これは釣り人に向けた疑問ではない。だが釣り人は、釣り上げた魚をクーラーボックスに放り込みながら、律儀にも答えた。

「たまたまその『オーラ』とやらを感じる器官が鈍っていたのでは?」
「風邪ひいてたとか?」
「それは本人にお聞きしてみないと何とも」

何ともいい加減な返事だったが、少年は黙り込んだ。
そして、何処からか「ぐぅー」という間の抜けた音。
もはや何匹目なのか分からない魚を釣り糸の先にぶら下げた釣り人は、それこそ何とも言えぬ笑みを浮かべると、

「………お困りなら、差し上げますが」

と、少年の目の前でその魚を揺らしてみせた。















「イヤアアァアアァアアアアアアッッッ」
ああこの声は、かあさんだ。
でもひどく耳にひびいて、真っ暗な林の中でもよくこだまするみたい。
ぬるぬるする。
気持ち悪い。
「あ゛あああ゛あ゛あああああああああああ゛」
這いつくばってもぬるぬるから逃れられない。
べちゃりとつっこんだ。ああ、赤い。真っ赤だ。
ぶよ、としたものに触れる。ぶよぶよ。
「お気の毒に」
「これmgkdきっdkm楼闇術者の仕業ですよgdmlk」
「いい人kmfづgだっgkldたのに……」
近所のひとたち。何を言っているのか、分からない。
しらじらしい目をしてかあさんをみている。
水たまり。水たまりってきらい。冷たいから。
このあかい水たまりも、冷たい。それに、変なものがいっぱい浮かんでる。
白くて固いものとか。ウインナーみたいなものとか。
ああ、なんだかこれは少しぴくぴくしている。ぱっくりわれてて気持ち悪い。
あ、これみたことある。かあさんがしていたのとおそろいの指輪。
まえ、とうさんに見せてもらったのとおなじ。
あれ、とうさんはどうしたんだっけ?
さっきまでいたのに。
あれ。
かあさん、泣いてないでとうさんはどこに行ったの?
あれ
あれ
なにこれ
どうしてとうさんの指輪がここにあるの
どうしてこのぶよぶよした塊に
あれ

「とう、」
さん
ちがう。ねぇ。これじゃない。
「とうさん」
声がかれてる。でもおれは呼びかけた。へんじはない。
ちがうちがうちがう
ぬるりとした
つめたかった
「とうさん」
へんじをしてよ
ねぇ。
「父さん」

これはとうさんじゃないんだよね?















「で、俺は旅に出たてでいきなり追い回されたわけで」
むしゃむしゃ

「なるほど」
「術者だとか言われても、そんなまだ初級者なんだから何が出来るってわけでもないし」

むしゃむしゃ

「ですがそのうち術を覚えるつもりはあるんでしょう」
「そうなんだけど、本とか読んで分かるもんでもないんだよね」

むしゃむしゃ
少年は咀嚼した魚をごくりと飲み込んだ。
釣り人は相づちを打ちながら、豪快に魚を食いちぎっている。

「ところで陽炎君は、あれ……炎を操る術者さんなんでしたっけ」
「楊炎術者です」
「だけれども火が出せずに困っていると。術者なのに、と」
「そうです。子供の頃医者からは心臓に楊炎の素質があるって確認されてるし、母さんは一般人だけど父さんも楊炎術者だったし、間違いはないんだけど」

本当は過去形になどしたくないのだけれど。
少年……陽炎は内心唇を歪めて釣り人を見た。
月の光に銀色の髪が輝かんばかりに透けて、とても奇麗だ。
自分の髪では、そんなふうになることもない。

「陽炎君」

ス、と視線が合う。釣り人は微笑んだ。

「此処で逢ったのも何かの縁です。お教えしますよ」
「何を?」
「火の出し方」

瞬きをする。この青年は一般人ではなかったか。
すると、その陽炎の心を読んだように釣り人は「俺は一般人ですよ」と唇に笑みを乗せた。

「ですがまあ、旅をしてると術者の知り合いが増えましてね、嫌でもやり方は覚えてしまうんですよ」
「旅はどのくらいしてるんですか?」
「さあ……そろそろ十年になるかならないか、ですかね」
「……あなたいくつですか」
「年齢なんて正確に覚えてませんよ。今度帰ったら聞いてみます」

釣り人は黒い手袋をした手を陽炎の胸に乗せた。
「セク」と叫びかけた陽炎の声を「違います」という声が遮る。

「本当なら結構な説明をしなくてはいけないんですがね、面倒なので」
「……はい」

釣り人は一文で説明した。

「心臓にある素質からの伝達経路を肩、腕、手とイメージしながら、炎を頭の裏に描きます」
「うん」
「以上です」
「っは」
「もし素質があるならこれで一発で出ます。慣れればイメージすらいりません」

釣り人はにっこり微笑み、陽炎にやるよう促した。
これまで読んできた本のどれにも、ここまで簡潔な説明のものはなかったのだが、……陽炎は大人しく実行することにした。

「……イメージ……」

………
…………
……………

閉じていた視界が明るくなる。
仄かな暖かさを感じ、陽炎は目を開けた。
釣り人は柔らかな笑みを浮かべると、陽炎の頭をぽんぽんっと撫でた。

「はい、よくできました」

手のひらにともる小さな炎。
あまりにも簡単に姿を現した熱に、陽炎は頭を垂れた。

「詐欺みたいだ……」
「まあ後はこれを応用していけば、きちんと戦えるようにもなりますよ」

釣り人はすっと立ち上がり、服についた砂をはたいた。
陽炎も慌てて立ち上がる。

「もう行っちゃうんですかっ?」
「ええ。少々漁業組合と先約がありまして。それでは、頑張ってくださいね」
「ぎょぎょ……」

釣り人は奇麗に微笑むと、手のひらをひらひらさせて陽炎に背を向け、歩いて行った。
つられるように陽炎も手を振り返してから、ふと気づく。


「釣り人さん、名前、名前聞いてない!」


かなり離れたところで、釣り人はこちらを見て、立ち止まった。


「それはまた、別の機会にでも」


やさしげな微笑み。
……ふわりと一瞬、何かオーラのようなものが漂った気がした。