かくれんぼ







「比嘉、入るよ」
と言って研究部署を訪ねて行ったのは響先輩。僕はひっそり後をつけて、閉められたドアに耳を押し当てる。
研究室内は奇怪な音が零れ出ているが静かなもので、先輩達の声はドア越しでもよく聞き取れた。
…念のため言っておくのだが、僕は覗き趣味があるわけではない。ましてや、会話の内容を盗み聞いてやろうという悪趣味な芸当を好き好んでするような趣味も持ち合わせていない。
ただ現在云えることは、僕は先輩に追われている。僕が追っているのではなく追われているのだ。どうしたことか。
まあその答えは至極単純なことであって、僕はこの間誕生日だった。それで先輩からもお祝いはしてもらったのだが、ちょっと不平不満がなきにしもあらず、僕は翌日先輩に要求したのだ。プレゼントが駄目なら半日遊んでくださいと。
先輩は最初もの凄く嫌そうな顔をしていた。まあそれもそうだ。この人にとっては多分時間が一番大事なのだ。しかし結局それで折れてくれるのだから何だかんだで人が善い。とはいえ、僕らのような人殺しに人が善いもへったくれもあるのかはよく分からないところだ。
そして今、僕と先輩は一対一のかくれんぼをしているというわけだ。気配で辿られてしまっても困るので、当然気配は消している。先輩なんてもはや常日頃から気配というものが希薄な人なので、追われている僕としてもなかなかどうして油断は出来ない。気がついたら背後のいたなんている可能性もある。だから僕は敢えて一旦隠れた振りをし、先輩を逆に影から付け回すことにしたのだ。

「おお、珍しいなお前が此処に来るなんて」
多分比嘉先輩は大袈裟に仰け反っている。この人はいちいち変態で芝居がかっている。
「あれ知らないか」
「あれ?…いや、知らないけどな」

ちょっとあれってあれか僕のことか、僕はあれ扱いなのか。なんで比嘉先輩も通じてるんだそれで。もしかして二人で会話されるとき、僕はいつもあれあつかいなのか。暗黙の了解か。せめてあの天パとかにしてあげて。そんな天パではないけどストレートでもないけど。

「なんだァ、お前が羽沢捜すなんて今日は本当におかしな日だな。逆ならよくあるけども」
…名前呼びで僕が少し安心したのは言うまでもない。
「しょうがないんだよ。彼の誕生日だから」
「部下なんざいらないと言い張ってたくせに、まあ…」

人間変わるもんだな、と比嘉先輩は明らか響先輩の神経を逆撫でするようなことを宣っている。比嘉先輩はあっけらかんとしているくせに時折嫌味ったらしい言い回しをする人なのである。というか、僕らのような楼闇術の連中はもともと性格が捻くれている人が多いわけだが。まあそんなことは良しとしても、此処で比嘉先輩に余計なことを言われて響先輩に機嫌を害されても困るわけで。
僕の心臓は通常時の倍以上のペースで脈打っていた。

「そんなことはいいんだよ。とにかく、彼が居ないなら此処に長居は無用だね」
「部下には優しいのに同僚には冷たいなあ」

比嘉先輩のなんと僻みったらしい絡み口調。なんという修羅場。
これは、比嘉先輩が響先輩に焼き入れられるのも時間の問題ではなかろうか。むしろ今この状況で、響先輩が比嘉先輩をめった打ちにする可能性がある。僕は耳を更に押し付けて中の様子を窺った。まあしかし、僕としては比嘉先輩の心配をするよりも、比嘉先輩もしかして嫉妬ですか?へええ?と言ってやりたい気持ちで一杯である。かくれんぼの最中で出られないことがこんなに残念だと思ったことはない。
けれども、予想していたよりも響先輩は対応は寛容なものだった。

「まあ無駄に図体が大きいだけの君よりは、まだあれの方が可愛げがあるからね」

てっきり響先輩のことだから鳩尾につま先をめり込ませて黙らせるくらいするかとは思ったのだが…僕の経験談。先輩何だか比嘉先輩に対して生温くないか。それとも僕に対する仕打ちが他と比べて手厳しいだけなのか。
正直僕は未だに先輩という人がよく分からないでいる。とはいえ、人と人との関係なんて、お互い分かったつもりになっているだけで、本当に相手のことを全て理解していることなどまずないものではある。
つまり何が言いたいかと言うと、僕は先輩のことをほどほどに理解しているつもりであるということだ。全部ではないし…それは、無理だ。
そんなこんな考えているうちに、ノブが動いた。僕は慌てて廊下の壁際に身を隠した。
出て来た先輩はきょろきょろと辺りを見回し、僕がいるのと反対方向へと歩き出した。本当は、先輩の発言の真意を今すぐにでも問いただしたかったのだが、このかくれんぼの言い出しっぺは僕なのだし、途中で放り出すわけにはいかない。

その後先輩は棚の中やゴミ箱の中まで丁寧に覗くなどして僕を探し回っていた。その様子は見ていて非常に焦れったかった。
一度でも良いから後ろを振り返って、廊下の隅々まで目を凝らしてみればいいのに。僕は壁に溶け込んでもいない、普通に此処に立っているのだから。
だけどそう思う反面、先輩がこの遊びを投げ出して自室に戻らなくいことに僕は安心し切っている。もしも投げ出されていたら、普通に隠れていた場合の僕が虚し過ぎるからだ。そう、かくれんぼにせよ何にせよ、一対一の遣り取りは全く相手をされなかったら悲しいことこの上ないのだ。
その点、僕は恵まれている…のかもしれない。むしろあまりに先輩が生真面目に捜してくれるので少々しんみりしてしまった。
こうなるともう降参だ。初めはどうせ本気で捜してくれやしないだろうと思っていたのだが。

「先輩」

素直に姿を現して呼びかけると、先輩は振り返った。そして笑った。

「随分出てくるのが遅かったじゃないか」

え?と思わず僕は聞き返した。
すると先輩は小さい笑い声を漏らし、肩を震わせた。

「なんだい、てっきり君も気付いているかと思ったのに」
「何がですか」
「おかしいな。私はこのゲームは君との我慢比べのようなものだと思っていたのだけれど」

つまり君が私の前に出てくるか、私が諦めて其処にいる君に声を掛けるか。
そう言うと先輩はやれやれと大袈裟な身振りで…先輩も時として比嘉先輩同様芝居っ気があるのだが…呆れて見せた。
冷静に考えれば予想され得る展開ではあったかもしれないが、僕は呆然としていた。自分の馬鹿さ加減に。

「先輩、もしかして気付いてたんですか」
「当たり前じゃないか。視線で分かるよ」

先輩は肩を竦め、「君に付き合うと本当疲れるよ」と首を左右に振った。それからすたすたと歩き出したので、僕も早足で先輩の横に並んだ。先輩の横顔をじと見つめてから、僕は口を開いた。

「あの、先輩」
「うん?」
「なんだかすみませんが、一つだけお窺いしたいことが」

自室まで辿り着き、ソファで横になろうとする先輩の横に僕はひょっこり座って、かくれんぼの最中ずっと気になっていたことを尋ねた。無論、それは比嘉先輩との遣り取りに含まれていた内容である。先輩は眼を閉じて、仮眠を取る体勢に入っている。

「先輩は僕のこと可愛げがあると思ってらっしゃるんですか」

…しかし僕の聞き方は毎回単刀直入である。自分でもそう思っているのだ。先輩もそう思っているだろうし、もう少し遠回しに含めたような聞き方は出来ないものか。けれど僕としては、話がスムーズに運ぶに越したことはないのである。
先輩は欠伸して軽く身じろぎすると、如何にも眠たげな口調で言った。

「あれはあくまでも比嘉と比べたらの話だからね」

…何だろうかこの素直に喜べない感は。実際これはあまり褒められていないだろう。あの比嘉先輩と比べてを強調されては。
そうして愕然と肩を落とす僕の横で、先輩は呑気に眠り始めた。今日に限って言えば、僕の所為で疲れているわけで、起こすのも忍びない。
僕はそっと手を伸ばして先輩の髪を撫でた。この人は一度寝るとなかなか起きないから、その間別に何しようが大して問題はないのである。
まあさすがに殺気やら不穏な気配を感じたら起きるようだが、僕とてそこまで不穏な気配を出しているわけではないのだから、そういった心配はいらないはずだ。
先輩の髪はさらりとしていて脂っ気がない。
先代の首領の写真を見たことはあるが、その人は結構な脂髪だったのでおそらく母親に似たのだろう。会ったことなどあるはずもないから僕には想像しか出来ないが、弟さんの髪色も踏まえて、多分さらさら銀髪の別嬪さんだったのだろう。それがどうしてあんな写真のような男と結婚しようだなんて思ったのか、僕にしてみれば理解に苦しむところだ。人は外見ではないと言うけれど、あの先代の首領が善人で一般の女性から好かれるような人間だったとはどうしても考え難かったのだ。僕もこの組織に入ってはや三年経つが、先代の首領の亡くなった理由だとか噂を全く聞かないわけではなかった。
それに先輩の下につくと決まった段階で、周囲の人間の囁きは嫌でも耳に入って来た。

僕は先代の首領が何故死んだとかそんなことに興味はない。
先輩が殺したならそれはそれで別に良いし、僕の知ったことではない。そもそも僕がどうしようともそれは過去だ。実際にあったことは後からいくら足掻いたところで無くせないし消せない。ただそれでも、やはりそのことを気にする人間は周囲にはいくらでもいるし、そいつらは単純に出る杭があると不安で不安で仕方のない連中なのだ。現在首領の地位は空いていて、虎視眈々と狙っている輩にとって先輩は邪魔な存在でしかない。困ったものだ。反感を買うのは必ずしも先輩の性格だけが原因ではないのである。
別に僕が困らなくても良いだろうと思うかもしれないが、仮にも部下としてはそこらへんを多少は心配する義務がなくもない。我ながら良い部下である。
…ただ僕は決してこの人に心酔しているわけではない。万が一、一人しか助かりませんという有りがちなシチュエーションに陥ったとしても、僕は自分の命を優先するし、多分この人も簡単に僕を見捨てる。理由なんて大それたものはない。僕はまだ死にたくないだけであるし、先輩にしてみれば弟さんを残して死ぬなんて冗談じゃないというまたしてもブラコンじみた台詞が飛び出すに決まっている。
そう、この人は何だかんだで弟さんを溺愛しているように見えるけれど、結局は弟さんと死にたいだけなのだ。迷惑過ぎる。そしてもし弟さんにインタビューしようものなら間違いなく満面の笑みで「ええとても迷惑しています」と言われるのがオチだ。報われない。
だからこそ敢えて言ってやる。

「あんたは可哀想な人だよ」

きっとこの人自身、気付いているんだ。
いくら愛情を注いでも、必ずしも同じだけ返ってくるわけではないということを。
同じような気持ちで同じような言葉を与えられたところで、他人同士、僅かな疑いは消えないのだから。


…なんて。
僕は先輩の髪をもう一度撫で回し、席を立った。











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