組織事情












「先輩、僕の悩みを聞いて下さい」
「嫌だ」
「そうおっしゃらずに。部下の悩みを聞くのも上司の仕事じゃないですか」

振り向いた先輩は大変面倒くさそうな顔をしていた。手にしていた雑誌を机の上に放り出し、頬杖をつく…思い切り嫌そうに。僕はその向かい側で口の端をつりあげながら足を組んだ。先輩はそれほど礼儀作法に煩くはないから、この程度の態度は許される。その辺、他の上司よりは楽で良い。
彼はにこりともせず、投げやりな口調で言った。

「どうせ君の悩みったって真面目なものなんて一つもないじゃないか」
「僕はいつでも真面目で真剣ですよ。例えば、先輩への愛とかね」ここで薔薇でも出せば完璧なのだろうけど、今は手持ちがない。
「そんなことはどうでもいいから、本題を言ってくれないかい」

さらっと彼は僕の告白を聞き流す。まったく、そんな態度ばかりとっているから人の反感を買うんだ。先輩は組織の幹部として結構な地位にいるけど、古株の連中からはあまり好ましく思われていない。ただでさえ若いうちから出世すると目をつけられやすくなるというのに、先輩は先代の首領の息子だし、態度は悪いし尚更だ。まあ、本人は全く気にしている様子はない。この人は組織内のいざこざとか、全く興味がない人なのである。

「実は想い人が僕の気持ちに全く気付いてくれなくてですね」
「さて、今日も元気に仕事にでも行って来ようかなあ」
「ちょっと先輩ちゃんと聞いてくださいよ、おまけに僕は元気という言葉がこんなに似合わない人初めて見ましたよ」
「はあ、相変わらず君はうっとおしいなあ」

酷い。実に酷い。これが日常茶飯事なのだからやってられない。たまには毒舌ではなく愛をください。まあ、だから良いんですけど。
もはや実はも何もないが、僕はこの先輩が気に入っているのである。無駄に規則に煩くないし、べたべたと上下関係を縦に迫ってくることもない。それに何より、血に塗れた姿が誰よりも奇麗だ。仕事帰りだったのか頭からつま先まで血を滴らせて戻って来た彼を一目見て、僕は心を奪われてしまったのである。新人で入りたてだったにも関わらず、彼の下にしてくださいと頼み込んだのだ。初めは人事担当の先輩には難色を示されたが…曰くあいつは部下はつけないからと…僕は頼みに頼み込んで先輩の下にしてもらった。そしてこの扱い。涙が出そうだ。

「仕事とか言って、どうせまた弟さんのところにでも行くんでしょう」
「今日は違うよ」

先輩は立ち上がり、僕に背を向けてすたすたと歩き去ろうとしている。はあ、全く如何ともし難い人だ。
僕は諦めてその背を見送ると、どっかとソファに腰を下ろした。別に先輩の部屋だからといって何の抵抗もない。
するとドアをノックする音が聞こえて、僕は顔をそちらに向けた。古株の爺だろうか。最近先輩に取り入ろうとして煩わしい爺がいるのだ。何かあったときのために横やら縦やらの繋がりはキープしておきたいという輩の。はたまた、それとも比嘉先輩だろうか。
比嘉先輩というのは響先輩の同僚というよりは同期で、言わば先輩の貴重な友人のようなものだ。

「どちら様ですかー」
「俺だよ」

ああ、比嘉先輩だ。ドアを開けると、やれやれうっとおしいオレンジ髪の男が一人。切ればいいのに、ウェーブのかかった髪は肩のしたまで垂れている。後頭部で一部括ってあるけれど、いったいどれほどの意味があるのだろうか。

「先輩ならたったいま出掛けましたよ」
「ああ、歩いてくのを見た」
「ならいったいどうしたんです?まさか僕に用事だなんてことはないでしょう」
「当たり前だろ。今日はこれを持って来ただけだ。部屋が空いてるなら置いていけばいいしな」

そう言って比嘉先輩が指の先で揺らしたこれ…小瓶は紫色の液体が入っている。例えるならグレープジュースだが、中身は当然異なる。
楼闇術者は攻撃性がなまじ他の術者より抜きん出ている分、よく出来ているもので身体が手痛いダメージを受ける。何だったか、身体に圧力をかけねば使えない術なのである。その「症状」が進行するのは個人差があるが、先輩は無駄に仕事量をこなす、つまり人を殺すから、損失の消費が早いのだ。
そしてそれを抑える薬がこれなのである。こんなものを飲むくらいなら数を減らせばいいのに、先輩は血に中毒しているから言っても聞かないし、本人も馬鹿ではないからそのくらい分かっているのだろう。本当に如何ともし難いお人だ。
比嘉先輩はこの薬品を製作する研究部に所属しているから、現場には出向かない。いったいどうやって衝動を我慢しているのか、特別な薬品でも服用しているのか。僕には分からないが、時折組織の内部では殺し合いが起きることがあるから、その辺に関係あるのかもしれない。
僕は比嘉先輩から受け取った瓶を机の上に置くと、くるりと比嘉先輩に向き直った。
正直僕はこの比嘉先輩のことはどうでもいいというか好きでもないし嫌いでもない。この人単体ではそれほど問題はないのだが、そこに響先輩が絡むと面倒くさい。先輩が気付いているのかどうかは知らないが…まあどうせ気付いてはいるんだろうけど…比嘉先輩はガチホモだ。その矢印の矛先は先輩を向いているので僕としては迷惑この上ない。何気ない素振り且つ友人としての間柄を保ってはいるが、視線がセクハラだ。別に女性の胸や股を舐め回すように見るとかいう意味ではない。先輩は男だからそんなところ見てもしょうがない。ただ何となく視線がさらりとねちっこい。そのうち薬でも盛ってしまわないかと心配だ。言わばこの比嘉先輩は研究要員で響先輩は戦闘要員だから、普段無理矢理押し倒そうとしても下手すれば殺されるだけなので、その手の不安が生じてくるわけだ。

「先輩、早まった真似だけはしないようにお願いしますよ」
「おいおい、いきなり何の話だ」
「いいえ、とても僕の口からは恐れ多くて言えません。自分の胸に聞いてください」

全くしょうもない。誰も彼も如何ともし難い人間ばかりなのだ此処は。
僕はひとまず比嘉先輩を追い返し、響先輩の帰りを待った。…あの人の場合、数日返って来ないこともあるのでこちらとしても待ち甲斐がないのだが。



「羽沢」

おお、珍しい。あ、羽沢というのは僕の名字である。
先輩は日頃何故か僕のことを「君」だとか「この馬鹿」だとか、名前で呼んでくれる機会が少ないので、今日は実にめでたい日だ。赤飯でも炊こうか。

「君はどうしてこんなところにいるんだい」

どうしてって、僕が外の世界にいちゃおかしいとでも言いたげだ。黒尽くめだからだとかいう理由だったら、あんたも人のこと言えないでしょう。
先輩はさりげなく僕の前に腰を下ろして…ファミレスに黒尽くめ二人もどうかと思うが…店員にティラミスを注文した。この人は見掛けによらず…意外とまんまかもしれないが、甘党なのである。少なくともカカオ強度のチョコレートを差し出したら蹴り飛ばされること間違いない。多分ねちねち文句言われながら腹をつま先で蹴られるのだ。食べ物の恨みは恐ろしい。

「…今日の仕事はどうした」

…今日の僕のスケジュールには華林術者の素質をいくらか狩る仕事が入っているのである。いつも納入日直前になってノルマに達してませんと先輩に頼み込む所為か、先輩の視線は冷たい。彼は納入出来ないことが嫌というよりは、そのことで担当から小言を言われるのが嫌なのである。事なかれ、ではなく自分のことに口を出されることを大変嫌うお人なのである。

「先輩にご心配いただかなくとも、ちゃんとやりますよ」
「口だけじゃなくて行動で示して欲しいものだね」
「え、先輩への愛も行動で示して良いんですか?」
「デザートまだかな。後一分以内に来なかったら君のおごりということにしよう」

く…この憎たらしいまでのスルースキル。しかし沈黙は肯定の証?ということで僕は先輩の手を握ろうとした。…避けられた。

「先輩つれない!」
「ファミレスで男同士手を繋いでたら気色悪いだろう」
「ファミレスじゃなきゃ良いんですか」
「君じゃなければね」

…この人はつくづくツンしかない。たまにはデレてほしいと思う僕は間違っているのだろうか。それとも、弟さんや外の人にはデレているから内ではツンで通すという方針なのか。
まもなくティラミスが運ばれて来て、彼は僕に見向きもせずにそれにフォークを突き刺した。
それから。

「あ、これ君のおごりね。一分一秒」

ティラミスのお値段399円。…高い…。
……世間はもうすぐ春ですが、僕に春はいったいいつ来るのだろうか。





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