友達殺し






透は下校するなり、アパートの隣人である紡(つむぐ)を訪ね、一緒にゲームをして…内容自体は次から次へと飛び出して来るモンスターを撃ち殺すありきたりなものだった…家に帰り、母の作ったカレーライスでお腹を満たし、風呂に入って、父が野球観戦している横を通り、鞄の中の教科書を明日の時間割に合わせて入れ替えて、それから自分の布団に潜り込み眠った。夢は見なかった。
翌日は朝食に、冷凍の焼きおにぎりをレンジで温めて食べた。焼きおにぎりは冷めて固くなったものが好きなので、解凍したてを食べるときはいつも惜しまれるような気持ちになる。ほっぽっておけばもっとおいしくなるのにと。
通学路では街路樹の花々を目を留めるわけでもなく、似たように歩く面々の黒い学ランやセーラー服の背中を眺め歩いた。
遅刻しない程度の余裕を持って2年2組の教室に入り、着席して担任を待っていると、彼女は間もなくして教壇に立った。顔を奇妙なかたちに強張らせたまま、
「今朝方クラスメイトの根本紡くんが亡くなりました」

後になって噂で聞いたことだったが、紡は体内を骨以外綺麗にくり抜かれて死んでいたという。
大きな穴を開けられた痕跡もないのに、体内の臓器がごっそりなくなっていた。そんな馬鹿な話があるだろうか。

葬儀は大部分がしめやかに営まれた。バックミュージックのように、紡の両親の啜り泣く声だけが一定して響き続け、時折不協和音が生じるかのように、その声が大きく乱れた。
透も紡が死んで悲しかったが、未だ信じられない気持ちが強かった。同じように学校から帰り、ゲームをして、眠ったはずなのに、何故紡だけ朝を迎えられなかったのだろうと思った。しかもわけのわからない死に方をしている。もしかしたら、朝は迎えたがベッドから抜け出せなかったのかもしれない。ベッドすなわち布団の上で死んだのであれば理想の死に方かもしれないが、時期尚早にも程がある。
「透、ここにいたんだね」
声を掛けてきたのは、紡同様、腐れ縁の来栖明人(くるすあきと)だった。彼は華奢な印象を与える容貌をしていたが、やや小柄な透よりは上背がある。
その目と鼻は少し赤くなっていた。透は自分が薄情な人間のように思えた。高校生という多感な時期にこの鈍感さはどうしたことだろう。
「紡、本当に死んだんだね。今日此処に来るまで半信半疑だったけど…」
「そうみたいだ…」同意してはみたものの、透はそれ以上言葉を続けられなかった。実感の薄さが嘘くささとなって口調に滲み出そうで。
透一人の実感があろうがなかろうが、紡の姿が何処にもないという現実は動かない。それでも、皆が小芝居を演じていて、自分だけがそれを知らされていなかったかのような気分だった。台本がないので、仕方なく疑問をそのまま口にする。
「お前、宗教違うのに葬式出ていいのか?」
「父親が聖職者でも、僕自身は信者ってわけじゃない。仮にそうでも、出席するのは問題ない…と思ったな」
明人は首を傾げる。透の父親はただの商社の営業マンの為、家庭にも目立った宗教色はなくその辺の事情は全く知識の外にある。
「紡はどうして死んだんだろう?」明人はぼんやりと紡の両親たちの方を見つめている。
「どうしてって?」死因なのか、何故彼が死に選ばれたのかを疑問視しているのか判断がつきかねた。どちらもだろうか。
「僕の知っている限りでは、紡は平凡な人間だったよ」
明人は激するでもなく、優等生を想起させる声色…彼はいつもそのような話し方をする…で言った。
「意地が悪いわけでもない、どっちかといえば大人しい部類だ。わざわざ危害を加えたいと思われるような奴じゃあなかった。少なくとも、今回のように異常な殺され方をするほど、強い恨みつらみ、若しくは執着をされていたとは思えないんだ」
「犯人は無差別に人を襲っただけじゃないだろうか」一方、透は何の深みも感じられない発言をして返した。
そもそも紡の死因は他殺なのかも判然としなかった。人間に可能な殺し方とは思えない。それよりは原因不明の奇病を発症したのだと言われた方がまだ自然だったが…さっぱり分からない。透は空を仰いだ。
徐々に、紡の死がリアルにすり寄ってきている。明人と話すことで、それが自分の脳味噌の中だけでなく、誰かと共有している現実なのだ遅ればせながら分かってきたようだ。それ自体は一向にかまわなかったが、しっくりと馴染んでいくに従って、透は何かむずむずするような落ち着かなさも感じていた。
それが、紡の意味不明な死に方に対する理解出来ないもどかしさからくるものなのか、はたまた憤りや悲しみからなのかは分からなかったが。
「人と人との別れはよくあることにせよ、死に別れだけは出来れば遠慮願いたいものだ」
そう言い残して去っていく明人の背中を見つめながら、紡と最後に会ったのは、あいつの家族を除けば俺だということになる、と入れ替わるかのように歩み寄ってきた静寂とともに考える。ひっそりと手を繋いだ。

紡とは互いに物心つく頃から遊んでいた。たぶん自我の形成過程で玩具を取り合って叩き合ったりくらいはしただろうが覚えていない。
当時は街周辺もまだ開拓が進んでおらず、整備の行き届いていない用水路を渡って建物裏を歩き回ったり、全く衛生的とも思えないザリガニ採りに出向いたりしていた。
ザリガニは臭かった。餌をせっせとやっていたのに死んでしまったので、幼稚園の砂場近くの建物の裏に許可も取らずに埋めた。
その、動いていたものが動かなくなった すなわち死んだ ということ自体は、幼いながら理解出来た。というよりは、その辺にいる蟻を踏んだときに既に知っていたか。会話の通じない生き物の死はありふれている。
よって、透自身はそいつが死んでしまったことに何ら感慨もなかったが、紡はしばらくその膨らんだ土の前から動かなかった。
ザリガニなんてまた採ればいい。透にとってはそうでも、彼にとってはそういう問題でもなかったのだろう。小学生に上がり、生き物係になって飼育していたうさぎが死んだときも、紡はこの世の終わりのような悲愴な顔をしていた。
「さくら…」そのうさぎの名付け親は彼だった。

とにかく、紡はそういう…ちょっと感傷的なやつだった。しかしゲームでモンスターを殺すのは平気だ。あれは殺しているのではなく倒しているのだと感覚的に言い換えることは出来るが、たぶん薄っぺらい立ち絵だから彼の心の琴線に触れなかったのだろう。それに、あれは倒されるために設定されたキャラクターなのだ。罪悪感を抱く方がどうかしている。彼らに命はないのだ。
全く、名もなきモンスターについて考えても、状況が好転するわけでもないのに。透は道中で溜め息をついた。紡の所為だ。彼がそう、いきなり死んでしまったりするから、こんな意味もないことを考えてしまうのだ。じいさんばあさんの葬式の後にはこんなくだらないことを考えたりはしなかった。それこそ幼かった所為もあるが、旨くもない寿司を食べさせられ、走り回ることも出来ずにつまらないなと頭の中はそればかりだった。だのに、紡が死んだら透の頭の中は彼のことだとか他のしょうもない記憶でごった返しているのだ。
なんだよ、紡のやつ本当にしんだのか。こうも昔のことばかり思い出させて。
透は、足下に転がる石ころをつま先で小突いた。幼い頃はそれこそ石を出来るだけ長く蹴飛ばし続けることに夢中になったが、そのうちやらなくなった。自分たちはいつのまにか無邪気な子どもではなくなっていた。それでも、幼い頃を今はもう戻れない時間として顧みるには早過ぎた。しかし紡がそうさせた。
葬儀での彼の両親の姿を思い出す。明人のぼんやりとした横顔を思い出す。石ころが遠くへ転がった。傍らを知らぬ自転車が音もなく通り過ぎていく。綺麗に舗装された道路を、透は先程までよりもずっと早い足取りで歩いた。

透には、政治の仕組みも株式のやり方も人間関係の正しい作り方も分からない。
紡の死因も同じだ。それらは同様に、身近で有る無しに関わらず正解のない問いに思われた。
友として、彼の死因の究明に努めるべきではないかという声が自分の内側から聞かれる。しかしあまりに突飛な死に方で、解法が全く想像もつかない、手に負えないという状況に、気力は大いに削がれていた。
友達が得体の知れない方法で死んだんだぞ。悔しくないのか。
発破をかけてみても、どうにもぴんとこない話だった。何が悔しいのか、紡は、確かにいなくなった。たぶん、もうはなすことはない。だが死んだというよりは、喪失したという感覚が強かった。彼は発見時、もぬけの殻になっていたという。蝉の脱け殻ならぬ人の抜け殻だった。もし、そんなものが転がっていたら、自分だったら悲鳴を上げるよりまず、これはなんなんだ?と考えてしまうだろう。もしかして彼は死んだのではなく、実は中身はどこかで元気に生活しているのではなかろうか。人間の定義から外れてしまったので皆死んだものとして受け止めているが。
透は頭を振った。紡の死に少々自分も頭がおかしくなっているようだ。それとも、彼の死を受け入れようとする脳の自然な働きなのだろうか。やれやれ、人間が脱皮だって?ならば、古い身体を捨てて彼は何になったというのだ。姿がないのは、人の目に映らぬ生命体に進化したからか。それは死んでいるのと何が違うのか。観測されて初めて存在が認められるとか、どこかで聞いたような定義で括ろうだなんて真っ平ごめんだ。
手のひらの中に米粒がいくつも張り付いている。
休日の朝。透は自分の為におにぎりを握っていたが、握っても三角にならず丸くなってしまう。
おまけに握り終えた後、皿にも手にも米粒がいくつか残っている。仕方ないので一粒一粒摘んで口に入れた。塩気が強い。
ぬるぬるとした手を水で洗い流し、おにぎりとバナナと牛乳の入ったコップを食卓に運ぶ。
両親は仕事だ。透に兄妹はいないので、家の中には他に誰もいない。机の上にメモだけが残されている。
『スカートを取りに行っておいてください 母』はは。彼女は仕事が忙しく、自分が依頼した洋服のお直し品を取りに行くことすらままならない。暇な息子に取りに行かせればいいと考えている。男子高校生がスカートを取りに行く。自分の母親、年増のスカートに興奮したりするわけもないが、年頃の息子には不適切な役回りだ。

日野洋服店は古ぼけたところで商店街の片隅に昔から佇んでいる。
透が子どもの頃はじいさんの店主がひとりいるだけだったが、ここ最近はじいさんの家族なのか若い男性がよく店番をしている。
地毛らしい不自然さのない灰色がかった髪をしていて、見掛けると大体白いワイシャツにチョッキを着ている。
「黒鶴さん。スカート一枚ですね。こちらでお間違えないですか」
補習帰りの透を青年がにこやかに出迎えた。料金は前払いされている。代理でしかない透は素直に受け取り、店を出るだけだ。
「あ、制服のボタン取れかかってますよ」
しかし思わぬことを指摘されて、胸許を見た。なるほどボタンを縫い付けている糸がほつれている。
「よかったらお付けしますよ」
「いや、でも」これくらい自宅で…自分が取り付けている姿はあまり想像出来なかった。
「いいえ、黒鶴さんにはいつも贔屓にしていただいてますから」
すぐ終わりますから、そこの椅子にかけてお待ちください。
青年は入り口の横にある椅子を指して、透の学ランを持って奥へ歩いて行った。彼がやるのだろうか。男が針を持つの仕事にしようと思うきっかけはどんなものだったろう。透は座って待つことにした。休日でも補習しか予定のない暇な身分だ。とはいえ、進学校に行ってがつがつ勉強したいという気持ちもなかった。
透は、自分が特に強い目的意識のないつまらない人間だと思っている。十代後半で人生の目的を見つけられないからといって悲観するほどのことはないが、どうにも味がない。紡はどうだったのだろう。あったのだとしたら、どこか申し訳ない気持ちになる。生きているのは透で、紡ではない。目的の有無で人間の価値が決まるとは考えたくはないが、いつのまにか感覚として形成されている。おれは紡より価値がなかったかもしれない。考えるだけで気が滅入る。
そのとき、突如周囲がざわついた。
商店街の通りを冴えない男が走って来る。その後を似たように冴えない男が追っている。
ひったくりぃー と叫ぶ誰かの声。なるほどそういうこともあるだろうと、納得しかけた透の目の前にその男たちは迫ってきた。
彼らは透が座る椅子目掛けるかのように傾れ込み、揉み合った。迷惑だと感じる間もなく透は滑って、椅子の背の角に頭を打ち付けた。
衝撃
痛みはなかった


気がついたら見知らぬ天井を見上げていた。
身体を起こす。座敷だ。木の柱や畳の至る所がくすみ、傷んでいる。
寝かされていた布団の生地も薄っぺらい。うちでももうちょっとましな布団を使ってるよ…透は枕元にあった自分の鞄を手繰り寄せた。
中身は何ともない。横に学ランの上着が丁寧に折り畳まれて置かれている。よく分からないが、それほど悪い状況ではない。頭に痛みはあるものの…そうだ、あの迷惑な男どもがぶつかってきたんだった…と透は頭を擦った。
視野の隅に動くものがあり、それが障子に映った影だと認識する前にそれが開いた。
「気がつかれましたか」
入ってきたのは、日野洋服店の青年だった。ということは、此処は店の奥か。
彼は透の横に正座をし、
「お加減はいかがですか。一応、お医者様には見ていただいて、異常はないとのことだったのですが」
「いえ…特には…」どう答えてよいか分からず愛想笑いをする。
「そうですか。ああ、覚えていらっしゃいますか?ひったくりにぶつらかれたこと」
「椅子に座っていたときに、突っ込んできて」
「そのようでした。よかった、ちゃんと記憶はあるみたいですね。安心しました」
「はあ」
体と頭の心配をされて、ありがとうと返すべきなのか分からず透は曖昧な返事をした。
しかしそこで、日野青年の声のトーンが少し変わった。
「何せ、こちらとしても…少々確認したいことがあるもので」
「確認したいこと?」
透は愛想笑いを中途半端に残したまま…何か自分は悪いことをしたんだっけか…彼の膝の上を見た。両手で包み込めるくらいの大きさの巾着袋が乗せられている。彼はおもむろにその袋の紐を緩め始め、中に手を突っ込んだ。巾着袋から白くてやわらかいものが取り出される。
それは痙攣しながら…真ん中に長い針が突き立てられている…日野青年の手に収まっている。
「なん、ですかそれ」
「それをいま聞こうと思っていた。何せお前の口の中から出てきた残りだ」
他のは捕まえる前に逃げられちまったもんでよ、と彼は長い針ごとそれを畳に突き刺した。白い凹凸の中には目も鼻もない、口らしきものだけがあり、そこから耳障りな声を上げて手足をじたばたとさせる。眺めているだけで、透は吐きそうになった。頭がたちまち痛くなってきて、ひどい悪寒がした。
「口の中、のこり?なにをいっているんだ、あんたは…」あちこちが、ざわざわざわざわし始める。
「まさか『ぼくはなにも知らない』とでも言うんじゃないだろうな」日野青年の顔が歪んでくる。
「まさかも何も、あんたは何か勘違いをしてるんだ。でなきゃ、俺が、この…このなんだ?これのなんだって言うんだ?」
透は動転し、布団の上で後ずさりした。彼の言っていることはちっとも理解出来なかったし、串刺しにされているそれは目にするだけで不調を引き起こした。人型の、白くて小さい、よくわからない、なんなんだこれは。全身からぞわりと冷や汗が噴き出す。
「これの飼い主だと言っている。さっき他のは逃げられたと言ったが、それは全部お前の中に帰って行ったよ」
「頭がちょっとおかしいんじゃないか…」
ちょっと、いや、だいぶおかしい。しかし、そうだとしたら、この生き物はいったい何なのだろう。錯覚ではない。まさか、意識のない間に幻覚作用のある薬物でも投与されてしまったのだろうか。でなければ存在に説明しようがない。
「認めたくないって顔してんな」
日野青年の手が、針を握る。鋭利な銀色が徐々にそれの身体から抜けていく。それが自由になることに透は異様なまでに恐怖を感じた。手足を動かせるということは、そいつはあちこちを動き回れるということだ。気持ちの悪い、嫌な感覚しかしない。
「やめ」ろと透が叫ぶ前に、針が完全に引き抜かれた。
そいつは一目散に透の膝にむしゃぶりついてきて、ロッククライミングをするかのようにシャツを攀じ登り、頭を透の口に押し込んだ。
息が詰まる以上に、嫌悪感に透は卒倒しそうになった。小さく柔らかな手足がもぞもぞと口内を入っていく。ふびゃ、が、と悲鳴にならない悲鳴を上げる。
透が布団に仰向けで倒れ臥したとき、それはもう完全に喉を通過していた。全てが幻覚であったかのように、体内の違和感は消えている。
だが精神的な気持ち悪さだけが後を引き、生理的な涙がただただ頬を流れシーツを湿らせて、透は口を戦慄かせた。指を喉に突っ込んでいっそ吐き出してしまえたなら、と震える手を持ち上げるも、それは日野青年の足に拒まれた。
靴下を履いた足先で無防備な首を小突かれる。
「さて、坊や。お兄さんと少しお話しようか」




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